Rickshaw(リキシャ)

2001年4月号(第30号)

目次


定例会報告(第43回、2001年2月24日)

フジモリ前大統領と日系ペルー人社会

神奈川県立寛政高校教員 島本篤エルネストさん

フジモリ日本滞在への日系社会の反応と影響

 昨年11月に、アルベルト=フジモリ=フジモリがAPECの会議から急遽、日本に立ち寄ってそのまま留まり辞表を提出したことで、ペルー国民はかなり心を傷つけられました。多くの人が彼に対して「コバルデ(スペイン語で「腰抜け」の意味)、何で帰ってこないんだ」と考え、その矛先が一時は日系人に向けられもしました。「チーノが全部持っていっちまった」とも言われました。ペルーでは中国系も韓国系もひっくるめて「チーノ」と言われますが、これは目が細い、起きているのか眠っているのかわからないといったイメージの蔑称です。ですが年明けにはそれも収まりました。現在の暫定政府の首相ペレス・デクエヤルは1995年の大統領選でフジモリに負けた際にレイシスト的な発言をしたことがありますが、今のところそのような発言はなく、逆に日系人との融和を図っています。

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 フジモリはいずれは帰国しなければならなくなるでしょう。問題は時期だろうと思います。来る4月に国会議員、自治体の首長を一斉に選ぶ総選挙があるので「その直前に帰国では混乱が起こる。選挙が終わり落ち着いてから帰るべき」が大方の日系ペルー人の見方です。直ちに帰国すべきと言っている人は多分に政治的な意図があるような気がします。

 フジモリの日本滞在問題に対しては、ペルー本国でも今のところ本格的に彼を訴える動きは活発ではありません。そのための材料が揃わないという状況もあります。彼はペルーを追われて脱出したわけではないので、日本滞在までの時間を有効に使い様々な物を国外へ持ち出したと言われています。フジモリ辞任の直接の原因となった、彼の部下だったモンテシノスが野党議員を買収している現場を映したビデオもテレビ局が100万ドルで入手したと言われていますが、このようなビデオはこれ以外にもたくさんありフジモリが持っていると言われています。所持金も多いようです。彼の元妻スサナ・ヒグチは、彼は銀行をまったく信用しておらず金はすべて現金で持っているのでいくら口座を調べても出てこないと証言しました。とにかく、彼はかなり計画的に日本滞在の準備を進めていて、証拠隠滅も進んでいるようです。

フジモリ政権と日系社会

 フジモリ政権が誕生した1990年の選挙では、日系人のほとんどはフジモリに投票しませんでした。もし日系の大統領が誕生して失敗したらとばっちりが日系社会に来る、日系人は大統領になるべきではない、という意見が大勢を占めていたと言われています。それには第二時大戦中の反日系人暴動の記憶が背景にありました。1899年に始まった日本からペルーへの移民は、当初は賃労働者としての農業への従事でしたが、その後、契約どおりの賃金が支払われない、風土病などで死者が多数出たなどの理由で、その多くが都市部に流入しました。そして1930年代には日系人経営の店がリマ市内でも増え、裕福な家も増えました。そうした中で第二次大戦中には、彼らへの反感と日本に宣戦布告を迫る米国のペルーに対する圧力があいまって暴動が起きました。

 大学教授やエンジニアなどの専門職に就いている日系人はかなり多いので、日本人は勤勉でよく働き正直とのイメージがペルーでは確かにあります。それを崩さないためにも日系人は大統領にならない方がよいと多くの人が考えたわけですが、結果としてそのイメージを使ったフジモリが当選しました。

 フジモリ政権の最初の課題、インフレ抑制は、物価上昇も辞さないという経済政策によって達成され、経済的な革命とも評されました。ですが、彼には政治的基盤がありませんでした。当選直後は日系人を多数登用してそのつながりを強調していましたが、全人口の1%未満ですし、それだけではうまくはいきません。そこで軍の力を利用しての政権維持が政権初期から始ました。1992年には自分の政策を国会が妨害するという理由で自主クーデターを起こしました。その頃、フジモリは反政府勢力の殲滅に力を入れていました。そしてペルーの代表的な反政府組織、センデロ・ルミノソと1996年に大使公邸を占拠したトゥパクアマル革命活動を抑え込むことに彼は成功しました。こうして2000年の総選挙時には、かなりの日系人が親フジモリになったわけです。

