ACFの北朝鮮撤退声明/実態報告

2000年3月、フランスを本拠とする人道支援団体Action Contre la Faim(反飢餓行動、ACF)が北朝鮮での人道支援活動から撤退しました。以下に掲載する二つの文書はその際に発表されたものです。


  1. 反飢餓行動が北朝鮮における活動を停止(翻訳原文:Action Against Hunger stops its activities in North Korea
  2. 反飢餓行動は北朝鮮から撤退する/北朝鮮食糧安全保障報告(翻訳原文:Action Against Hunger Withdraws from N. Korea

翻訳はハンクネット・ジャパンで活動する李修二さんによるもので、翻訳の公開についてはACFの承諾を得ています。ただしACFは翻訳の内容についてはチェックしていません。フランス語の原文はACFのWebページでご覧ください。

なお、ハンクネット・ジャパンはACFの北朝鮮撤退を批判するコメントを発表しています。

  1. 北朝鮮における食糧援助活動から撤退した国際的飢餓救援団体「ACF」による北朝鮮の実態報告に対する批判声明
  2. 【資料】ACFの3月9日付けの声明文および報告書に対するハンクネット・ジャパンの評価と批判

反飢餓行動が北朝鮮における活動を停止

2000年3月10日

北朝鮮の住民のうち、栄養失調に罹っている最も脆弱な集団に近づくことができないという事態に直面して、反飢餓行動は援助プログラムを停止し、北朝鮮から撤退することを決定した。1998年1月以来、反飢餓行動は、咸鏡北道の栄養失調の子どもたちへの栄養支援を供与してきた。この道は、きわめて人口が多く(220万人)、慢性的な食糧不足を経験している。今日、咸鏡北道は、経済活動のほとんどが停止しており、生存のためにもがき苦しんでいる。

北朝鮮におけるあらゆる人道支援が、政府運営機関に向けられている。反飢餓行動のプログラムは、1,442ヶ所の託児所の5歳未満の子どもたち10万8,000人、1,098ヶ所の幼稚園の5歳と6歳の子どもたち6万1,741人を目標としてきた(これらの数字は公式の数字であり、おそらく水増しされている)。

過去2年間、咸鏡北道の道都、チョンジンを拠点に常駐する5名を含む反飢餓行動チームは、人道情勢を査定し、プログラムの実行をモニターしてきた。反飢餓行動チームの主な所見は以下のごとくである。

1)それら施設に出席している子どもの数は、反飢餓行動のあらゆる視察訪問が事前に通知されていてさえ、上に挙げた公式数字より少ない。

2)これら施設において見出された栄養失調のケースはおよそ1%であり、ユニセフ、WFP、欧州連合が実施した栄養調査が子どもたちの間の栄養失調率16%を示したにもかかわらず、そうである。

3)われわれのチームが目撃した栄養失調の大抵のケースは、どんな施設へも来ていない子どもたちの間で見られた。特にひどく打撃を受けているのは、「ストリート・チルドレン」であり、その子たちの多くは3歳から4歳で、1人で放浪しているのが見出され、また、目に見えてひどく弱っており、食料をあさって喧嘩していた。

こうした状況に直面し、政府運営施設を通じて流される援助は、最も脆弱な者たちに届いていないと確信し、反飢餓行動は、公式施設の外部に、最も危険の高い子どもたちの集団を目標とするスープ配給所を設置するよう諸機関と交渉した。

しかし、このプログラムを実行する条件は、北朝鮮諸機関によって拒否された。

われわれは、北朝鮮へ流れる国際援助が、それを最も必要としている人々に届いていないと確信した。われわれは、最も貧しい家庭を訪問する許可を拒否されたが、そこでは子どもたちが家にいるよう留められて、いかなる援助も断たれ、そして、本質的に死を運命づけられているのではないかと、われわれは怪しんでいる。

これらの子どもたちの生命は、近づいて、適切な援助を与えることで容易に救い得るのだから、このことは、ひどくぞっとさせることである。

国際社会の態度は冷笑的だった。大抵の西側諸国は、朝鮮民主主義人民共和国への人道援助を外交政策のためか、国家安全保障のための道具と見ている。

人道諸機関というものが、現実政策の祭壇に何十万の北朝鮮人をいけにえとしてささげる、こうした政治ゲームの手段として用いられてきた。人道活動の基本原則は、日々、無視されている。

反飢餓行動は、最終的に、北朝鮮からチームを引き上げ、あらゆる援助プログラムを停止することに決めた。われわれは2年間滞在し、絶えず、援助を最も必要としている人々へ近づくことを交渉し、栄養失調の子どもたちの生命を救うわれわれの救援プログラムを直接、実行するのを希望してきた。

