Rickshaw(リキシャ)

2001年5月号(第31号)

目次


定例会報告(第44回、2001年3月24日)

自主独立へ向けて歩む東ティモール

ジャーナリスト 青山 有香さん

 「幸せです。そして悲しい。みじめだ。インドネシアがすべてを破壊していったから」──2000年8月、東ティモールの首都ディリで収録されたヴィデオのなかで、焼き払われた家を建て直しながら、あるティモール人男性はこう語った。彼の名は、ジョゼ・グスマオ。1975年インドネシアによる東ティモールの武力侵攻、占拠の際にオーストラリアに逃れ、そこで長い間、独立運動に携わった。ヴィデオの中で、彼は、国際NGO「セイヴ・ザ・チルドレン」の家屋再建プロジェクトコーディネイターをしていた。

 1999年8月の、あの歴史的な住民投票で、圧倒的多数のもとに独立を勝ちとったはずの東ティモール。だが、その後に起こった「暗黒の9月」と呼ばれる暴虐行為はなぜなのか。独立を決めたはずの国に、なぜ国連は今も居座り続けるのか。なぜ西ティモールには数万人もの東ティモール難民がいるのか……。

 今回は、長い間この国に関わってこられ、昨年11月にも「東ティモール問題に関するアジア太平洋諸国会議」に「東ティモールに自由を!全国協議会」から派遣されて出席した、ジャーナリストの青山有香さんにお話をうかがうことになった。

東ティモールとは

 東ティモールは、日本の四国ほどの大きさの国である。宗教はインドネシアに多いイスラム教ではなく、カトリックである。この国は、1980年代後半まで、世界の人々にとって「暗黒大陸」であり続けた。ジャーナリストはおろか、旅行者すら入れなかった。理由は簡単なことで、インドネシア政府が締め出していたのである。

 1974年。ポルトガルでいわゆる「カーネーション革命」が起き、植民地であった東ティモールにも独立の気運が沸き起こった。だが、そのときすかさず進攻してきたのがインドネシアである。

 インドネシアがこのような行動に出られた背景として、アメリカ、日本、国連などがこれを認めたことがある。先進国にとって、インドネシアは良いビジネス・パートナーであり続けたからだ。また、冷戦構造のもと、反共を標榜するインドネシアと友好関係を持つほうが都合が良かった。青山さんは「東ティモール問題において、先進国にはおおいに責任がある」と主張する。

 インドネシア占領のもとで、絶望的な抵抗が行われた。活動家、そして一般市民までもが簡単に捕まって殺されてしまう中での闘いである。現在CNRT(東ティモール民族抵抗評議会)の議長を務めるシャナナ・グスマオも1993年にインドネシア当局に逮捕された後、7年間をジャカルタのチピナン刑務所で送った。

 そのような状況の中で起こったのが、「東ティモールの天安門事件」と呼ばれるサンタクルス事件である。

 1991年4月、数千人にのぼる東ティモール人がディリのサンタクルス墓地まで集まってきた。2週間前にインドネシアの秘密警察に射殺されたセバスチャン・ゴメスを追悼するためである。そのとき、突然インドネシア軍が群衆を取り巻き、無差別に発砲し始めた。逃げ惑う人々に対しても容赦なく銃弾は降り注いだ。恐ろしいのは、インドネシア軍の行動がこれだけにとどまらなかったことである。彼らは、生き残った負傷者を病院までつけていって毒をもったり、トラックでひき殺したりしているのである。この事件は、ビデオに収められて密かに国外に持ち出され、世界に衝撃を与えた。

 だが、東ティモール人の絶望的な抵抗運動にも、ようやく光明が差す日がやってきた。1998年5月、インドネシアのスハルト大統領が退陣するのである。

独立へ

 後任のハビビ大統領は柔軟な思考の持ち主で、世界と協調してやって行きたいと願っていた。98年5月、インドネシア、ポルトガル、国連の代表が、1999年に東ティモールの独立を問う住民投票をすることを決定した。だがその中には、悲劇的にも東ティモールの代表の姿はなかった。