ペルー日系社会の地位

 1990年には日本の出入国管理及び難民認定法(以下、入管法)が改定されて「デカセギ」現象が起こります。在留資格として日系2世には「日本人の配偶者等」が、3世には「定住者」が与えられました。ペルー全人口の約0.8%、8万人を占める日系人のうち約4万人が今では日本に来ており、約100万人のうち30万人が日本に来ている日系ブラジル人よりも高い割合です。初期には戸籍の売買も行われました。日本人と血縁があるなら受け入れるという人種差別的な入管法ですから、非日系人が日系人になりすまして日本に働きにくるという現象も起こりました。中には本当に日系人でありながらそれを証明する手段がなく「偽装日系人」となって日本で捕まった人もいます。現在では日本に来て働くことは日系人にとどまらずペルー人全体の選択肢の一つになっていると言えます。日系人と結婚している非日系ペルー人でも働きに来ることができます。

 多くのペルー人が日本に来て、いろいろなことに驚きます。例えば駅のそばにたくさん置いてある自転車を誰も盗まないのかと。そして思っていたとおり日本は安全な国だとまず最初に勘違いし、在日日系ペルー人の間では鍵もかけずに出かけてしまったりすることも往々にしてあります。ペルーにいたときに自分たちが持たれていたステレオタイプを今度は自分たちが日本人に対して持つということかもしれません。そのステレオタイプは一連のフジモリ騒動で薄れるかも、と思ったのですが、今後もどうやら続くようです。一時ペルーでは、日系人である国会議員の一人がフジモリの後継者と目されて政治の要職に就いたこともありますが、その後、袂を分けたということもありました。その意味で日系社会が1枚岩というわけでもありませんし、日系人対その他の民族という図式でもありません。日系の大統領はまたいずれ生まれるだろうと思います。

フジモリとは誰だったのか

 フジモリは重国籍者です。1985年以降、日本の国籍法では出世時に重国籍になった者は22歳までにどの国籍を選択するか宣言すべきことになっていて、日本国籍を選択しないと喪失します。そして1985年前に一定の年齢に達していた者については過去に遡って日本国籍を選択したものとするみなし規定があり、これによって彼は日本国籍が留保された状態でした。それを理由に彼は曽野綾子邸にずっといますが、同一人物が持つすべての国籍が同等というわけではなく主たる国籍がどこにあるかという観点が大事であり、彼の場合は明らかにペルー国籍です。ペルーで生まれ育ちペルー大統領としての日本入国も20回近くになります。したがって、国籍の問題は事実上問題ではないと考えるペルー人は多いですし、国際的にもそれが水準だと思います。

 フジモリは、近年のペルーで最も勤勉で優秀な大統領であったと見ることはできると思います。ハイパーインフレやテロ活動の抑制に成功し、長年の懸案事項であった隣国エクアドルとの国境紛争も解決しました。一方でマイナス点もあります。脆弱だった政権基盤維持のために早い時期から軍部に依存し、軍部の暴走には何も手を打たず、むしろ利用して独裁体制を強化したのも事実です。彼の政権下で人権侵害もたくさん起こっています。たとえば日本財団の支援によりペルーのアマゾンの先住民族を対象に強制不妊手術が行われていたようです。これは曽野綾子自身の口から出てきた話です。また、テロリスト撲滅を理由にすべての大学内に軍隊を駐留させていたときに学生と教員が突然連行され行方不明になって死体で発見されたり、モンテシノスの牙城だった国家情報局SINで働いていた女性が暴行を受けて半死の状態で発見されたこともあります。

 モンテシノスがやっていることにはフジモリが全て関与しており責任があると考えるべきです。また、彼の経済政策のもとで国家レベルでの経済指標こそ良くなったものの、人々の暮らしが良くなったとは言えません。したがって日本への出稼ぎも減っていません。

 「フジモリとは誰だったのか」と問うと、ピノチェトだったという答しか出てきません。2月24日にはフジモリの10年間の公職追放が議会で決ったと現地の新聞で報じられています。ペレス・デクエヤル首相は「今後ペルー政府は、日本政府に対してフジモリの送還を強く求めていくようになる」とあります。ようするに捜査対象だから協力しろということです。これに対する日本政府の対応を注視していきたいと思っています。

(永塚 正男)
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帰らなくていいの? フジモリさん!