反飢餓行動は、北朝鮮へ与えられる国際援助は、最も必要な者たちに届いておらず、大量の食糧援助が政府に供与されているにもかかわらず、何千という人々が死に続けていると、再度、断言する。

反飢餓行動は、人道援助の基本原則が完全に尊重されること、つまり、受益者への直接の接近と、直接の管理とモニタリング、および、援助の効果の自由な、妨害されない査定がなし得るよう、国際社会が朝鮮民主主義人民共和国政府に最大限の圧力を行使するよう勧告する。あらゆるプログラムは、最も脆弱な住民に、特に栄養失調の子どもたちに直接、役立つべきである。


反飢餓行動は北朝鮮から撤退する

2000年3月9日

北朝鮮の住民のうち、栄養失調に罹っている最も脆弱な集団のための援助プログラムを実行できないという事態に直面して、国際団体、反飢餓行動は北朝鮮から撤退することに決定した。

このことは、きわめて難しい決定だった。というのも、反飢餓行動は、同国の住民の大多数がなお、彼らや彼らの家族のための十分な食料を見出すのが極度に困難なままであることを確信しているからである。

1998年1月に北朝鮮でのプログラムを開始して以来、反飢餓行動チームは、最も恵まれない人々に少なくとも基本的な最低限の援助が届くのを確かにするため、彼らに近づくよう絶えず努力してきた。

過去2年にわたって、同団体は、(同国最北端の)咸鏡北道で5歳以下の子どもたちを受け持つ託児所への栄養面の支援を提供してきた。

これらの託児所で、我々のチームは、深刻な栄養失調を目撃しなかった。けれども、1998年10月に全国で行なわれた集団栄養調査は、子どもたちの15%が栄養失調に罹っていることを示した。これらの栄養失調の子どもたちは託児所へ行っておらず、いかなる援助もなしに死にかけていそうなことは明らかである。

1999年10月、こうした観察結果に対応して、反飢餓行動は、最も恵まれない人々、特にストリート・チルドレンに援助を与えるため、(同国最北部の)咸鏡北道でのスープ配給所プログラムを北朝鮮関係当局に提案した。我々のチームは、同道の中心都市、チョンジン市の街路でしばしば不安にさせる状態のそれらストリート・チルドレンを目撃していた。

遺憾ながら、北朝鮮関係当局は、そのようなプログラムのための反飢餓行動による通常の水準の管理やモニタリングを容認しなかった。それゆえ、同団体は、こうした非常に基本的な人道的介入の原則が遵守されないようなプログラムを実行することよりも、北朝鮮を離れることに決めた。

反飢餓行動は、国際社会によって大量の食糧援助が同国に運び込まれているにもかかわらず、栄養失調で死に続けている最も脆弱な人々に近づけないことを、ただ残念に思えるだけである。

北朝鮮食糧安全保障報告

まえがき

1998年1月、朝鮮民主主義人民共和国に向かった反飢餓行動の最初のチームは、疲弊した国を見出すものと承知していた。つまり、

北朝鮮駐在中、反飢餓行動の人道的ボランティアたちは、こうした経済的崩壊と住民の生活条件へのその結果をつぶさに観察した。

ストリート・チルドレン

「毎日、我々は、髪の毛ぼさぼさで、やせていて、ぼろ服を着た、汚れた子ども達を見る。その子達はときどき、うんと幼くて3、4歳くらいで、たった1人でいて、目に見えてひどく弱っている。」

生存のための人々の努力

「朝鮮人たちは、薪の荷の重みで身体をかがめ、道に沿って歩く。ときどき、彼らは道端で休み、眠りさえする。人々の日常生活は、食料を探し、根や植物を摘み、冬の間、自分たちを暖めるための薪を集めることである。」

見捨てられたインフラストラクチュア

「道路はくぼみだらけで、でこぼこだ。さらに、燃料がないため、車が通ることもめったにない。ほんの少数、薪やトウモロコシの穂軸を積んだトラックが走っているのを我々は見た。首都のピョンヤンから800キロ離れたチョンジンまで行くのに3日かかる。」

水と電力の不足

「街では、停電が頻繁だ。路面電車やトロリーバスなどの公共輸送機関はしばしば停止し、朝鮮人たちは長蛇をなして歩道で待っている。水の供給もまた、日に何度も中断にさらされる。…いずれにせよ人間の消費には向かない水だが。」