 投票は、国連の選挙監視機構(UNAMET)主導の下、99年8月30日に行われた。だが、最大の過ちはインドネシア軍に投票前後の治安を任せたことだ、と青山さんは言う。青山さんは投票当時、選挙監視員として東ティモールのバウカウという街にいたが、すでに投票前から民兵の脅迫行為が続き、あちこちで銃声が鳴り響いていた、という。「民兵はただそこを歩いているだけで恐ろしい。地域社会は彼らの存在におびえていた」のだ。選挙結果が、9月4日に国連のコフィ・アナンによって発表された。投票率は驚異の98%。そのうちインドネシアとの併合派は約20%で、独立派が約80%の多数を占めた。だが、この結果に最も激烈に反応したのが民兵である。

 その日、ディリは燃えあがった。民兵たちが街を破壊し、火をつけ、手当たり次第に道行く人を殺しまくった。もっとも彼らの行動が激しかったのが西ティモールとの国境地帯で、マリアナやスアイでは大量の虐殺事件が起きている。9月20日にはオーストラリア主導の多国籍軍(INTERFET)がディリに入ったが、そのときにはすでに、ほとんどの虐殺・破壊は完了していた。

 また民兵は、同年9、10月にかけて西ティモールに約25万人の東ティモール人を強制連行していった。その後、国連機関などにより東ティモールへの難民帰還が行われたが今なお、多くの人々が西ティモールで難民生活を送っている。CNRT副代表で、東ティモールの「外相」、ジョゼ・ラモス・ホルタは今年3月来日したとき、「今も約8万人の難民がいる」と述べた。

「難民の半分は東ティモールに帰りたがっている」と青山さんは言う。「だが、インドネシア軍と民兵の脅迫により、帰るに帰れないのだ。難民たちの飢えはすさまじく、5歳以下の乳幼児の死亡率は圧倒的に高い」。

世界と東ティモール

 99年10月、国連は新たにUNTAET(国連東ティモール暫定統治機構)として破壊後の東ティモールへ「人道支援」するため、やってきた。だが、彼らは別にそれほど東ティモールの人々から愛されている訳ではない。現に、ラモス・ホルタは「国連は勝手な事をやっている」と怒りを示した。

 国連は2001年8月30日に予定されている制憲議会選挙の後、東ティモールから手を引くはずなのだが、彼らのやり方は決して効率的ではない。彼らは地元の人々の声を聞かず、東ティモール人の反感を買ったりしている。だが、国土を徹底的に破壊された現在の状況では、失業率は驚くべきことに90%に達し、仕事といえば国連、国際NGO関係のものがほとんどだ。その仕事のためには英語ができねばならず、つまり英語の分からない者は仕事につけないという状況が続いている。「地元民と国連、国際NGOスタッフ間の意志疎通がうまくいかず、両者とも互いに誤解しあうことは大きな問題だ。しかし、本来は国連や国際NGOスタッフが、現地語(テトン語)を学び話すべきなのだ」と、青山さんは言う。

 現在、国連は、実質統治権をティモール人に渡す目的で、UNTAET改めETTA(東ティモール暫定統治機構)にシステムを変えている。これまでの反省の上に立って、東ティモール人をヘッドにして東ティモール人が主体的な意志で物事を決定していく、といった当たり前のことを標榜している(「国連のティモール化」という)。

 だが、現実には県の首長は東ティモール人だがそれ以下のブレーン、スタッフは外国人、といった事態が起こっている。そのため、「現状では、やはり真の「ティモール化」は難しい」と、青山さんは言う。

 そして今、東ティモールが再生していくには、何が必要なのだろうか。それにはまず、99年9月、東ティモール全土を地獄に変えた、民兵・インドネシア軍兵士たちの暴虐を裁くことである。 ラモス・ホルタ氏や国連などは、国際人権法廷の設置を強く訴えていた。が、それに対して、軍が大きな力を持つインドネシアはけっして積極的、効果的であるとはいえず、いまだ実現していない。

 99年12月に、インドネシア国内にKPP-HAM(人権侵害調査委員会)が設置されたが、これもインドネシア軍や当局の強い圧力があると思われ、真の犯罪者を裁くのにとても有効なものとは言えない。現に、2000年1月にこの委員会は、30人の人間を人権侵害の責任者として告発したのだが、奇怪なことにその後、暴虐、人権侵害において責任重大なウイラント元国防相、民兵グループのリーダー、エウリコ・グテレスといった名がリストから抜かれ、合計19人になってしまったのだ。