−ペルーで何があったのか?−
牧 良太

 10年間の公職追放が決議されたのに続き、ペルー政府からフジモリ前大統領の身柄引渡しを求める声はますます強まる気配を見せている。そのような中、去る3月11日には千代田区カンダパンセにおいて、上記の集会が開催された。共催はペルー民主化連帯ネットワーク(RESODEP)、(社)アムネスティ・インターナショナル日本、ピースボート・ペルー2001キャンペーン。プログラムは大串和雄氏(東京大学法学部・ラテンアメリカ政治研究)による基調報告に始まり、伊藤千尋氏(ジャーナリスト)、後藤政子氏(神奈川大学外国語学部・ラテンアメリカ現代史)、アルバロ・デルカスティーヨ氏(在日ペルー人移住労働者。1991年来日)による報告、最後に上記4氏に小倉英敬氏(RESODEP)、寺中誠氏(アムネスティ)、野平晋作氏(ピースボート)を交えたパネルディスカッションと進んだ。以下に各パネリストの発言を抜粋する。

大串和雄氏

 フジモリ政権の功績は非常に誇張されて報道されてきたと言える。現在報道されているフジモリ政権の腐敗や弾圧にフジモリ氏がどの程度関与していたか、責任を有するかは調査を待たねばならないが、政権としてそれらを隠蔽し黙認したことは事実である。そのような政権の首謀者を匿い続ける日本人と日本政府は、独裁と腐敗の共犯者と言われても仕方がない。国際法においては、重国籍者の場合でも、より結びつきの高い国の国籍が優越するという判例がある。日本政府が法に従った解決を望むのであれば、フジモリ氏の国籍に関して国際司法裁判所の仲裁を受け入れるべきであり、我々はフジモリ政権の共犯者とならないためにもそのような運動をおこすべきではないか。

伊藤千尋氏

 インフレの収束や内戦を終わらせたフジモリ氏の政権第一期目は評価できる。ただし、その後、彼は独裁者になってしまった。日本におけるフジモリ擁護論には2つの考え方があり、その1つは彼の強権的な政治手法を支持するというもの。他方は日系人だから、というものである。前者は民主主義の破壊であり、後者はナショナリズムである。民主主義を守るためにはフジモリ政権が行ってきたことを正しく認識し、血縁にとらわれず、その人個人の行為を評価するのでなければならない。ペルー人はフジモリ氏に対して行動を起こした。ところが日本人は森首相に対してすら行動を起こそうとしない。フジモリ氏への対応は、社会に対してどのように働きかけるかという、民主主義の問題でもある。

後藤政子氏

 フジモリ政権時の経済成長は金融業と建設業に限られており、貧困層は減少したとは言えない。むしろ中間層の下落傾向も見られる。テロ撲滅もフジモリ氏の功績ではなく対立する警察情報部によって行われたことだ。フジモリ氏の強圧的政策は経済自立発展の余地を奪い、民衆の参加を不可能にしてしまった。彼はけっして下層大衆のための政治家ではなかったし、そのための政策も戦略も持たなかった。

アルバロ・デルカスティーヨ氏

 90年のペルーは経済的、政治的問題が山積しており、紛争と飢えを抱えていた。その状況は2000年になっても何1つ変わっていない。1990年には持っていた希望さえ、今では失われてしまった。現在のペルーは経済の危機ではなく、道徳の危機にあるといえる。日本のみなさんに真実のフジモリ氏の姿を知ってもらい、その正義と道徳心を発揮していただきたい。真実こそが希望をもたらすのです。

 その後のディスカッションでも大方の発言はフジモリ政権の功罪、殊に「罪」の告発に費やされた。経済政策の失敗、貧困層救済のまやかし、人権弾圧といった具合に。集会のタイトルに掲げられている「帰らなくていいの」という観点、言いかえれば帰国を促すためにいかに行動するべきか、といった論議に発展しなかったのは残念である。我々が日本人としてなすべきは、フジモリ政権の分析よりもむしろ日本政府に対して、その対応を批判することではないだろうか。パネリストの発言にもあったように、フジモリ氏をなぜ庇うのかという問題は、日本の民主主義の成熟度およびナショナリズムと無縁ではないのだから。

