Rickshaw(リキシャ)

2001年8月号(第34号)

目次

定例会報告(第47回、2001年6月9日)

「ひとりNGO」を通して見たカンボジアの実状

カンボジアこどもの家代表 栗本 英世さん

 栗本英世さんは現在カンボジアで、孤児院や寺子屋を運営する活動を続けている。援助団体に属さず、なるべく少ない資金で、カンボジアのあちこちをこまめに歩きまわっての独特な援助活動は「ひとりNGO」などと評される。

 現地の本当の声が聞きたいと、半年間で必死に習得したカンボジア語で、各地の村人と話してまわった。その経験から見えたカンボジアは、これまで伝えられてきた姿とは異なった様相を含んでいた。とりわけ、陰惨な「カンボジア大虐殺」が行われた悪名高いポル=ポト時代について、栗本さんの視線はこれまでの報道にはない側面に焦点を当てた見方を示してくれる。

 そんな栗本さんが、これまでの援助活動を通して見たカンボジアの姿を語ってくれた。

伝えられてきたカンボジアとのギャップ

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 栗本さんはクラッチェ州をはじめとしてストントレン州やラタナキリ州、モンドルキリ州を主だった活動地域に援助活動を続けてきた。バイクに跨り、「紙芝居もって、腹話術の人形もって」栗本さんは村々を巡っていった。訪れた村では村人が家に泊めてくれる。それだけではなく「困ったことないか、足りないものないか、何か手伝おうか」とひっきりなしに声をかけてくるのがカンボジア人の気質である。

 村を巡るうちに、栗本さんはカンボジアに入っていく前にひととおり調べたカンボジアの歴史と、現地で出会うカンボジア人の言っていることにギャップを感じ始める。何しろ電気も通ってないような村では暗くなると暇ですることがない。村人とゆっくりと話をするには十分すぎるほどの時間があった。

 「栗本さん、カンボジアの人はみんなポル=ポトのこと好きですよ」といった話を聞いたのもそんな村人との会話の中でのことだったのだろう。

 栗本さんは、各地でポル=ポト時代を懐かしむように村人が語るのを聞いている。まるで悪魔の化身のように伝えられてきたポル=ポトとは異なった、「非常に人格者で穏やか」なポル=ポトの姿が村人の口から語られるのだ。「それはどういうことかなぁ、と思った」と、栗本さんはいう。素直な印象である。

 クラッチェ州およびその周辺は長い間ポル=ポトによる統治が続いた地域である。その影響も無視はできないだろうから、地域差はあるとしながらも、そんな話を信頼関係のある村人たちから聞くたびに、栗本さんはこれまで伝えられてきたカンボジアの歴史に疑問を抱くようになっていった。

「いい人格者だった」ポル=ポト

 カンボジアのあまり外国人が入っていないようなところにまで入り込んで援助活動を続けている栗本さんは、カンボジアの調査に訪れるジャーナリストなどのコーディネーターを頼まれることがある。こうした調査に同行することで報道に対する疑念がさらに高まることもあった。

 虐殺をはじめとしてポル=ポト時代の苦境をジャーナリストによるインタビューの中で語っていたカンボジア人が、インタビューの後食事をしながら、「いやぁ、ポル=ポト時代はよかったなぁ」とポル=ポトとの出会いや生活を栗本さんに語ることもあったという。栗本さんは、カンボジア人が調査で訪れた人間が喜ぶ答えを知っていて、マイクを向けられると違うことを言う場面を何度も眼にしている。

 調査する側でもマイクを向ける相手が答えてくれる人に限られたり、迫害を受けた人を捜し出して話を聞く、といった姿勢で臨む場合が往々にしてあるようだ。積極的にインタビューはしても現地の人と食事を共にしたり酒を飲もうとしないし、聞きたいことだけを聞いて自由な発言に耳を傾けない、あるジャーナリストのそんな姿を見て栗本さんは首を傾げる。

 「あれでは絶対に正しいことは見えてこないんじゃないか」と栗本さんは思っている。それでも、最近訪れた小説家は、「もう無駄が大好き、無駄ばっかり、酒ばかりかっ喰らっていた」と、栗本さんは笑った。ゆったりとした雑談の中でこそ生まれる、村人たちの自らのペースでの語りを大切にした調査であろう。インテリである通訳者を介してのインタビューや、容易に答えてくれる、いわば話慣れたカンボジア人と接しているだけでは現実は見えてこない。栗本さんも同じような姿勢でカンボジア人と本音で話し合ってきた。