 軍と民兵との癒着はまだ続いている。軍からの物資横流しにより、民兵らはまだ西ティモール難民キャンプを支配したり東西ティモール境界線で暴力事件を起こし、それによる難民、地元民、国連軍(PKF)兵士などの被害、犠牲者は、あとをたたない。

 現状そして前途は多難だが、とにかく東ティモールは確実に独立への道を歩み始めている。もう誰も、その流れを押しとどめることはできない。青山さんは言う。

「東ティモール人は長い間虐げられてきました。でも、ここにきてやっと彼らも幸せになる権利を得たのです。それを見守っていかなければ。そして、彼らの独立を支えるために何ができるかを考えねばなりません」

 冒頭のヴィデオで、ジョゼ・グスマオは酷暑の中、家を建て直しながら、こう語り続けた。「インドネシアはすべてを破壊していった。でも、人々が前向きなのには勇気づけられます。家を燃やされ、破壊されたのに、人々には笑顔が見えます。以前の東ティモールではお目にかかれなかったもの──それは、自由の笑顔なのです」

(杉岡 幸徳・フリーライター)
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コリアンニューカマーをめぐる混沌 事件簿(1)

高 ヒョンミ

「全国酒類卸小売業協会」の「警告」

 平成12年10月4日、都内近郊でキムチなどの韓国食材店を経営するニューカマーの女店主が脅迫された。「酒販免許をもっていないのに韓国酒を不法に売っているだろう」といういいがかりだ。彼女に送られてきた脅迫文は架空の団体名「全国酒類卸小売業協会」を名乗り、ご丁寧にも架空社印まで押され、日本語と最近の韓国語とは思えない古めかしい朝鮮語風ハングルの2通りで書かれていた。脅迫部分の抜粋と翻訳内容は下記のとおり。「貴店を酒税法違反により、警察及び所轄税務署と協議の上、摘発をする旨、準備を完了した」「違反者は1年以下の懲役、または20万円以下の罰金に処せられる」「10月末までに違法販売を中止せよ」「この通達に従わなければ店に危害を加える」

 相談をうけ、一緒に警察へ行き被害届けを出し、所轄税務署にも事件の相談に行く。「警察及び所轄税務署と協議」も「摘発をする旨、準備を完了」も事実無根であった。店主は近所でも有名なクリスチャンで、「酒は諸悪の根源」と考える禁酒主義者。韓国酒を置かないか?という韓国食材卸問屋、メーカーの提案にも頑なにノーと言い続けてきた。もちろん彼女のことは近所の同業者には周知の事実。わたし自身も、脅迫文を見せられ、「お酒を売った覚えもない。また今後売るつもりもない。それなのになぜ?」と涙を流して抗議されたときには驚きと怒りを隠せなかった。

 脅迫される心当たりはないかと聞くと、人間関係では心当たりがないという。しかし、彼女は「近所の人に韓国焼酎をパック3つほどもらったので主人にあげようと思ってお店の冷蔵庫にいれておいた」という。犯人は一度ないし何度か来店し、店の下見をしているではないかとハッとした。用意周到な下見に深い悪意を感じ、在日飲食店組合、韓国系ネットワークを通じて事件と事実関係を連絡した。その後の追跡調査で、数件の店が韓国酒を売る売らないにかかわらず同じ脅迫状をうけとっており、投函郵便局名ならびに投函者名は、W市南町、森野某(偽名)だということがわかった。問題のE郵便局はEビル内にあり、ビルのテナントでないと利用しないような隠れた場所にある。同ビル内には偶然にも日本の酒メーカーS社がある。事件となんらかの関係があるのかないのか…。ある韓国酒造・卸メーカー日本支社のニューカマー、L.C氏より、某韓国酒造・卸メーカーがS社と販売提携し、日本で韓国酒販売を全国展開させるオファーを熱心にしているという情報を提供してもらった。これもなにか関連があるのだろうか。韓国人ニューカマーたちの生活をおびやかすものは常に存在する。

