Rickshaw(リキシャ)

2001年1月号(第27号)

目次


定例会報告(第40回、2000年11月25日)

パレスチナ問題の行方

中東調査会研究員 中島勇(なかしま いさむ)さん

 2000年9月末、イスラエル野党議員の東エルサレムの聖地訪問が引き起こしたイスラエル軍とパレスチナ住民の衝突は、2ヵ月で260人以上の死者を出し、現在も治まる気配を見せない。双方の和平交渉も7月のアメリカ、キャンプデービッドを最後に中断したままだ。はたしてこのまま中東和平は崩壊へと向かうのか。現地情報に詳しい中東調査会、研究員の中島勇さんに、パレスチナ問題の経緯と見方、さらに和平交渉の背景として、一般のパレスチナ人、イスラエル人の中東和平に関する意識について、お話しいただいた。

パレスチナ問題の経緯

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 トルコ、アラビア半島、東地中海という広大な地域が領土だったオスマントルコが、日本でいえば江戸幕府のように、長い間存在していた。このオスマントルコが弱体化して、第1次大戦後に解体し、領土が英仏などの戦勝国に分けられた。今で言うイスラエルの辺りは、近い将来誰かに渡すという前提で英国の委任統治領になったものの、主権をめぐってユダヤ人とパレスチナ人が対立した。そして、決着がつかないままイスラエルが武力で抑え、1948年に独立に踏み切ったのが、問題の発端である。

 その後、イスラエルは1967年の6日戦争の際に、にエジプト、レバノン、シリア領の一部を占領した。

 エジプトは1979年にキャンプデービッド条約でイスラエルに占領されていたシナイ半島を取り返した。国境は国際条約法上、確定されている。ヨルダン・イスラエル間は94年に和平条約が結ばれ、国境線は一応確定している。レバノンでは2000年5月に南レバノンからイスラエル軍が一方的に撤退し、一応紛争は終わった形になっており、休戦ラインが事実上の国境として機能している。ゴラン高原の返還をめぐっては、シリアとイスラエルの間で交渉が91年秋から断続的に続いている。撤退ラインがまだ決まっていないが、イスラエルはゴラン高原を所有する意図はないだろう。ゴラン高原の返還は、安全保障での合意いかんである。

 一口に中東和平といっても、パレスチナ以外のこうした国とイスラエルとの交渉は比較的単純であり、もともとイスラエルに領土的な主権がなかった以上、占領地から撤退して国境を決め外交関係を結ぶという、国家間による普通の紛争処理と同じである。一方、パレスチナ問題は、そもそも主権がどこにあるかという問題から始めなければならない。この点で問題の性格が異なる。その観点から注目すべきなのが、1993年6月10日にイスラエルとPLOとの間で交された相互承認の文書だ。中東関係者の間では、パレスチナ紛争の中でいちばん重要な文書と見られている。これには「双方が紛争を交渉で解決する」と書かれている。別の言い方をすれば、イスラエルが主権問題でパレスチナと話をしてもよいと、公式の文書で初めて認めたものだ。これ以後、パレスチナ人が多い地域での自治の取り決めが次々に交わされるが、これらはすべてこの相互承認の文書を基にした段取り的な合意に過ぎない。だから、もし今度の紛争で仮にいくつかの合意がだめになっても、この文書が生きている限り、和平の基本的な枠組は変わらないと中島さんは言う。

今回の交渉と衝突

 この文書と並んで中東和平において2つめの大きな節目と言えるのが、2000年7月のキャンプデービッドでのPLOとイスラエルの交渉である。交渉では、東エルサレムの聖地、入植地、国境線、難民問題など、今までタブーとされていたいちばん難しい問題が議論された。これを契機に、パレスチナ社会でもこうした問題が議論されやすい雰囲気になった。しかし、ひじょうに重要な問題について話し合われているにもかかわらず、交渉の中身があまり伝わってこず、不満と不安がパレスチナ人の間で広まっていた。こうした中、9月末に、イスラエルのシャロンというタカ派議員が東エルサレムの聖地を1000人(最近の説では3000人)の警察官を連れて訪問した。そして、翌日から騒動が激化し、1928年の「嘆きの壁の衝突」のときに匹敵する、70年に一度の大きな問題になった。お互いが自分たちの内部の動きを制御できないくらい様々な事件が起きており、報復を続けると次になにが起こるかわからない怖さを双方とも感じている。