 栗本さんのカンボジア観は村人との、カメラやテープレコーダー、メモを取るためのノートさえ持たない対話から形成された。村人たちと一緒に生活するうちに、いわば肌で感じたものだ。ポル=ポト時代を懐かしむ話を聞けば疑問が生まれ、虐殺の被害を最も受けた都市の住人を「仲間だとは思ってない」村人たちの思いを知れば、またポル=ポトへの視線に変化を与えられた。

 栗本さんのポル=ポト観は、おのずと伝えられてきたものとは異なったものになっている。賞賛は決してできないにしても、直接交流のあった村人に「いい人格者だった」と回想されるようなポル=ポトの一面に、あえて焦点を当てた見方を栗本さんは提示する。カンボジアを伝えるこれまでの報道はあまりに一面的に過ぎないか、という疑問が栗本さんにはあるのだ。

 だが、大規模の虐殺が起こったことは紛れもない事実であり、栗本さんのこういった言説は容易に受け入れられるものではないだろう。

 「わたしの話は裏付けがとれているわけではありません」と、栗本さんははっきりと打ち明けた。すべて、各地で村人たちの声を拾ったにすぎない。栗本さん自身戸惑いを覚えた、そんな声を重んじて栗本さんはカンボジアを見ている。

 ライターやジャーナリストが聞いていることを意識しているのか、ポル=ポトについて話す口調は挑発的にさえ聞こえる。

 「今ならば」、栗本さんはとくに強調して付け加えた。「ポル=ポトと一緒に暮らしていたたくさんの証人に会えるんですよ。」

「友達になる」援助活動

 「現地の人の目線にまで降りて、相手の立場に立って考える」とは、日本などの先進国からカンボジアのような国に援助に出掛けていく際の心構えとしてしばしば強調される。だが、栗本さんはいう、

 「はっきり言います。そんなこと絶対にしちゃいけない。」

 「自分の目線でいい。自分の立場でいいんです」と栗本さんは続けた。まったく異なった歴史の中で育ってきた人間がその経験を通して相手を見る。同じ歴史を通ってきてないのだから、相手とは絶対一緒にはなれない、という意識をもって栗本さんは援助活動を続けている。

 「相手が何をして欲しいのか、どういうことを求めているのか、よく話し合って、わたしたちが喜んでできることはしましょう。できないことはできません、と明確に言う」といった姿勢で、栗本さんはカンボジア人と「友達になること」を心掛けている。相手の目線に降りていくなどと、そもそも上にいる意識をもっていたら決して友達にはなれないと栗本さんは考えている。

 刊行されたばかりの栗本さんの著作『カンボジア寺子屋だより』(ばるん舎)にこんな場面がある。難航した井戸掘り作業の果てに水が噴き出したときのことだ。

 「水を待っていた村びとと心配で見ていた私たちは、一緒になり飛びあがって喜んでいた。」友達になることを大切にする栗本さんの援助活動が目に浮かんでくる。

 26人の教師が2000人の生徒を教える8校の寺子屋を運営するにともなって、資金難がときおり栗本さんの頭を悩ますのも現実である。だからといって、栗本さんは潤沢な資金を必要としているわけではなさそうだ。

 栗本さんは日本で、栗本さんの活動に賛同したある会社社長に活動資金として5000万円を提示されたことがあるという。だが、その会社社長のところまで赴いて、直接その申し入れを断ったそうだ。

 「5000万円を使うための援助になってしまう」という。栗本さんは、むしろ多額の資金があったらできないとさえ自らの援助活動について考えている。

 金を持たない援助、いわば誰にでもできる援助活動を実践してみたくて活動している、と栗本さんはいう。それは「わたしの活動ではない。村の人の活動で、わたしはその手伝いをしているだけ」という意識に裏打ちされている。巨額な資金を必要とする援助は特定の人にしかできない。ましてや村人たちには到底継続できるものではない。資金が乏しいからこそ、村人たちと一緒にどうやったら目的を達成できるか考え悩むことができる、と栗本さんは考えている。

 援助者が普通に生活しながら村人と共に行動する、「がんばらない援助」を栗本さんは目指している。

(山本 浩・フリーライター)
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月刊リキシャ2001年8月号(通巻第34号)
2001年8月25日発行
編集人 大園 浩史/発行人 八尾 浩幸
発行 亜洲通信社リキシャ編集部

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