韓国酒の価格破壊が背景か

 韓国酒販売におけるニューカマーをめぐる地下事情に、近年価格破壊が起こっていることがあげられる。某大手韓国酒メーカーが、卸値を顧客により足元をみて卸値を1.5倍〜3倍の価格と極端に変化させるため、仕入値が安定せず業界中の顰蹙(ひんしゅく)を買っている。このメーカはもちろん日本の酒販売卸店の信用第一といったまっとうなところには参入できない。2002年の日韓共催ワールドカップサッカーへ向けて韓国ブームがピークに向かいつつある今、韓国飲食店では韓国焼酎、マッコルリなどの韓国酒は必須のアイテムであり、日本人顧客たちからの嗜好の要求も高い。ニューカマーの食材店、飲食店は「韓国人が韓国人から不当に搾取するのであれば、もはやわれわれに残された道はポッタリルート(本国からのハンドキャリー)で解決するしかない。」と、追いつめられた。この状況が一部の韓国酒に価格破壊を引起こしている。

 一方、やられた韓国酒造・卸メーカーはおもしろくない。「昨日の客が今日の敵」と酒税法をふりかざして、酒販免許を無視して韓国酒を販売する店を威嚇するということも考えられる。「貴店を酒税法違反により、警察及び所轄税務署と協議の上、摘発をする旨、準備を完了した」「違法販売を中止せよ」等の事実無根の脅迫文をみて、ある店主は「こんな汚いことを書いてよこすのはきっと欲のからんだ韓国人か、それに結託した在日でしかない。身内の恥だ。」と憤慨した。

「免許をもっていないものが販売するのは確かに違法といえば違法だが、悪質ではないかぎり、現状としては韓国人食材店へ立入り調査等のために警察、税務署はうごかない。まして酒販免許は年を追うごとに緩和の方向へむかっている」とある韓国酒造・卸メーカー日本支社のニューカマー、L.C氏が説明してくれた。

 しかし、この事件は韓国語や韓国の知識をふりまわす心無い、エセ韓国通の日本人が愉快犯としてしたのか、在日とニューカマーの利害がからんだ近親憎悪的しわざなのか、それともニューカマー同士の営利上のやっかみからのことなのか謎の部分も多い。

(こ ひょんみ、ジャーナリスト)
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中国にとっての「教科書問題」の意味

瀬崎 真知子

 4月3日、日本の文部科学省は「新しい教科書を作る会」(以下、“作る会”)が編纂した中学校歴史教科書が教科書検定に合格したことを発表。日本政府の予想以上に、いや予想通りというべきか、国外の反応は大きい。だが実際には、国外の反応は国(とくに中国と韓国)によって微妙に違いを見せている。最近の中国『環球時報(GLOBAL TIMES)』(4月6日)をもとに、中国にとっての「日本の教科書問題」の意味をひも解いてみたい。

 日本は新しい教科書を捏造した〜皇国史観の宣撫と侵略戦争の美化、日本国内の世論とアジア各国の批判再度噴出]1997年に成立した“作る会”は、現行の中学校歴史教科書が“民族的自虐性”を備えているという主張を口実に、侵略の歴史を否定し、侵略戦争を美化する歴史教科書を編纂した。それが2001年4月に行われた文部科学省の教科書検定に合格した。検定の中で、日本国内外の世論の圧力により、文部科学省は“作る会”に対し、提出した教科書の原稿の中で明らかに歴史を改ざんし、侵略を美化した137の記述部分を書き直すよう要求した。

 しかし、“作る会”はこの137箇所のの記述部分を改めただけで、教科書中の歴史事実を歪曲し、侵略を美化する実質的内容については改めていない。文部科学省の検定に合格したこの歴史教科書は、意図的に南京大虐殺について触れず、極東国際軍事裁判(東京裁判)に関する部分でこのように記述している。「極東国際軍事裁判の判決の中で、日本軍は1937年に南京において中国の民間人を多数虐殺した(南京事件)とされている。しかし、この事実に関しては史料の上で多くの疑問点があり、事実関係に関して実際はどうだったかについてはさまざまな見解があり、この論争は今にいたるまでなおも継続している」