中東和平の今後〜若い世代の台頭

 ただ、イスラエルの若者が、「死んでも東エルサレムがほしいのか」ともし聞かれたら、本音としてはほとんどの人が「ほしい」とは答えないだろうと中島さんは言う。彼らの間では「やりたくもない戦争」といった不満がかなりあり、「妥協して平和が来るのであればその方がいい」という気持ちが強い。一方、パレスチナ人の側も、国がないまま長期間にわたって十分な行政サービスを受けることができない状態が続いてきたという事実があるので、とりわけ若い世代では、「妥協してもよいから自分たちの国を早く創りたい」という気持ちが強いという。衛星放送やインターネットの発達によって外国の暮らしぶりを知ることで、若い世代の意識はかわりつつあるのである。遅れているシリアですら、衛星放送のチューナーを購入すれば、ヨーロッパの「あぶない」成人向け放送を見ることだってできる。若者の間では、領土などの政治問題より経済を優先する志向が強まっている。古い世代とは価値観を異にする新しい世代の台頭で、交渉をめぐる優先度は変化しており、形はどうであれ、中東和平は進むのではないかと中島さんは見る。

 ただ、和平交渉でいちばん優先すべき課題はパレスチナ難民の問題だと中島さんは言う。そして、今の和平の枠組が不安定になるとするならば、それは、難民たちが納得するような形で解決し得なかったときではないかと見る。例えば、東エルサレムの聖地問題は、もし決着がつかなくて50年、100年と交渉が続くような事態になっても、自分たちの生存という点では誰も困らない。その観点からすれば優先度は低い。だから、政治的には難民問題さえ解決できれば、和平は合意に至る可能性は高い。しかし心配なのは、今のイスラエルが難民問題の発生を国際社会のせいにしていることだ。一方で、自分たちに不正がなされたと思っている難民たちには、イスラエルからのなんらかの謝罪と、土地をあきらめるかわりの経済的な保障がなければ和平は受け入れられないという気持ちがある。

 衝突はあるにせよ、多くのイスラエル人は、パレスチナは国を作るしかないと思っている。遅かれ早かれパレスチナという国はできるだろう。また、PLOの今の指導部が領土的な要求にこだわり続けるのであれば、領土面では妥協することがあってもいいと考えるパレスチナ人の若い世代が、アラファト氏を降ろして決着をつけることもあり得なくはない。多くの若者たちは、「たとえ問題を先送りすることがあってもいいから、一刻も早く自分たちの国を創りたい。普通の暮らしをしたい」と思っているからだ。50年前に始めた祖父や父親の世代の戦争を今の20代が同じ論理でやると考えるよりは、世代間で価値観も変わり、交渉も変わってくると考える方が自然だろうと中島さんは言う。

――この後、中島さんの話を受けて、中東の取材から帰国したばかりのフォトジャーナリスト豊田直巳さんに、パレスチナ難民の現状についてお話いただいた。

 レバノン、シリア、ヨルダンにおけるパレスチナ難民の人数は、西岸、ガザの自治区に住んでいるパレスチナ人の1.5倍から2倍であり、置かれた状況は国ごとに異なっている。

 レバノンでは人口400万人中、35万人がパレスチナ難民。彼らのほとんどは難民キャンプの中で暮らしている。彼らに対しては70の職種において就業制限がある。基本的に、医者、教員、美容師、栄養師など資格の必要な仕事にキャンプの外で就くことはできず、多くの人が、将来の展望を見出せずに失意のまま暮らしている。したがって、彼らには難民としてのパスポートが発給されていることもあり、多くの人々が必至に海外へ脱出しようとしている。こうした背景には、60万人から100万人とも言われる出稼ぎ労働者がシリアからレバノンに流入していることも一因としてある。パレスチナ難民は隅に追いやられている形だ。

