国境

牧 良太

 ペシャワールとアフガニスタンを結ぶ国境一帯はトライバルエリア(部族地域)に属し、通常時でも一般外国人の入境は困難で、政府の許可証及び、護衛のための警官を同行させなければならない。まして、この非常事態にあってパキスタン政府の海外メディア管理は強まり、国境はおろかトライバルエリアへの入境許可を得ることすら不可能、という状態であった。それが、国境の町トルハムへの取材許可がおりそうだ、と聞いたものだから、私たち数人のフリージャーナリストと新聞社、テレビ局のスタッフ、総勢10人ほどが集まって取材許可を申請し、3台の車を連ねて国境へと向った。各車には1人づつ、警備のための兵士が同乗している。

 ペシャワールに近い幹線道路では歩哨に立つ軍や警察の姿を頻繁に見かける。また、国境までに5箇所ほどゲートを設けた検問所を通過することになるが、辺りの村の様子にはトライバル・エリアに入ったからといって特別の変化が見られるわけではない。住民は皆銃を持って武装している、といった話も聞くが、私が車窓から眺めた限り、銃を持った民間人は1人いただけだ。学校もあれば下校途中らしい子供たちの姿も見うけられる。

 アフガニスタンへ向うトラックは食料であろうか、土嚢のような袋詰めされた物資を満載していることが多く、なかにはWFPと記されたものもあった。トラックは右ハンドル(パキスタン)であったり、左ハンドル(アフガニスタン)であったりする。それらとは逆方向、ペシャワール方面へ向うトラックは、確認できたもの全て荷台は空であった。もちろん道路上はトラックばかりでなく、乗用車も、バスも双方向に走っている。

 「ハイバル峠」からの眺めを楽しみにしていたのだが、この山岳地帯にあっては何処がそのハイバル峠なのか、説明でもなければ確認のしようがない。そして私の乗る車にはそのようなことを説明してくれる者はいなかった。今となっては「あの峠がハイバルだったのかも」と想像でもするしかない。車内から外の景色を撮影することに関しては同乗の兵士も止めはしなかったが、かといって観光バスのように途中の景勝地で停まってくれるわけでもない。車は一路、トルハムへと向っているようだった。

 ランディコータルという町を抜け、さらに数分走るとまた小さな町が現れる。そこがトルハムだという。同乗の兵士は「ノー・フォト」と我々を制する。

 役所で暫く待たされ、我々に説明がある。「これから病院を見学する。病院以外での撮影は一切禁止されている」と。病院の話など一切聞いていなかった我々は途惑った。道路を隔てて役所の向かいには、EDHIと書かれた真新しい旗が翻る、2階建ての住居のような建物があり、それが病院だという。もし道路を真直ぐ進むのなら、その20メートルほど先には国境のゲートがある。ゲートではその時、アフガニスタンからのトラックが検問を受けている最中らしかった。ゲートに沿った壁には多くの男たちが腰を下ろしていた。それら国境の様子を横目に見ながら、我々は指定された病院に向うしかなかった。玄関を入ると広間があり、その右手に病室がある。そこにはベッドが二つあり、その一つには左足に包帯を巻いた中年の男が横になっている。説明では、米軍の攻撃で左足の踵と膝を負傷したのだという。ベッドの傍らには松葉杖が置かれ、部屋の壁際には長いテーブルがあり、その上には多くの医薬品が展示されている。

 特別に重傷の急患とも思われないこの患者が、なぜこのような国境の直ぐ脇に留め置かれているのか分からなければ、なぜ医薬品が展示としか思えないような陳列のされかたをしているのかも分からない。砂埃の激しい付近の気候にあって、真新しい白い旗。そもそも、ここは本当に病院なのだろうか。全てが不自然な光景であった。そもそも我々は病院の話など事前に一言も聞いていなかったのだ。トルハム訪問の許可が得られるものと理解しており、それは20メートル先にある、国境を取材することの許可であるはずであったのだ。その国境を間近にしながら、我々は「病院」の庭から、その様子を眺めることしかできなかった。お茶を濁す、にしてもあまりに酷い。ジャーナリストを遠ざけたいのならば、こんなに近くまで来させる必要はないであろう。今までどおり、国境付近、トライバルエリアへの入境そのものを認めない、という方針を貫いた方がよほど賢明だと思われる。

 今は空爆当初のように、国境に多数の難民が押し寄せているという状態ではないようであるし、第一、地元紙にはいくらでも国境を撮影した写真が掲載されているのだ。パキスタン政府が見せたくないのは一体何なのか、それでいて、ここまで近づくことを認めたのはなぜなのか、その意図が全く想像できない。

 国境を眺めていると、そのうちに、それまで停められていたトラックが動き始めた。ややあって、そのトラックの助手席から1人の男が引き吊り降ろされた。ちょっとした騒動の隙に子供が数人、ゲートからこちら側へ向って駆け出した。後を追う警備兵。しかしそれとは別に、学校帰りらしい子供たちが誰にも止められず、日常のことのように国境を行き来している姿も見うけられる。3ヵ月ほど前にも国境を取材したというジャーナリストの1人は、鬼ごっこでもするように国境を越えて遊んでいる子供たちもいた、とその時の様子を語ってくれた。また、通訳の1人は、国境から聞こえてくる声を、「あれはパキスタンの人に野菜とか何々を買って来て、と頼んでいるんです」と説明してくれる。そうして壁越しにお金と品物のやりとりをしているのだ、と。

 誰が国境を超えることができ、誰が超えることを許されないのか。遠目に眺めるだけではその境界を見極めることなど出来ようはずもなかった。

(まき りょうた・フリーライター)

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