 満州国建国に関して、“作る会”の教科書は「日本の重工業の進出により、“五族協和・王道楽土建設”のスローガンのもと満州国の経済は発展し、満州国に入境した中国人も多数に上った」と記述している。また、日本の発動した侵略戦争に関しては、「戦争の開始時期には日本軍は連合国軍を打ち破り、長い間欧米の植民地統治下に置かれたアジア人に勇気を奮い起こさせた……」という記述がある。しかし、教科書の中には、関東大震災での朝鮮人虐殺や従軍慰安婦などに関する記述はまったく見当たらない。

 日本では1982年と1986年に、歴史事実を歪曲し、侵略を美化した歴史教科書の問題が起こっている。当時日本及びアジア各国の世論の激しい批判のもと、日本政府は教科書編纂に関する「隣国約款」を制定した。歴史教科書問題に対し、国際理解と各国の協力を得るという点から、関係各国の了承が必要である。この間の世論は日本の現行の歴史教科書検定制度の中で、文部科学省は日本政府の主要機関として、「隣国約款」に照らして“作る会”に教科書の中の誤った箇所を徹底的に改めるように要求したと指摘している。しかし、文部科学省は、国内世論の批判とアジア各国の抗議を省みず、曖昧かつ寛容な態度をとった。このため、日本政府は歴史を歪曲した教科書の問題が浮上する上で、避けられない責任を負っている。……(一部抜粋・塚田和茂訳)

 この記事では、“作る会”を「日本右翼学者団体」(原文)と形容している以外は事実を記述することに始終している。実際、中国側の対応は、中国の陳健・駐日大使が3日に記者会見し、「このような教科書が検定を通ったことに、大きな驚きと遺憾の意を表明する」と非難するというものだった。韓国の崔相竜・駐日大使」が、9日、外務省の川島裕事務官を訪ね、「韓国内の雰囲気は厳しい。遺憾の意を伝えたい」と述べ、同日、韓国政府が大使を一時帰国させることを決めたのに比べると、一見穏やかな対応だった。中国には、対米関係の見直しや国内経済への日本の協力の必要性もある。そうした現状からくる対日穏健政策の表れともとれる。だが、そんな政府の路線と国民感情は、往々にして一致しない。4月21日、中央電視台はニュースの企画の中で、南京大虐殺の調査にあたる初老の日本人女性のドキュメンタリーを放送した。この女性はカメラの前で「同じ日本人として(南京大虐殺の事実を否定するのは)恥ずかしい」と語った。私は、この女性の台詞をもちろん彼女の本心からの言葉として受け止めつつ、この番組を見た。しかし、一方で、今なぜこの時期に、この放送を流す必要性があったのか。つまり、この女性が一種のプロパガンダとして利用されてはいないだろうかとの疑念も私には残った。直接、日本を非難するのではなく、日本人自ら語らせるというやり方で、間接的に日本を非難する。間接的であれば、政府の穏健政策の枠を大きく出ることはない。

 現在の中国政府の日本の教科書問題に対する見方は、日本だけの問題ではなく「“日本と世界”の問題」というものである。つまり、中国対日本という対立的な視点ではなく、中立的な視点から、歴史的事実をゆがめた教科書を承認した日本政府の責任を問いたいという姿勢だ。政治の場面で、以前のように簡単に「歴史」を持ち出せなくなってきている。それゆえに、中国政府が穏健政策を取れば取るほど、逆に国民感情が地下に潜っていき、さらに激しい矛盾とジレンマを生む恐れがある。国民レベルの歴史の傷がまだ癒えていないことを認識した上での対応が日本政府に求められている。

(せざき まちこ・中国在住AWC会員)
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アフガニスタン考(前編) いま、必要とされるべき視点

牧 良太

 国家とは何なのだろうか。いわゆる「近代国家」の概念がその基盤を「民族」に置くのだとしたら、アフガニスタンにはいくつの国家が必要になることだろう。そして彼らは一体何のために戦いつづけているのだろうか。各派とも、究極的には「平和」を求めて戦っていながら、長引く内戦の中で彼ら自身気付かぬままに、じつは戦争にこそ生きがいを見出すようになってしまっているのではないだろうか。

米ソ冷戦の置き土産

 89年にソ連軍が撤退し平和が訪れるかと思われたアフガニスタンだが、内戦は泥沼化し現在に至っている。過去20年で600万人以上の難民を生み出し、全土にばら撒かれた地雷は500万発以上。さらにここ数年は地震や旱魃が続き、地域によって農業は壊滅的だという。それでも戦火だけは止む気配がない。