 シリアでは、人口2000万人中、30〜40万人がパレスチナ難民であり、社会的な権利はかなり認められている。ただ、政治活動は認められておらず、たとえば医者の場合、医療支援のためにパレスチナ自治区へ行くことは認められていない。

 ヨルダンでは、パレスチナ難民に対して国籍取得が認められている。人口の過半数から4分の3がパレスチナ人で占められている。今回の紛争では、ヨルダン国民としてのパスポートでパレスチナへ行き、投石をして殺された人もかなりいる。国籍を取得できているとはいえ、彼らに対する就職時の差別は存在する。その結果、失業率は、生粋のヨルダン人が17%なのに対し、パレスチナ系ヨルダン人では40%。経済的に苦しい立場に置かれている。

 ところで、難民は、「48年難民」と「67年難民」の2つのタイプに分けられる。今後の和平交渉の行方によっては、帰還できる67年難民もいるだろう。しかし、48年難民の故郷は現在、イスラエル領となってしまっている。したがって、将来のパレスチナ独立国へ「帰る」ことは、理屈に合うものでなはい。48年難民は300万人以上いるとも言われるが、彼らへの対処については今回の交渉でも解決策が聞こえてこない。

 難民キャンプでも大きなパラボラアンテナが現れ、イスラエルのテレビを直接受信できるようになってきた。またレバノン、ヨルダンはもちろん、シリアですらインターネットでの通信が可能になっていた。こうした通信技術の発達により、難民たちの親戚である、イスラエル建国後に残ったアラブ系イスラエル人(全国民の約13%)との情報交換もすでに行われている。これにより、パレスチナ人にも様々な立場の人々が存在することや、その中でどうすることが現実的な解決に結びついていくのかについて、それぞれの立場の人たちが考え、認識を深めつつあるという状況もある。

(志可内 浩・ジャーナリスト)
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中東和平とヒジャーズ鉄道再開計画の噂と

豊田 直巳

 ピーター・オトゥール扮するイギリス人情報将校T・E・ロレンスの率いる部隊が線路に仕掛けた爆薬を爆破させ、突っ込んだ蒸気機関車は砂煙を上げて脱線。そこに、砂丘の上で待ち構えた「アラブ軍団」が一気に襲いかかる―。映画『アラビアのロレンス』の中でもとりわけ有名な場面であるが、そのロレンスたちが襲撃したのが、オスマン帝国支配下のヒジャーズ鉄道だ。

 中東を旅することは何度もあったが、今回初めてそのヒジャーズ鉄道の一部に乗ってみた。シリアの首都ダマスカスにある観光案内所を訪ねると「たしかに、週に何便かあるようですよ」と、国立のインフォメーション・センターとも思えぬ 不確かさで教えてくれた。すなわち「ヒジャーズ駅に行って、確認してください」と。