(まき りょうた・フリーライター)
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日本の出入国管理政策と日系、非日系ブラジル人の困惑

西中 誠一郎

 北区十条にある東京入国管理局第二庁舎は、違反調査や違反審査などを主に行い、そして不法入国やオーバーステイの外国人などを収容する収容場がある。週末の金曜日ともなると、違反調査・審査を受けるために訪れる人や,収容されている家族や友人・知人などに面会を求める人で、廊下や待合所は人ごみでごった返す。面会に来て2,3時間待たされることはざらである。

 この人ごみの中で、面会を待つ人たちの相談を受けたり、入管職員に頼まれて調査や面会の通訳を、丸一日がかりで引きうけている日系ブラジル人の女性Sさんに出会った。Sさんは日系2世で、幼い時にお父さんに連れられて来日した。その日本語やポルトガル語の能力と、長い在日生活の中で培った幅広い人間関係を通し、オーバーステイのブラジル人に関連する相談を昨年の秋頃から受けるようになり、入管通いが始まったのだという。彼女と初めて出会ったのは2月中旬だったが、収容されているブラジル人の帰国のための手続きや準備、安い航空券の手配などで、Sさんは庁舎の中を駈けずり回っていた。

 「オーバーステイのブラジル人」とはあまり耳にしなかった言葉だ。1989年12月に入管法が改正され、日系人には「我が国社会との血のつながり」(法務省『第2次出入国管理基本計画』より)があるからという理由で、1年から3年の「定住者」や「日本人の配偶者等」の在留資格が出るようになった。この在留資格には活動の制限がないため、多くの日系人が就労を目的に来日し、「非熟練外国人労働者」としては実質上、唯一在留資格を認められ、自動車産業などを中心に労働市場の景気の調整弁的な役割を担わされ、いわゆる「3K労働現場」を支えてきたことは周知の事実である。とすると、オーバーステイになったのは「非日系」のブラジル人であるということだろうか。

 「ブローカーに騙されて日本に連れてこられた人たちなんです。皆さん、非日系のブラジル人です。日系人の戸籍証明やパスポート、飛行機代などをブローカーから高い値段で買わされて日本に来たけれども、仕事も少なくて、生活費や帰国するためのお金すらない人もいます。それで彼らは昨年秋に入管に泣きついてきました。でも入管がきちんと対応しなかったので、1月中旬にマスコミに連絡したんです。それで入管も慌てて約40人を収容したんですけれど、収容するだけ収容して何もしてくれないから、結局私が頼まれてボランティアでやってるんです。自分の子供の面倒も見なくてはいけないのに大変です」

 困っている人からお金を取るわけにもいかないし、入管職員も都合よく相談してくるのだから、入管がアルバイト代ぐらい出してくれないかしら?とSさんは明るく笑い飛ばして、この間の事情を説明してくれた。その間にも何度も彼女の携帯電話が鳴った。

 ポルトガル語の新聞や人づてにSさんのことを知り、連絡をとってくる人が後を断たない。ある男性はサンパウロ新聞で2年契約の仕事の記事を見て、ブローカーに8000レアル(約50万円)払って来日したものの、斡旋業者にパスポートを取り上げられ、栃木県内のハンバーグ製造会社で5ヶ月間働いたが仕事も少なく、国を出るときの借金や、会社から月々斡旋業者へ支払う経費を給料から引かれ、食費を賄うので精一杯で、駅で寝泊りしたこともあった。また40代の女性は、来日したものの仕事を斡旋してもらえず、探したが結局見つからず、アパートも追い出され友達の家に転がり込んだという。日系ブラジル人の多くも斡旋業者を通して仕事を紹介してもらっているので、国を出るときの借金や、日本の不景気が「非日系人」の困窮に拍車をかけているようだ。

 一方、見るに見かねた各地の斡旋業者に頼まれて、車で回って入管まで連れていき交渉して、自費で帰国できるように短期のアルバイト先を紹介している日系ブラジル人もいる。彼の話しによると、非日系ブラジル人でオーバーステイで働いている人は現在4,500人は下らないし、まだまだ増えるだろうという。特に農村部からの出稼ぎが増えてきているのが特徴だという。