 対外戦争が終結すると内戦が始まる、という図式は対ソ戦後に限った現象ではない。18世紀、サファービー朝イランとムガール帝国という衰退しつつあった2大国の狭間に成立したアフガニスタンは部族社会がその基盤であるために、歴史的にも統一された中央集権国家には程遠く、国内には常に民族、部族対立をはらんでいた。さらにシルクロードの要衝を占めるその地政学的な位置付けから、英露、米ソといった大国の代理戦争の場としての役割をも担わされてきたのである。

 イスラーム原理主義勢力の勃興やテロリズムの拡散など、今日「国際社会」が懸念を表明する問題の多くはその根源を冷戦時代に求めることができるのではないだろうか。米ソを始め、イランやパキスタンなどの周辺各国は、民族・文化的同一性やエネルギー資源をめぐる利権など、それぞれの思惑からゲリラ各派に武器弾薬を与え、イデオロギーや民族感情を煽ってきたのである。今、国際社会は冷戦時の無節操なアフガンへの介入がもたらした重いツケを払わされているとも言えるのではないだろうか。対ソ「聖戦」の英雄であるアフマッド・シャー・マスード氏が現在タリバーンとの戦争でロシアの援助を受けているのが皮肉なら、当時アメリカがムジャヒディーン(ゲリラ戦士)各派に与えた兵器の一部がイスラーム原理主義勢力の手に渡り、アメリカをテロの標的としているのもまた皮肉である。

 そのように国際社会のさまざまな矛盾を体現していながらも、大国の利害が絡まない紛争に世界の関心は薄い。終わりの見えない内戦に対し、世界各国は援助疲れをおこし、支援への熱は消え失せて、アフガン内戦は世界に見放された紛争と言える状態であった。

「国連は飢餓に苦しむ民衆よりも仏像が大事なのか」というタリバーンの主張はその意味でじつに的を得た指摘である。その真意はどうあれ、バーミヤン石窟仏の破壊はこれまで国連が行ってきたどのようなキャンペーンよりも効果的にアフガニスタンの惨状を世界に知らしめることに成功したと言える。

タリバーン批判の落とし穴

 これまで報道されてきたタリバーンの話題といえば、男性への顎ヒゲや女性へのブルカ(全身を覆うスカーフ)の強制、公開処刑など、徹底した「イスラーム原理主義」ぶりを異端視するものが主であったように思われる。国連や国際社会の大勢は、その前近代的強権政治と人権抑圧を理由にタリバーン政権を承認しない、という立場を取っている。この度のバーミヤン石窟仏破壊は、そうした世論の潮流に拍車をかける結果となった。しかしタリバーンの特異性とその偏狭性を非難する報道が溢れる一方、タリバーン支配を可能ならしめている要因に関して述べられることは、あまりにも少ないのではないだろうか。

 アハメッド・ラシッド著『タリバン』(講談社)によると、タリバーン兵士・指導者の少なくない者がパキスタンの難民キャンプで育ち、家族やアフガンの伝統とは切り離された生活を送ってきたという。また、その政策やイスラーム解釈はけっしてアフガニスタンの伝統に則ったものではない、とは多くの研究者が指摘しているところである。それでもタリバーンは1994年に出現して以来、瞬く間に各地を制圧して現在に至っている。イギリスやソ連を相手に頑強な抵抗運動を戦い続けたアフガン民衆を、首都カブールに限っても5年以上にわたって支配し続けているのである。これははたして軍事力のみによるものなのだろうか。

 そもそも今日のタリバーン伸長の最大の要因は、ソ連軍撤退後のムジャヒディーンの腐敗だと言われている。ソ連との戦争が終わると途端に権力闘争に走り、暴徒と化したゲリラ「聖戦士」たちに対して、規律正しいタリバーン兵士たちは「世直し隊」として歓迎されたのだ、と。現在でも、タリバーン支配下でタリバーンの規律に従っている限り治安は安定していると伝えられている。積極的な支持なのか、あるいは一時的な妥協なのか。タリバーン支配は「どのような形であれ平和を」と願う民衆の苦渋の選択であるのかもしれない。アフガニスタンをめぐる表層的な事象の影に隠れ、民衆の声が伝えられる機会はあまりに少ない。