 私自身、確かに10年ほど前にも、ダマスカスとヨルダンの首都アンマンを結ぶ鉄道が運行しているらしいという話は聞いていた。数年前までは、ヨルダンも国境では入国ビザが取れず、事前に大使館で取得しておかなければならなかった。在ダマスカスのヨルダン大使館で日本のパスポートにしっかり収入印紙の貼られたビザを取得した旅行者が、直通バスに乗って国境に行ったにもかかわらず、何の理由も告げられず入国を拒否されたこともあった。そんな時代に、途方に暮れたバックパッカーたちを救ったのが、ほかならぬこの鉄道であった、と。入国査証を持っているにもかかわらずヨルダンの入管で追い返されたというのも、もちろんミステリアスな話だが、当時、在ダマスカスの日本大使館勤務の知人も似たような話をしていたから、まんざらデタラメでもなかったようだ。「日本赤軍と疑われたのではないか」という噂もまことしやかに囁かれていた。時代は少々遡るが、同業の知人から、ヨルダンで日本のテレビの取材クルーを案内しているときに拘留されて身の毛がよだつ思いをしたという体験談を直接聞いていた私としては、さもありなんと思っていた。ちなみに、彼の身の毛がよだつ思いとは、証拠が残らないように爪の間に針を刺すとか、あるいは爪を一枚づつ剥がしていくというような拷問をされるのではないか、という思いのこと。なぜ彼は、逮捕されて直ぐにそのような想像を巡らしたのか。それは、ほかでもない、ヨルダン警察に捕まって拘留されている最中に「突然死んだ」ということで日本に送り返されてきた日本赤軍のメンバーの遺体から、火葬にふした際に、お骨に混じって拷問の際に体に差し込んだ長い針が出てきたという話を知っていたからだという。

 そんなこともあって、国境での入国拒否くらいは当然あるのだろうと私も考えていた。だが、そんな事情を知らず追い返された日本人旅行者の中には、絶望と怒りから、日本人にとかくありがちな「アラブ」に対する固定概念ともあいまって、「だからアラブは」と思った人もいたことだろう。そしてヒジャーズ鉄道では何故か入国を果たせたという不可思議さにも、「やっぱりアラブは」と思っことだろう。

 しかし、こうしたトラブルは、94年にヨルダンがイスラエルと「和平合意」を結んで以降、急速に解決に向かった。石油の出ないヨルダンは、観光立国を目指して世界遺産でもあるペトラ遺跡の入場料を一気に10倍(ヨルダン国民の平均日給の数日分に)に引き上げるなどの直接的な増収を図るだけでなく、入国手続きの緩和による観光客の急増も当て込んでいる。現在は、日本人なら、国際空港だけでなく陸路の国境でも入国査証が発行されようになった。その結果、ダマスカス―アンマン間は、バスなら3時間強で行けるようになった。それにもかかわらず、倍では効かない8時間もかけて、列車で国境を越えようなどという酔狂な客は、もういなくなった―そう私は思っていた。

 ところが、イスタンブール(トルコ)からメッカ(サウジアラビア)までを結ぶヒジャーズ鉄道の再開計画(現実には当時も開通していなかったらしく、よって一部は新設)があるという噂をダマスカスで耳にした。地元の旅行業界は「聞いてない。あっても当分先の話だろう」というが、すでにダマスカスとイスタンブールを結ぶ国際列車が、貨物ではなく乗客を乗せて定期運行されている。それだけでなく、支線とも言えるイラクのバグダットとシリア北部のアレッポを結ぶ国際列車も走り始めた。まんざら嘘でもないかいかもしれないと、私も週2便のダマスカス-アンマン間を走る列車に乗ってみた。すると、地元にも「酔狂な乗客がいた。 鉄製の枕木、相当にすり減った線路の上を猛烈な砂ぼこりを巻き上げながら走るディーゼル機関車。それに引っ張られる木製ベンチの年代物の客車に、総勢15名程の「暇人」。もっとも、出発前の、何か遠足にでも出かける子どものようなうきうきとした気分は、その凄まじい揺れと全身に降り積もる砂ぼこりに、30分後には後悔の表情に変わったが。

 帰国後、友人の在日シリア人によると、ヒジャーズ鉄道再開の話は単なる噂の域ということでもないらしい。すでにJICA(国際協力事業団)の調査団も入っているという。「なんか、三菱がやるそうだよ」と友人。和平で儲かるのは、どうも中東の王様ばかりではないようだ。

(とよだ なおみ・フォトジャーナリスト)
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亜洲世相断片 中国発(1)

離婚の増加とそのかたち  

塚田和茂、瀬崎真知子

大連発:「離婚女性三つの“80%”」(大連日報 11月26日)