見捨てられた工業都市

「咸鏡北道の道都、チョンジン市は、巨大な工業都市であり、数キロに渡っている。しかし、工場は閉鎖されているか、わずかに少しだけ操業されているかのようだ。煙突から煙が出ているのを見ることはめったにない。そのような街で、住民はどのように生き長らえているのだろうか?」

I 人道援助の必要

1.漂流する国

1−1 崩壊状態にある経済

90年代の始め以来、同国の経済は劇的な経済危機を経験してきた。北朝鮮の経済は、80年代末までに、共産圏内での特権的な商業関係、それに、とりわけソビエトの燃料や技術を非常に特恵的な条件で輸入できる、特にソ連、中国との関係により基盤が作られた。

ソビエト連邦の崩壊と中国の経済的方向転換が、こうした配置をまったく変化させ、朝鮮経済をきわめて深刻なエネルギー危機に陥れた。

高度に機械と化学肥料に依存していた朝鮮農業の生産性は急速に低下した。

1−2 朝鮮政府による1995年の援助要求は同国が枯渇していることを顕わにした

1995年に北朝鮮政府は、深刻な洪水が厳しい食糧不足を引き起こしたという口実で国際援助の要求を開始した。しかしながら、同国がその年と、その後、続く3年間にわたって一連の自然災害をこうむったとしても、すべての観察者らが、それらは食糧不足を悪化させただけに過ぎないということに一致している。実際は、こうした不足は、農業生産がもはや住民の必要を供給することができなくなった90年代初頭に始まっている。1995年の洪水は、そのとき以来、政府が隠すことができなくなった北朝鮮の構造的な破綻を目立たせただけだった。

現在、北朝鮮のGDPは低下しつづけている。ダメージは、生産システムがほとんど救いがたいほどである。

大量の食糧援助にもかかわらず危機的な栄養情勢の持続

1995年以来、北朝鮮は大量の国際援助から利益を得てきた。1999年、同国の食糧不足の大部分は、特に、北朝鮮への援助が最も重要なプログラムの1つになっている国連世界食糧計画の貢献でカバーされてきた。

それにもかかわらず、栄養失調は減少していないようである。1998年9月に行なわれた世界食糧計画、ユニセフ、それに、欧州連合による栄養調査は、アジアで最も高い率に入る、およそ16%の子どもたちがなお栄養失調に罹っていることを示している。さらに、飢饉から逃げてきた北朝鮮人らの中国国境地帯で聴取された痛ましい説明は、住民の多くの部分が極度に苦しんでいる栄養状態にあるという確信を補強する。

しかしながら、他の国々同様、「飢饉」の状況は十分な食糧がないことによって引き起こされるだけでなく、住民のあるカテゴリーが食糧を入手できないという事実によって、より多く引き起こされるのである。

こうした状況の中で、反飢餓行動は北朝鮮への介入を決定したとき、2つの目標を設定した。すなわち、

2.反飢餓行動は北朝鮮における人道的「空間」を開こうと努める

1998年1月以来、反飢餓行動は、本質的に、沈滞した経済で特に苦しんでいる同国最北部に位置する地域の咸鏡北道にプログラムの焦点を合わせてきた。目標は、北朝鮮の子ども達が通うことになっている託児所と幼稚園における栄養失調を防ぐプログラムを実行することだった。

2−1 援助は咸鏡北道における最も脆弱な集団を目標とした

咸鏡北道は、220万の住民を抱える同国の最も人口の多い道の1つである。それは、同国の北部、ロシア、中国と国境を接する位置にある。この山岳地帯の地理的状況は、(全国平均の18%に対して)土地のわずか6%だけが耕作可能なので農業には不利である。この地域の農業生産は、それだけで地域内の栄養面の必要物をカバーすることができないと知られている。

反飢餓行動の人道的ボランティアが咸鏡北道に到着したとき、彼らは次のように記述した。

「活気がなく、経済的に停滞した地域。チョンジンはこの地域の中心であり、目標を失った大工業都市である。すべての、あるいは、ほとんどすべての工場が閉鎖され、少数の自動車だけが走っている。」「薪の収集と運搬が、冬の間中ずっと主要な仕事の1つであるようだ。子どもを含む多くの人々が、枝木の大きな束を運んで道を歩いている。薪が暖房の唯一の手段だ。こうして、朝鮮人たちは、森を地面に崩していっている。」

1999年から2000年にかけて、咸鏡北道では23万8,000トンの食糧不足に直面している。この道の農業生産は、1日1人当たり170グラムの食料配給を与えるだけである。