 現行の入管法が施行された直後にも「非日系ペルー人」のことが話題になったことがあった。しかし日系人社会がしっかりと存在し、戸籍制度の運用が厳格だったブラジルでは「非日系人」の出稼ぎ問題は最近までなかったとある弁護士は言う。しかし「日系人」の日本への大挙の出稼ぎが、10年の間にブラジルにおける日系人社会の空洞化を生んだことは間違いない。その最大の原因は「日系人」を、「労働市場の景気の調整弁」として都合よく利用してきた、日本の出入国管理体制にある。今後、ブラジルの労働年齢層の空洞化を進めないためにも、来日した「日系」・「非日系」ブラジル人労働者を困惑させないためにも、「労働ビザ」のあり方全体を再検討し、明確にする時期になっているのではないだろうか。

(にしなか せいいちろう/ビデオ製作・フリーライター)
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亜洲世相断片 ベトナム発(1)

ベトナムの少数民族をめぐる報道状況と実状

鈴木 孝之

 2001年2月9日付のベトナムの新聞各紙に、次のような、少数民族に対する政府の態度がうかがえるような記事(要約)が掲載された。

「1月29日にザライ省で2人が逮捕された。そのことについて誤った情報を聞いた人々が多くの地方からプレイク(ザライ省の省都)に集まり、省の人民委員会と党委員会の建物を取り囲んだ。彼らは逮捕された2人の解放と土地問題の解決を訴えた。

 ザライ省の党委員会と人民委員会は職員を派遣して、逮捕された2人は法律に違反したために捕まったこと、彼らは民族大団結の分断を扇動したこと、また、すでに釈放されたことを集まった少数民族の前で説明した。

 集まった人々に党と国家の土地問題に関する政策の正しさを省の職員が説明すると、群衆は解散し、それぞれの地方に帰っていった。

 続いて2月3日から6日にバンメトート(ダックラック省の省都)とダックラック省内のいくつかの地方で、規模は小さいものの同じような事件が起こった。数人の過激分子が民族大団結の分断を扇動し、村や県の役所の建物を破壊した。しかし、地方政府職員の説明を聞き、人々の大部分は解散した」

 この記事は、私の知る限りでは「解放サイゴン(Sai Gon Giai Phong)」「労働者(NguoiLao Dong)」「若者(Tuoi Tre)」「青年(Thanh Nien)」の各紙に掲載されていた。1字1句違わぬと言ってもいいくらい、末梢的な部分を除けばまったく同じ記事であった。

 いくら社会主義国とはいえ、ベトナムの新聞各紙が同一記事を掲載するなどというのは珍しいことだ。これに関して、外国企業に勤める30代のあるベトナム人男性は「少数民族の問題は政治的に『微妙な』問題だから、(世論をコントロールするために)ハノイが記事を作って各紙にそれを掲載させたんだ」と言った。

 また同じ男性によれば、「これは少数民族がコーヒー栽培に適した土地を政府に取り上げられたことに対する反発だろう」「ベトナムでこういう騒ぎが起こるのはいつも土地がらみだ」と指摘した。

 また、シクロ&バイクタクシーの運転手をしている40代後半の男性は「政府に土地を強制収用されて、その補償が不十分だったんで抵抗したんだろう。だからこの2人は捕まったんだ。ほかの人たちはそれが不当な逮捕だと訴えて集まったんだろう」と語った。

 お読みになればわかるとおり、この記事には「2人が具体的に何をして逮捕されたのか」とか「プレイクやバンメトートに集まった人々は何人だったのか」といったような重要な細部が欠落している。それで、この部分を補う記事をインターネットで見つけた。

<ベトナム中部で暴動、少数民族が土地返還を訴え> (NNA) 2001年2月12日

「ベトナム中部のザライ省プレイクで先週、少数民族2万人と警官隊が衝突、警官30人、デモ隊200人あまりが負傷したもようだ。米国の非政府組織(NGO)モンタグナード・ファンデーションによると、少数民族は今月2日に5,000人規模のデモを実施、先月末に逮捕された活動家2人の釈放を要求した。4日には参加人数が2万人に膨れ上がり警官隊と衝突した。6〜7日には周辺地域でも数百人規模のデモがあったもようだ」