 45名の離婚経験のある女性に4年間の追跡調査を行ったところ、結果は3つの“80%”が現れた。

(1)80%近くは女性から離婚を持ち出している。…5組の離婚夫婦の中で、38組(約80%)が女性から先に離婚を持ち出している。その理由は、学歴、能力、業績或いは収入等の面で女性が男性と変わらない状況が現れ、また女性が社会の中で自立し、夫に頼らずに自活していけるケースが増えているためと見られる。離婚の原因は、夫の愛人、暴力、家庭に対する責任放棄、性的不能、性格の不一致などがあるが、愛人問題が第一位を占めている。

(2)80%の離婚女性は再婚せず。…4年間の調査で、45人中再婚したのはわずかに9人。彼女たちが離婚後も再婚しない主な理由は3つある。一.大部分の離婚女性は結婚時に大きなダメージを受け、再婚に対して恐怖心を抱いている。二.子供、特に男の子が再婚の障害になっている。離婚男性や妻を亡くした男性の多くは離婚女性を再婚の対象としているが、女性側の子供との関係や結婚後の経済的負担を考慮して、男性達は再婚に踏み切れずにいる。三.再婚を望む女性は、一般に同年齢か自分よりも年齢のやや高い男性を希望することが多い。これはお互いに生活しやすく意思の疎通もしやすいためだが、仕事、収入、住居などの点で彼女たちの選択の余地はかなり狭く、希望の相手を見つけることは困難な状況である。

(3)80%以上の離婚女性が子供を引き取っている。…45人中39人が子供の養育権を得、そのうち20%の女性が努力のすえ勝ち取っている。女性が離婚後に子供の引取りを強く望むのは母性愛のためと子供も母親と暮らすことを望んでいるため、さらに女性が子供を自分の心と生活の支えにしているためでもある。しかし、母子家庭は収入も低く、母親の中には解雇された者もいて別れた夫からの養育費も非常に少なく、またほとんどの離婚女性は自立後以前の住居に住めないので、母子家庭が受ける困難は極めて大きいといえる。

天津発:「中国の離婚率 年間200万組づつ増加」(天津・毎日新報 11月22日)

 ある社会学者の予測では、2000年以降中国の離婚率は年々200万組の割合で増加するもようである。

 専門家は、以前は口に出しづらかった夫婦の性生活の問題も今では夫婦間で普通に持ち出され、その上結婚生活をはかる重要な目安の一つになったと指摘する。また現在では、自分から積極的に夫と別れる女性がますます増える傾向にある。大都市においては、自主的に離婚を持ち出す女性が離婚者総数の7割以上を占めている。また、離婚の方法と離婚者の性別、学歴、年齢に対する構成も相応の変化を示し、大多数は協議離婚の方法をとっている。“離婚後も恨みを残す”という狭い考えは、次第に“離婚後も友人として付き合う”という新しい考えに変わりつつある。多くの夫婦は離婚後にも相互に尊重し合い友好関係を保っている。

 記事の内容に関連して大連在住の中国人女性に取材したところ、皆異口同音に「最近はどんどん離婚が増えている」「日本と同じだ(離婚が増えている)」と話してくれた。

 20代半ばの女性会社員は、離婚の増加を主に2つの原因に分けて指摘した。

「最も重要な原因は経済的に独立した女性が増えたことがあげられます。以前には家庭内の経済的柱は男性でした。女性は離婚したくても自活の方法がないと考え、経済的理由で自ら離婚を望めませんでした。しかし、最近の女性は性格の不一致などの理由で夫との生活が幸せではないと感じた時に、ためらわず離婚します。もう一つは夫との性的な問題です。もし夫婦で病院に行っても解決しないなら、妻は離婚届を提出できます。以前女性は『嫁鶏随鶏、嫁狗嫁狗(鶏に嫁いだら鶏に従い、犬に嫁いだら犬に従う)』という言葉にあるように、夫となった人と一生過ごさなければなりませんでした」