この道では、人口の大多数が都市部に住み、人口の78%が公共配給制度に依存している(それは、住民に基本食料品を配給することになっている)。しかしながら、1999年にはこの制度は何も配給しなかった。実際、輸送上の困難のため、伝統的に同国の穀倉地帯である南部の道は、もはや北部のどこの道にも供給しなかった。それゆえ、この道は、住民の栄養面の必要を満たすのに完全に海外援助に依存している。

咸鏡北道の人々は、生きるために必死に闘っている。あらゆる土地区画は、丘の頂上でさえ使われている。街の住民は、バルコニーで鶏やウサギを飼っている。地元の市場は、明らかに、街に住む多くの人々の唯一の新鮮な供給物源として始まった。それらは、あまりに人が群がっているので、反飢餓行動の人道的ボランティアたちにもすぐ目に見えて分かったが、そこは訪れることすら決して許可を得られなかった。つまり、関係当局は、社会主義経済において、とても我慢ならないので、これらの市場の存在を認めるのを断固拒絶するのである。

食糧不足のそうした状況の中で、また、最も脆弱な住民に援助を与える問題に関わって、反飢餓行動は、子ども達への栄養上の支援に向けて、その介入活動を方向づけた。

2−2 行き詰まり。プログラムが国家により管理される組織に制限されたことからの

北朝鮮関係当局がしきりに欲しがる食糧生産物の供給と共に、反飢餓行動の人道的ボランティアたちはまた、水質管理テストや訓練プログラムのような、より質的なアプローチに向けたプログラムを開始することができた。

託児所、幼稚園への栄養支援プログラム

1998年、99年に、反飢餓行動は栄養支援プログラムを遂行した。人道的活動者の目的は、「公式」の数字で、1,442ヶ所の託児所に通っている5歳以下の10万8,023人の子ども達、および、1,098ヶ所の幼稚園の5歳と6歳の6万1,741人の子ども達の健康と栄養状態を改善することだった。このプログラムは、人道諸機関に立ち入りが認められた咸鏡北道の12の地区で遂行された。

反飢餓行動からの2人の栄養学者は、託児所の看護婦や医師、小児科病院の医師、それに保健省の代表らに栄養失調に関する基本的な発見法や処置について訓練した。今日、その地域のあらゆる託児所で、反飢餓行動が提供し、現地に合わせて改造した身長計、量りなどの器具で子ども達の成長を追跡できるし、また、穀物ミルク、食用油、砂糖のような特別な食料を用いることで子ども達を手当てすることができる。これらもまた、反飢餓行動によって提供される。

石けん、シャンプー、粉石けん、消毒液などの衛生用生産物もまた、託児所と幼稚園の両方で、これら施設のかなり多くの場所で衛生状態を改善するために用意された。

水質評価プログラム

反飢餓行動の人道的ボランティアたちは、託児所と幼稚園の子ども達の間の多くの下痢のケースを確認したため、また、水質監視プログラムも行なった。道内の主な市街地域の14の水道網で行なわれたこうした監視により、配水されている水が汚染されていることが判明した。関係当局は人々に水を煮沸するよう推奨しているが、エネルギー源が利用できないことが人々が直面している主要な問題の1つであり、かつて、こうした勧告にどれだけ従われたのか非常に疑わしい。

しかしながら、これらのプログラムでは、北朝鮮において、たとえ人道的意味合いの理解が多少とも改善したことを認めても、反飢餓行動の人道的ボランティアたちに、多くの機会に目撃していた最も恵まれない人々への接近が決して可能とはならなかった。

わずかな米粒の拾い集め

「我々は、コメが収穫された田んぼで老人たちが穂から落ちたコメを一粒ずつ拾っているのを見た。」

あるいは、わずかな粉ミルク

「駅で粉ミルクが荷下ろしされたとき、ストリート・チルドレンたちは、貨車の通気孔の隙間から枝木でつっついた。貨車の下に小さなプラスチック片を置き、突き刺した袋からこぼれるわずかばかりの粉ミルクを集めていた。他の子ども達は、レールに落ちたミルクを拾い集めた。我々は、化学肥料を運んでいるトラックに子ども達が同じことをしているのを見た。子ども達は食べ物と思ったのだろう。」

何十万人かの北朝鮮人が、反飢餓行動自体がそのプログラムを通じて提供しようとした援助を含めて、決して国際援助を利用できなかったということは、反飢餓行動には明らかである。