(まき りょうた・フリーライター)
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情報交差点

会員動向

笹岡正俊

「追い詰められるセラム島の山地民:『宗教抗争』に揺れるインドネシア・マルク諸島の辺境を歩く」が『世界』4月号に掲載されました。また、「座談会 マルク『宗教抗争』はなぜ起きたのか〜ウォーレシアの歴史と現在」(尾本恵一・笹岡正俊・新妻昭夫・弘末雅士)が所収された『シリーズ海のアジア第4巻 ウォーレシアという世界』(岩波書店)は、現在書店にて絶賛発売中です(笹岡)。

内田和浩

私と妻の合作の旅エッセイがハービス旅大賞(主催/阪神電鉄&日本旅行作家協会)という賞をいただきましたのでご報告いたします。筆者名は妻の愛称のYINGYINGというペンネームにしています。お読みいただけると幸いです(内田)。

第4回ハービス旅大賞 最優秀賞:シルクロードへ里帰り YING YINGさん

過去にご執筆していただいた方々の動向

中川喜与志さん

「週刊金曜日」で記事を書きました。4月6日号に掲載されています。昔からの知り合いである在日朝鮮人の宋斗会翁へのインタビュー記事です。テーマは、1945年敗戦直後に舞鶴湾で起きた浮島丸事件です。正確には、浮島丸事件をめぐる日本政府に対する陳謝と賠償を求める訴訟に関して、です。週刊金曜日を手にする機会がありましたら、ご笑覧ください(中川さん)。

記事へのご感想

『リキシャ』4月号、杉岡幸徳 フォトグラフ・フロム・アジア「国道6号線 タケオゲストハウスの怪」について

 いいですね〜。 いや〜、杉岡さんのこの文章は100年に一度 お目にかかるかどうかという傑作ですよ。出だしからいっきに読ませるテンポのいい文章。けだるく安穏(?)としたゲストハウスの描写も、 わかりやすくていいですね。もう、わたくし、ほんとうにこの文章気にいってしまいました。何度よんでも、あきない。よめばよむほど味の出るお徳用スルメのような文章。もう、超くせになりそう。相当つよいアディクティヴですね。デフレで暗い現代日本社会に、スカッと一発あかるい笑いをくれて、ありがとう! 今夜ねるまえにもういっぺん読んでたのしい朝をむかえよう(青山有香、ジャーナリスト)。

イベント情報

歴史歪曲・女性蔑視の「つくる会」教科書を採択させない!

 

報告

リキシャはアフリカにも伝わっていた!?

ザンジバルの博物館に人力車が展示されていました。1965年くらいまで、観光客や、外人官吏などが利用していたと解説されてました。あの「ザンジバルのからゆきさん」も乗ったのでしょうか? それは不明です。もっともザンジバルの交通の主流は、現在はダラダラと呼ばれる乗り合いトラックのバス。私もダラダラでポレポレ(ゆっくり)とブブブという町まで行きました。(豊田直巳)

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編集後記

複合民族国家マレーシアの華人住民の間で政府の中国語教育を軽視する教育政策への不満が高まっている。これはマレー人の経済水準をあげる「マレー人優遇政策」の影響があるようだ。これに対し立場の違う華人系政党が同調し国会で反対し華人小学校を増設するように訴えている。ナショナル・スタンダードの方向に揺り戻し現象が起きている米国など考えてみると、複合民族国家における多文化教育のあり方というのは、いったいどうあればいいのか。(や)

じつは近年、ちょっとした“沖縄移住”ブームである。その取材で、ある人に「沖縄の何が彼らを惹きつけていると思うか」と聞くと、彼は「それよりも、なぜ日本が嫌になってしまったの?と思う」と言う。小泉純一郎首相の登場も「“いやな日本”をガツンと変えてくれそうな人」という国民の期待の表れなのだろう。だが、政策よりも「変えてくれそう」が優先する今の日本の風潮は危険だ。(S)

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月刊リキシャ2001年5月号(通巻第31号)
2001年4月28日発行
編集人 白取 芳樹/発行人 八尾 浩幸
発行 亜洲通信社リキシャ編集部

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