 彼女は未婚の女性だが、高い教育を受け、仕事を持ち、男性から独立した自信ある女性たちの声が聞けたような気がした。記事にある離婚に関する「80%」の分析は、確かに増えつつある女性たちの変化を描いているが、完全に夫から経済的に独立した女性というのはごく一部のように思う。ただ、ここ大連では街を走るバスや電車の運転手が女性であることは珍しくなく、男性から「自立した」「独立した」という言葉を使うことが、何だか死語をあえて使っているような感覚さえする。その意味では、女たちの離婚についての考えが、今後日本以上に解放され、離婚大国と呼ばれるようになったとしても不思議ではない。(瀬崎)

 インタビューした大連の未婚女性の話は、今回取り上げた新聞記事の内容とほぼ一致していて、記事に書かれた状況を裏付けているようだ。しかし、中国全土で同じような状況が平均的に進んでいるかどうかについては更なる考察が必要だろう。中国は国土が極めて広く、そのうえに北と南、或いは都市と農村の格差が極めて大きいからである。

 ともかく、現在の中国でこうした状況が進みつつあることは確かなようだ。その最大の原因としては、20年間続いてきた改革開放政策の影響がまず考えられる。今回取り上げた離婚の状況も、近年の中国の社会変動を示す一つの具体例として挙げられるだろう。中国の社会も経済の自由化につれて、確実に西側の社会に近づきつつあるようだ。(塚田)

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ブックレビュー/北朝鮮の2000年を読む

小池 和彦

 2000年は朝鮮半島の情勢が劇的に変化した一年だった。6月に韓国の金大中大統領と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日国防委員長が会談したことにより、50年以上にわたる南北分断もようやく解消に向かうのではないかという見方が広がった。一年前は誰も予想していなかった変化だと言える。

 同時に日朝交渉も再開され、日本政府による食糧援助も行われた。「テポドン」の発射で冷え切っていた日朝関係も改善に向かっている。

 情勢が大きく変化したためか、北朝鮮に関する書籍は例年以上に数多く出版された。厳しい日朝関係を反映して事実認識や主張は大きく隔たっており、南北会談を受けても和解ムード一色になっているわけではない。

 残念なのは、様々に論じられているのは外交関係ばかりで、北朝鮮の一般の人たちが置かれている状況を主題にしたものはほとんどないことだ。保守派であれ進歩派であれこの点では大差ない。北朝鮮から脱出して中国や韓国に逃れた人たち(韓国では脱北者と呼ばれる)の声がこの欠落を埋めている。脱北者に取材したルポや脱北者自身の手記は北朝鮮国内の厳しい食糧事情や人権抑圧の状況を伝えている。

国際関係

 北朝鮮をめぐる国際関係については、重村智計氏が『南北統一』(小学館文庫)と『北朝鮮の外交戦略』(講談社現代新書)を出版した。前者は6月の南北会談を分析し、後者は米朝関係と日朝関係に焦点を合わせている。各国の外交当局者への直接取材に基づくものであり、第一に読まれるべき分析だと言える。

 重村氏によれば、北朝鮮が南北会談に応じたのは中国との同盟関係が動揺したからだ。北朝鮮の工作員を中国の公安当局が逮捕するという事件があり、中国に見捨てられるのではないかという不安にかられた北朝鮮は金大中が提案していた南北会談に応じた、という。ただし南北共同声明については「北朝鮮の全勝か四勝一敗」と評価している。日朝関係については、北朝鮮の対日外交が統一戦線部による「工作」と外務省による「外交」の二本立てになっていたことを指摘し、日本の有力政治家が「工作」に呼応して外務省とは別個に「国会対策的」外交を進めてきたこと――その典型例は1990年の金丸訪朝団――を厳しく批判している。

 吉田康彦・進藤榮一編『動き出した朝鮮半島』(日本評論社)は日朝関係を中心とする様々な問題に関する論文集だ。どちらかと言えば北朝鮮寄りのものが多く、拉致やミサイルなどのような日本政府の「懸案事項」を否定しながら過去の清算の必要性を訴えている。これが日本の進歩派の最大公約数であろう。