II 人道活動の不可能性

北朝鮮における2年間と多くの繰り返された試みの後、反飢餓行動は、住民のうち最も貧困な人々への最低限の接近さえ不可能だったことを認めざるを得ない。

1.最も脆弱な住民への接近は拒まれた

北朝鮮における人道支援プログラムの展開と遂行は、関係当局によって全くコントロールされている。あらゆる人道的プログラムが、朝鮮の体制の行政組織を通じて実行されなければならない。この点を前提にすると、主要な問題は、朝鮮の住民のどの部分が人道支援の援助に開かれた組織を実際に利用しているのか、ということである。

反飢餓行動チームの観察によれば、公共配給の制度から、農場、病院、それに、(反飢餓行動がそこで活動した)託児所や幼稚園に至るまで、これらのあらゆる組織は、人道的諸機関と最も恵まれない人々との間で、単に不透明なスクリーンとして機能するように存在している。北朝鮮においては、脆弱であることの主要な基準の1つは、まさに、こうした公式の組織からの住民の大きな部分の排除なのである。

同国における栄養失調の実態を表していないと我々が知っている、これら国家組織の支援に人道的諸機関を制限することによって、関係当局は、何十万人かの本当に困窮している朝鮮人から意図的に援助を奪っているのである。その結果、提供されたあらゆる人道支援は、体制が大事に扱い、擁護するために選んだ人々だけを助けているのであり、そして、それらは間違いなく最も恵まれない層ではない。

1−1 恵まれない人々には提供されない、諸組織経由で流される援助

咸鏡北道の託児所、幼稚園への支援プログラムを通じて、反飢餓行動は、こうした組織を経由しての活動のあらゆる限界をテストしてみた。栄養失調に罹っている子ども達はこれらの組織に通っていないので、その子たちに届けることは不可能だと判明した。けれども、介入のすべての道理は、その子ども達に援助をもたらす手段を見出すことであり、その子たちに密接に関わって活動することである。こうしたことは、現地での強力なプレゼンスにもかかわらず、なのである。つまり、反飢餓行動は、その道の道都、チョンジンを基盤にした5名の駐在員を擁し、そのようなプレゼンスを継続的に維持できた唯一の機関だった。

反飢餓行動の栄養学者らは、一度だけ例外的に(5歳以下の子ども達を受け持つ)託児所での栄養失調のケースを見ることがあった。1998年と1999年に咸鏡北道の幾つかの託児所を見張り個所として反飢餓行動が実施した成長モニタリングによれば、これら施設に通う子ども達の1%以下が栄養不良だと明らかになった。けれども、1998年10月にWFP、ユニセフ、欧州連合が行なった栄養調査では、北朝鮮の子ども達のおよそ16%が栄養失調に罹っていることが示されていた。

その違いはどのように説明されうるのか?

反飢餓行動チームは、たちまち次のような事実に直面せざるを得なかった。すなわち、これらの組織に通っている子ども達は大抵の場合、健康な子ども達だった。ひどくやせ衰えた、飢えた子ども達の形跡はなかったが、そういう子ども達を、人道的ボランティアらは彼らが街や村へ出かけたとき、しばしば、ちらりと目撃した。

このことは、幾つかの託児所の所長らによって暗示的に認められたが、彼らは、自分たちの託児所に栄養不良の子ども達が属しているものの、その子たちがあまりにも具合が悪いか、弱っているために出席していないと説明した。反飢餓行動は、意図された援助のいくらかがそうした子ども達に届いているのかどうか、遺憾ながら、強く疑わしいと考える。

最も脆弱な住民には、朝鮮関係当局が人道支援をコントロールするのに用いようとしている国家組織を通じては近づけない。

けれども栄養失調の存在は否定されえない

証拠は、ぼろ服を着て、血色の悪い顔色をした、見捨てられたストリート・チルドレンであり、その子たちは、反飢餓行動の人道的活動家らによって毎日、目撃された。これらの子ども達の存在は、関係当局によって否定され、消し去られている。あらゆる援助の提供が公式に承認されねばならず、また、政府組織の外部ではどれも許可されないのだから、この子たちは、近づくことが禁じられた子ども達である。

栄養失調は、最も厳しい形で、反飢餓行動の人道的ボランティアたちによってまた、チョンジンの「孤児院」内で目撃された。

1−2 飢えている子ども達に届かない援助:「孤児院」のケース

反飢餓行動の人道的活動者らは、1998年と1999年の間に3度視察した咸鏡北道道都の公式孤児院だと示された2つの施設を訪問することができた。1999年7月の訪問時には、(2つのセンターに1つは0歳から4歳の子ども達を受け入れ、もう1つには5歳と6歳の子ども達を受け入れている)総計380人のうち、栄養不良の子ども達の割合は20%以上に達し、その大多数がきわめて深刻な栄養失調の症状を示していた。人道的ボランティアたちは、ぎょっとして凝視しながら群がり、衰弱している子ども達を見た。託児所や幼稚園にはいなかった栄養失調が、確かにそこでは明らかだった。

最も深刻なケースは1歳以下の子ども達だった。これらの子の大多数は、緊急に鼻から胃へ通じるカテーテルで栄養補給し、また、再水和される必要があり、さもなければ、その子たちは数日中に死ぬかのようだった。すべての子ども達がおろそかにされ、汚れた服をまとい、濃皮症か疥癬のような皮膚感染症を患っていた。

これらの子ども達は、なぜ手当てされないのか?この子たちは誰なのか?