 その事件があったとき友人がたまたまバンメトートに滞在していたという20代の女性と話をした。その友人(男性)は少数民族が大勢集まっているのを見て怖くなり、すぐにバンメトートを発ってホーチミン市に帰った。彼の話では数千人規模のデモであったことは間違いないらしい。そして、その後彼が現地と電話で連絡を取ってわかったところによると、捕まった2人というのは少数民族ではなく、米国籍を持つプロテスタントのベトナム人牧師だという(中部高原地帯の少数民族はほとんどがプロテスタントで、アメリカのプロテスタント組織と太いパイプを持っている)。

 事実についてははっきりわからないことが多いが、この事件の背景には土地収用に絡む少数民族への補償問題と、米国の反ベトナム政府系のグループが宗教を利用してベトナム政府をゆさぶっていたということがあるのは間違いなさそうだ。ベトナムでは国外の反政府運動が宗教団体を通して国内のそれを支援しているケースが多いからだ。いずれもベトナム政府にとっては頭の痛い問題である。少数民族を含めた全国民を納得させる解決策を提示できるかどうか、ベトナム共産党の政権担当能力が問われている。

(すずき たかゆき・ライター、ベトナム在住)
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情報交差点

会員動向

本田 親史

現代思想2001.3月号pp180-189に論文「台湾海峡両岸におけるメディアと公共圏のポリティクス」が掲載されました。また「法政大学社会研究」に”For Publicizing East Asia”が掲載されました。

「法政大学社会研究」は非売品につき閲覧ご希望の方は本田(tel:042-355-0061、chonda42@hotmail.com)まで。

イベント

第8回 アジア系アメリカ人研究会例会

セミナー「国軍はいま何を考えているか〜危機・民主化・役割・権力争い」

アンソレーナさんと住民運動を語ろう

〜政府の貧困対策に変革をもたらす住民組織 とNGOsの活動

民衆のメディア連絡会4月例会

NHK「戦争をどう裁くか」に何が起きたか ―「女性国際戦犯法廷」の報道を検証する

 今年1月末、NHK教育テレビはETV2001という番組で、「シリーズ戦争をどう裁くか」を4夜連続放映した。

 1月30日放映の第2回「問われる戦時性暴力」をめぐって・事件・は起きた。この番組は、昨年の「女性国際戦犯法廷」を紹介する内容になるはずだったが、同法廷の主催団体VAWW-NETジャパンの意図はねじ曲げられ、不自然な編集が目につく形で放映された。番組放映前から右翼の抗議行動が起きており、制作プロダクションを飛び越えた形でNHKが直前に放送内容を改ざんした“疑惑”が根強くささやかれている。

 例会では「問われる戦時性暴力」を参考上映して検証したい。お話はこの問題を精力的に取材している竹内一晴さんにお願いした。

動き

Web上に「『新しい歴史教科書』への抗議文アーカイブ」が登場

http://www.jca.apc.org/~itagaki/history/index.html

 昨夏以降、再びクローズアップされている歴史教科書問題で、近代日本の植民地政策・支配や侵略戦争についての記述を大きく削除したり問題点を曖昧にするような動きに対する抗議の声を総体的にとらえようという目的のもと、上記のWebサイトが登場しました。今後も声を集める予定とのこと。どのような人たちからどのような声があがっているのか、ぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。(白取芳樹)

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編集後記

朴一(ぱくいる)氏はある雑誌で、在日韓国・朝鮮人系信用組合が昨年12月に相次いで破綻したが、これも場当たり的な日本の金融行政の罪だと指摘している。在日コリアンが外国籍だということで多くの担保を求められて、日本の金融機関から締め出されていったり。また690億円もの負債をもってしまった関西興銀を韓国との外交上の思惑からつぶさなかったり…。すべてがこの調子で、多くの在日コリアンの暮らしを見通さずに対応をしていた。本当に金融行政の罪は重い。(や)

今月号は定例会報告に関連させて「日系」に関する記事を揃えてみました。あるときは「日系」を都合よく利用し、あるときは排除する日本社会の身勝手さの一端が浮き上がってきていれば幸いです。/「情報交差点」、今月はイベント情報が多くなりましたが、形はまだまだ模索中です。同コーナーの活用方法に関してもドシドシご意見をお寄せください。(し)

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月刊リキシャ2001年4月号(通巻第30号)
2001年3月24日発行
編集人 白取 芳樹/発行人 八尾 浩幸
発行 亜洲通信社リキシャ編集部

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