 保守系の『現代コリア』の編集長を務めている西岡力氏は『金正日と金大中』(PHP研究所)で南北会談を批判している。北朝鮮の飢餓やミサイル開発を取り上げて金正日政権を批判するとともに、韓国の世論が金大中政権の下で反米・親北朝鮮へと傾いてきていることを懸念する内容だ。最後は拉致問題に関連して「明白な侵略、主権の侵害だから、自衛権を発動すべきなのだ」とトンデモないことを主張している。

 李泳禧『朝鮮半島の新ミレニアム』(社会評論社)と趙甲済『金正日と金大中 野心と野望』(講談社+α新書)は韓国語から翻訳されたもので、韓国の言論状況を理解する上で有益なものだ。進歩派と見られている李泳禧氏は南北会談を歓迎し、韓国の言論状況を支配してきた反共主義を批判する。それとは逆に、保守系誌『月刊朝鮮』の編集長を務める趙甲済氏は反共的な観点から南北会談を批判し、80年代までの軍事政権の時代のほうが対北政策で成果をおさめてきた、と評価している。この両氏の著書にはそれぞれ黄ジャンヨプ氏のインタビューが収められているが、特に李泳禧氏の著書のほうは北朝鮮ばかりを批判する黄ジャンヨプ氏と韓国の問題点ばかりを指摘する李泳禧氏の激論になっており、非常に興味深い。

 再開された日朝交渉に関しては、朝鮮総連の機関紙『朝鮮新報』の論説委員を務めている全哲男氏による『「脅威の国」との国交交渉』(緑風出版)が北朝鮮側の主張を代弁する。日本政府が1965年の日韓条約のときと同様に植民地支配の責任を曖昧にしたまま経済協力で決着させようとしている点を批判し、北朝鮮は過去の清算を放棄してまで日本のカネに頼る必要はなく、日朝関係の改善は朝米国交樹立と南北統一の後だろう、と予測している。逆に「日本は合法的に朝鮮半島を植民地化していた」という観点に立ち、湾岸戦争や国連常任理事国入りなどに関して失敗してきた日本の「カネ外交」を北朝鮮に対しても繰り返すことに反対しているのが、中西輝政編著『北朝鮮と国交を結んではいけない』(小学館文庫)である。

 米朝関係に関しては、1994年の核疑惑の当時にアメリカ国務省の担当官だったケネス・キノネス氏の回顧録『北朝鮮 米国務省担当官の交渉秘録』(中央公論新社)が出版された。北朝鮮との交渉の過程が詳細に記述されており、ドン・オーバードーファー『二つのコリア』(共同通信社)とともに「核疑惑」を知る上で第一級の文献と言える。アメリカ政府の複雑に入り組んだ官僚機構のあり方や、決して一枚岩ではない北朝鮮の官僚機構の実情が描かれている。著者の観点からすれば、米朝協議を難しくしたのは韓国の金泳三政権の横槍ということになる。

脱北者たちの声

 『凍れる河を超えて』(上・下巻、講談社)を書いた張仁淑氏は、北朝鮮で設計技師として実績を上げ、朝鮮労働党のエリート党員として生活していた。しかし息子の韓国亡命をきっかけにピョンヤンを追放され、数年後に後を追って韓国へ亡命した。『北朝鮮大脱出 地獄からの生還』(新潮OH! 文庫)を書いた宮崎俊輔氏は日本生まれで、父は在日朝鮮人、母は日本人。1960年に在日朝鮮人の「帰国事業」で両親とともに北朝鮮へ渡ったが、帰国者は「敵対階層」と見なされて差別され、過酷な生活を強いられた。90年代の飢餓で餓死寸前となり、1996年に北朝鮮から脱出して日本に帰った。日本への帰国に関しては外務省が極秘にサポートしたという。