これらの子ども達の素性に関する北朝鮮職員の説明は、いくら控えめに言っても、混乱している。子ども達は、(その両親が死んだ)孤児、片親の家族からの、「困っている家族」からの子ども達、その両親が「親の役割を正しく果たせない」子ども達、「治ったらその施設から去って」、そして「家族のところへ戻る」栄養不良の子ども達、と言われた。

実際、こうした「孤児院」は、ただ孤児だけをおいているのではない。それらは、望まれない子ども達がただ社会から隠され、物資にはたいがい恵まれていないような社会施設に、より似ている。人道的ボランティアたちの観察によれば、実際、これらの子ども達は、全くではないにしてもほとんど世話を受けておらず、そして、これらの施設は、今では本質的に死に場所である。朝鮮人職員自身によれば、栄養失調のための何の手当てもされず、そして、栄養不良の子ども達は間違いなく、病院制度に問い合わされてさえいない。実に、チョンジンの小児科病院を訪問することができた反飢餓行動チームは、そこでどのような栄養不良の子ども達も目撃しておらず、また、その病院では、栄養失調の手当ての頼みの綱である、いかなる特別な栄養再補給物も入手できなかった。

ひとたび、これらの深刻な欠陥が理解されたので、反飢餓行動は、栄養失調の手当てを実施するため、チョンジン孤児院内に治療的な栄養再補給チームをおきたいと提案した。朝鮮関係当局は、いかなる本当の説明もなく、1999年10月にこうした援助の申し入れの受諾を拒否した。北朝鮮関係当局によれば、栄養不良の子ども達は、「道当局によって世話を受け」、そして、「道は、外部支援の助けなしで自身の手段により子ども達の状況を改善するつもり」だった。反飢餓行動がもしこれらの子ども達を手当てできたなら、その子たちの生命を救うことができたはずなのだから、朝鮮関係当局の拒否は犯罪的である。

反飢餓行動の人道的ボランティアらはまた、いくらかの家族の中では、深刻な栄養不良の子ども達が単に家の中に留め置かれ、支援もなく、ゆっくりと死ぬよう運命づけられていると強く疑っている。彼らは、何度もの要請にもかかわらず、そのような世帯を訪問する許可を決して得られなかった。

1−3 最も脆弱な層へ接近する最後の試みの不成功

最も脆弱な住民たちは、援助を流している国家組織を利用できないということに気づいたので、反飢餓行動は、チョンジンの通りで食料供給所を設置し、直接、暖かい食事を配給するシステムを作るよう提案した。

朝鮮関係当局は、このプロジェクトを実行するために反飢餓行動が提案した方法、特に、プログラムが意図する恵まれない集団に実際に役立つようにするのに必要だと反飢餓行動が主張した基本的なモニタリングの仕方について、その受諾を拒否した。

2.我々の介入の結果を評価するのを認めない不透明さ

反飢餓行動は咸鏡北道で2年活動してきたにもかかわらず、その地域における子ども達の栄養失調の率を我々が調査するのはまったく不可能だと判明した。反飢餓行動のボランティアたちは、ただ、北朝鮮政府が見せたいものを視察するのが認められるだけである。

反飢餓行動のボランティアたちは、最後には、民衆の状態を査定し、活動の目標を定めるのを可能にする客観的なデータが全く無いということになった。唯一入手できるデータは、北朝鮮国家によって提供され、しかも、照合できず、質が一定でないと思われるものである。例えば、咸鏡北道における反飢餓行動の栄養プログラムに含まれる人々のリストは変化し、その数は、1998年と1999年の間に何の説明もなく下方修正された。1998年に北朝鮮関係当局によって提示されたリストでは、20万5,000人の子ども達が託児所と幼稚園に通っていると明言された。1999年にこの数字は、同じ数の地区について、15万7,000人に引き下げられ、ゆえに、1年以内に約4万8,000人の子ども達の違いがあった。1998年に挙げられた受益者数は甚だしい過大見積りのように思われる。そのことは、反飢餓行動は存在していない5万人の人々に配給したことを意味するのか?この援助は、どこへ、誰に行ったのか?

多くのケースでデータは疑いなく偽りである

1998年と1999年に行なわれた咸鏡北道の託児所への230回以上の訪問中に、反飢餓行動の栄養学者らは、これらの施設に実際にいる子ども達の数と、関係当局によって公表され、報告されている子ども達の数との比較をすることができた。我々の団体によって配分される食糧援助の量は、こうした後者の数字に基づいている。託児所の所長らはこれら施設に実際にいる子ども達の数をかなり過大に見積もっていたのは明らかだった。いつも、述べられた子ども達の数のおよそ半分しか実際には出席していないと観察されたのだから。食い違いの明確な説明は決して与えられなかった。示された「理由」の幾つかは、「具合の悪い子ども達」とか、「今日は休日なので子ども達は親と一緒にいる」とか、「(その道のほとんどの工場が稼動してないときに)親の仕事の都合で託児所の子ども達の移動がある」というものだった。

ある託児所の所長が言った、時にはもっと気にかかる説明には、「子ども達がひどい栄養失調で、それで、その子たちは弱すぎて託児所に来れない」というものがあった。

その地域の託児所の数もまた、多いに過大に見積もられていたようだ。反飢餓行動は、それが支援している託児所と幼稚園の名前のリストを決して与えられなかった。1日に4ヶ所の託児所を訪問させてほしいと求めた栄養学者らは、1999年全体にわたって、日に3ヶ所しか許可されなかった。北朝鮮の職員らは、前年中にすでに訪問した所でない託児所をただの1ヶ所も示すことができなかった。このことからの我々の推定は、我々の栄養学者たちはその道にある託児所のほとんど(あるいは、少なくとも示され「得る」すべて)を訪問したに違いないということである。彼らが訪問した施設数は、わずか200ヶ所強である。その道の託児所の公式な数は、1000ヵ所を超えている。

そのような食い違いは、1000ヵ所の「託児所」の残りの所に向けられた援助の最終的行き先についての問題を提起する。援助はかなり他へ向けられ、そして、提供されるべきと主張された多数の施設は実際には存在しないということは、ほとんど疑いがない。こうした、関係当局によって維持される制度の不透明性は、関係当局があらゆる利点を保持する保証である。関係当局は、他の誰かが、人道情勢は実際にどうなのかを知る可能性を減らそうと絶えずつとめ、同様にして、他の誰かが、単に、国家がコントロールする組織の幾つかが如何に機能するのかを知るのさえ妨げようとつとめている。

3.コントロール下の人道的活動者

救援機関のボランティアたちは、首都のピョンヤン市以外を1人で旅行することは許されない。彼らは常に、政府が思い通りにできる通訳に伴われ、その通訳は、北朝鮮の住民と直接に自由なやり取りをするのを不可能にする。

ボランティアらのあらゆる旅行は、事前に計画されなければならない。駐在員は、彼らが訪問したいと思う反飢餓行動支援施設についての詳細な旅行計画を一週間前に提出するよう求められる。このことは、明らかに、関係当局が訪問の「準備」をするのを可能にする。我々のボランティアらが託児所や幼稚園を訪問したとき、食料品の在庫はきちんと利用できるのだが、ときどき調理場は決して使われていないようでもあった。幾つかの施設の長は、反飢餓行動の栄養学者らの質問にあらかじめ作ってあるノートを読んで答えた。彼らは非常に統制されたやり方で話し、ときどき彼らの回答は、通訳によって「訂正」されているようだった。

反飢餓行動のボランティアたちによる新しい施設への立ち入りには、すべての計画が承認と要請のために提出されなければならない。このことは、ボランティアらの旅行と立ち寄りを少なくするよう、いつもできるだけ難しくしようとする職員らと、絶えず口論へ導いた。諸施設への不意打ちの訪問は、決して可能ではなかった。

反飢餓行動は、寄贈された食料品の実際の分配の担当ではなかった。公共配給制度がこれをコントロールした。唯一可能な監督は、施設を訪問することに依った。にもかかわらず、反飢餓行動のボランティアらは、配送票や在庫表の形でのコントロール制度を作ろうと精一杯やってみた。おそらく驚くべきことではないが、確認される紛失はほとんどなく、勘定は合っているように見える。施設長らは、「完璧な」勘定を提示する。