 このような脱北者の手記に関して、重村智計氏は「自分が体験したことしか書いていないのが、信頼できる手記だ。いたずらに北朝鮮を批判したり非難したりする記述の多いものや、人から聞いた話を書いているものは信頼度が落ちる」と指摘している(『北朝鮮データブック』、講談社現代新書)。張仁淑氏や宮崎俊輔氏の手記はこの基準に照らしても十分に信頼できるものと言っていい。

 新井貴氏の『越境 北朝鮮から売られてきた花嫁』(リム出版新社)は、食糧難のために北朝鮮から中国へ花嫁として売られた女性と、その後を追って北朝鮮から脱出した母親について取材したルポルタージュだ。母親は1960年に日本から北朝鮮に渡った「帰国者」でもあるため、帰国事業とその後の歴史についても触れられている。金賛汀氏の『慟哭の豆満江 中・朝国境に北朝鮮飢民を訪ねて』(新幹社)は中朝国境を取材することで北朝鮮の飢餓の状況を垣間見ようとするもの(本誌6月号に著者インタビューあり)。300万人が死んだと言われているにもかかわらず、飢餓の状況を主題にしたものはこれしかない。

 北朝鮮とは直接関係ないが、アマルティア・セン『自由と経済開発』(日本経済新聞社)は飢餓の問題を考える上で非常に重要な指摘を含んでいる。セン氏によれば、飢饉は食糧供給の不足によって起こる、という通念は歴史的な実証に耐えない。特定の地域で食糧不足が起こっても、それが他の地域によって救済されれば飢饉は未然に防ぐことができる。そこで重要なのが飢饉の兆候を伝える自由な言論機関であり、飢饉への対策を訴える野党(つまり民主主義)の存在である。20世紀において民主主義が発展している地域で飢饉が起こった例はないという。

 黄ジャンヨプ氏の『狂犬におびえるな』(文藝春秋)は昨年の『金正日への宣戦布告』(文藝春秋)の続編として出版された。前作が回顧録だったのに対し、今回の作品は北朝鮮の改革・開放と南北平和統一へ向けた理論書である。

 北朝鮮の現体制を批判する者の多くが食糧支援に反対しているのに対し、黄ジャンヨプ氏は、人道的見地からだけでなく北朝鮮の改革・開放を促す見地からも食糧支援は有効だと主張している。韓国からの援助を大量に受け取れば、北朝鮮の人民は南の同胞に感謝し、現体制の虚偽宣伝に気がつくであろうからだ。

 以上のように北朝鮮関連の新刊書は数多く出版されているが、重要であるにもかかわらず新刊書が出ていないテーマとして、食糧危機と拉致問題がある。これらについてはWeb上で情報を得るのがよいだろう。食糧危機の状況については、ハンクネット・ジャパンのWebページに世界食糧計画(WFP)などの国際機関による報告書の翻訳がある。拉致問題については、北朝鮮に誘拐された日本人を救う青年の会のWebページで最近の状況を確認できる。

(こいけ かずひこ)
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編集後記

この度、新しい世紀を迎えるにあたり、AWC通信はタイトルを一新しました。このタイトルについてはいろいろ意見もありましたが、私たちなりの意志を表現したつもりです。混迷するこの時代、AWCのような存在が必要に迫られてきているような気がしてなりません。AWCともども「リキシャ」を引き続き応援いただきますようお願いいたします(や)

本紙2000年7月号で触れたとおり『東電OL殺人事件』の著者・佐野眞一氏もその可能性を指摘していたことだが、12月22日に東京高裁が、同事件の被告ゴビンダ・プラサド・マイナリ氏に対し逆転有罪判決を言い渡した。一審で無罪判決を受けた被告の再勾留、控訴審における判決まで4ヵ月というスピード審理。異例ずくめのこの1件については、問題点の再検証が必要と言えそうだ。(し)

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月刊リキシャ2001年1月号(通巻第27号)
2000年12月23日発行
編集人 白取 芳樹/発行人 八尾 浩幸
発行 亜洲通信社リキシャ編集部

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