実際のところ、北朝鮮関係当局が食糧援助の分配を完全にコントロールし、そして、駐在員によって行なわれる検査はまったく妥当ではない。

救援機関は、朝鮮関係当局によって単に食糧供給者と見なされており、それら供給物の何らかの検査を要求する権利は少しもないと見なされている。NGOのプレゼンスと立ち入りの権利は、冷笑的に、それらが(種子、肥料、食料品、等々を)供給する立場にある生産物の量に従っている。

諸施設の職員らはしばしば、何らかの生産物、特に食料品が無いことを、明らかに、より多く要請するかたちで強調し、そして、彼らの要請は、現地食料生産工場の復旧のためだと強調する。小さな、質的な援助プログラムは、ボランティアたちにものすごくエネルギーを費やすことを求める特別に厳しいコントロールや妨害にさらされる。量が優先なのである…。

4.北朝鮮における「人道的」支援よりは「政治的」支援という欠点

特にWFPやユニセフのような国際連合の機関は、大部分、アメリカから資金提供され、同国への大量の援助を割り当てている。こうした援助は、本質的に政治的論理に従っている。つまり、北朝鮮の内部崩壊を避けるという。援助自体が、朝鮮当局によって巧妙に実行されてきた政治的交渉への西側諸国の回答であり、その朝鮮当局は、核の脅威やミサイルの可能な弾道を振り回すことを躊躇しない。北朝鮮の破壊主義的な戦略に直面して、第一にアメリカからの穏やかな反応は、国連諸機関のチャンネルを通じて管理されている。

あいにく、こうした国連諸機関と人道援助の手段化は、概して、大いに、北朝鮮における、そして、危うく見える人道的条件における、NGOの地位の弱体化の原因となっている。それは、「現実政治」の供え物台に何十万もの朝鮮人をいけにえにささげることに落ちぶれている。というのも、彼らは、あれほど気前よく与えられるこの栄養上の援助からまったく排除されているのだから。

朝鮮の体制から意図的に排除され、飢餓に見舞われている住民に対して、それのみが援助を可能とするような基本的人道主義原則の尊重を、人はどのように要求できるのであろうか?主要な国際的諸機関が百万トンの物資を運び入れ、ゆえに、一定の交渉力を持ちながらもそうしないときに。

こうした「人道的切り捨て」は、朝鮮当局を強化するが、支援のためのコントロールのルールを課したいと努め、そして、それらのプログラムをコントロールしたいNGOの活動を妨害する。もし、ひとたび物資が配送されれば、意図された受益者に届くまでは援助は注意深くモニターされず、堕落は容易だろう。

勧告

かくして、諸機関は北朝鮮への援助の分配において、現実の脆弱性の基準、特に、最終的に援助が飢餓に見舞われている住民に与えられる社会的基準の利用を課すよう努めるべきである。

本質的に、栄養的援助の受益者は諸施設である。栄養的援助の分配のために、いかなる社会的または経済的な脆弱性も考慮されていない。

とりわけ、国際社会は、朝鮮関係当局があざけっている基本的人道主義原則、すなわち、受益者への直接の接近、設置された手段の直接の監督、活動の影響評価の自由が同国で尊重されるよう圧力をかけるべきである。

最後に、しかし、特に、国際社会とあらゆる援助諸国は、現地での人道的活動者らに、もっぱら最も恵まれない住民だけのための栄養上のプログラムを遂行する手段を与えるために、北朝鮮とのより厳しい政治を実行すべきである。

結論

北朝鮮においては、人道支援はいかなる実際のコントロールもなく配分されており、最も恵まれない住民には届いていない。

我々はいかなる展開を期待できるのだろうか?それは、はっきりしない。

国際社会の側では、北朝鮮への人道支援は、実際、最も脆弱な住民に援助する心からの意図よりも、ずっと外交的、政治的論理に反応している。最も恵まれない北朝鮮人たちは飢餓で死に続けている者たちであり、ある意味では、ピョンヤン体制の安定化と、その軍事的有害さの能力を制限することをねらった「現実政治」の供え物台にいけにえとしてささげられている。我々は、人道支援は北朝鮮の体制への白紙委任であるべきではないと確信する。反飢餓行動は、人道援助の表紙の下で、北朝鮮の住民を犠牲にする政治を支持することはできない。

国際社会の側での建設的な関与の政策は、それゆえ、実行プログラムのための条件と最も恵まれない住民に接近できることとが両立しなければならない。国際社会による自覚と主要な後援者らの側の厳格な要求のみが、状況を前進させるだろう。

数年の間、同国に対して大量の栄養面の援助が送られてきたのに、北朝鮮人が飢えで死に続けているというのは、容認できない。


制作:小池和彦(kazhik@asiavoice.net)