『AWC通信』2000年7月号(第21号)


目次


定例会報告

ミレニアム台湾變天 ―私の見た台湾総統選―

ジャーナリスト 和仁廉夫(わにゆきお)さん

 この記事については8月号の修正版をご覧ください。

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北朝鮮への人道支援は続けるべきか?

小池 和彦

 今年3月、フランスの人道支援団体であるAction Contrela Faim(ACF、反飢餓行動)が「援助はそれを最も必要とする者たちに届いていない」とする声明を発表して北朝鮮から撤退し、同時に詳細な「北朝鮮食糧安全保障報告書」と題した文書で援助活動の具体的な実情を明らかにした。それに対し、国連世界食糧計画(WFP)へのカンパや平壌育児院への粉ミルクの支援を行っているハンクネット・ジャパンが5月13日に批判声明を発表し、援助の継続を訴えている。

 ACFは1998年1月から約2年のあいだ北朝鮮東北部(咸鏡北道)で栄養失調の子どもたちに対する栄養支援を続けてきた。援助対象は1,442ヶ所の託児所の5 歳未満の子どもたち10万8,000人、1,098ヶ所の幼稚園の5歳と6歳の子どもたち6万1,741 人に及ぶ。ACFは咸鏡北道の清津市に5名のスタッフを常駐させていた。

 活動の中で、ACFのスタッフは、訪問した託児所や幼稚園に実際に出席している人数が公式の数字より少なく、その一方でどんな施設にも来ていない子どもたちやストリート・チルドレンの間でひどい栄養失調が広がっていると考え、それらの子どもたちに対する特別のプログラムを提案した。しかし当局者がそれを拒否したため、ACFは北朝鮮からの撤退を決めた。

 ACFは撤退声明の中で北朝鮮への食糧援助に関して三つの問題点を挙げており、報告書はその詳しい説明となっている。ハンクネットの批判もそれに対応した詳細なものになっている。以下、ACFの主張とハンクネットの批判を整理して紹介してみたい。

子どもたちの数は水増しされているか?

 第一の問題点は、託児所や幼稚園にいる子どもの数は公式の数字より少ないのではないか、というものだ。

 1998年には、北朝鮮の当局は咸鏡北道において20万5,000人の子どもたちが託児所と幼稚園に通っているというリストを示した。しかし1999年には、この数字は15万7,000人へと引き下げられた。また、ACFのスタッフが託児所を訪問してみると、実際に出席している子どもの数は公式の数字の半分程度だったという。さらに、公式には1,000箇所を超える託児所があるはずなのにもかかわらず、ACFのチームが訪問を許された託児所は200箇所にすぎなかった。

 これらのことから、ACFの報告書は、過大な見積もりの結果として余った援助食糧の行き先について疑問を投げかけている。「反飢餓行動は存在していない5万人の人々に配給したことを意味するのか?この援助は、どこへ、誰に行ったのか?」

 これについて、ハンクネットは1998年のWFP、ユニセフ、欧州連合による合同の栄養調査では62%の子どもたちが慢性的な栄養失調と判定されたことを指摘し、半数ほどの「ぐあいの悪い子どもたち」は欠席しがちだと考えるのが自然だ、と主張する。

 子どもたちの数が20万5,000人から15万7,000人へと引き下げられたことについては、援助食糧の横領が目的なら数字の引き下げなどありえない、と指摘している。

 1,000箇所以上ある託児所のうち訪問を許されたのは200 箇所にすぎなかった、という点については、それ以外の施設は小規模な間に合わせのもので、建物や設備が整っていないからではないか、というのがハンクネットの推測だ。

恵まれた子どもたちだけが援助されているのか?

 第二の問題点は、ユニセフ、WFP、欧州連合が実施した栄養調査では子どもたちの間の栄養失調率は16パーセントであるにもかかわらず、ACFが訪問した託児所での栄養失調率は1パーセントにすぎなかった、というものだ。

 深刻な栄養失調は孤児院で見られた。ACFが訪問した二箇所の孤児院では20パーセント以上の子どもたちが栄養失調に陥っていた。ところが、子どもたちは何の手当てもされていないのが明らかで、孤児院は「本質的に死に場所」と言ってよい状況だった。

 なぜ手当てされないのか、この子どもたちはどういう子どもたちなのか、と疑問を感じたACFのスタッフが職員に質問したところ、「いくら控えめに言っても、混乱している」説明が返ってきた。孤児だけではなく、「片親の家族からの、『困難にある家族』からの子どもたち、その両親が『親の役割を正しく果たせない』子どもたち、『栄養不良が治ったら家族のところへ戻る』子どもたち」が集められているという。そこは孤児院というよりは「望まれない子どもたち」が集められた場所だった。

 そこでACFは清津孤児院内に治療的な栄養再補給チームを置くことを提案したが、当局は拒否した。ACFの報告書は「もしこれらの子ども達を手当てできたなら、その子たちの生命を救うことができたはずなのだから、朝鮮関係当局の拒否は犯罪的である」と強く非難している。

 しかし、ハンクネットによれば、託児所や幼稚園に栄養失調の子どもが少ないのは不思議なことではない。栄養失調がひどければ通えなくなるからだ。孤児院は子どもたちが通う場所ではなく住む場所なので、栄養失調の比率が託児所や幼稚園より高いのは当然と言える。

 孤児院の子どもたちは何の手当てもされていないとしても、それは医薬品や栄養補給物が足りないからではないか、とし、ユニセフや国際赤十字連盟が医薬品の不足を繰り返し訴えていることを指摘している。孤児院を「本質的に死に場所である」などと断定していることに対しては、ハンクネットは「そうした断定的な解釈をゆるす根拠は、なんら示されていない」と強く批判している。

「ストリート・チルドレン」は存在するか?

 第三に、ACFのチームは、どんな施設にも来ていない子どもたち、とりわけ「ストリート・チルドレン」がひどい栄養失調に陥っているのを目撃した。しかし援助活動は託児所や幼稚園を通して行われるため、彼ら・彼女らには届かない。「これらの子ども達の存在は、関係当局によって否定され、消し去られている。あらゆる援助の提供が公式に承認されねばならず、また、政府組織の外部ではどれも許可されないのだから、この子たちは、近づくことが禁じられた子ども達である」。

 そこでACFは清津の通りに食料供給所を設置して国家組織を利用できない人たちに直接食事を供給することを提案したが、当局によって拒否された。

 ハンクネットはこれに対し、食糧援助の大半を行なうWFPの1999年7月から2000年年6月までの援助計画では7歳以上の小学生、中学生は学校で1日100グラムの栄養補充スナックを受け取るにすぎないことを指摘する。これでは到底足りないので、子どもたちは学校を休んで街へ出かけ、食料を見つけようとしていたのではないか、というのだ。ACFのチームが目撃した子どもたちは「ストリート・チルドレン」ではなく普通の子どもたちだということになる。

当局が信用できなくても援助を続けるべきか?

 ACFとハンクネットの論争点は以上のような事実認識の問題だけにとどまるものではない。

 ACFの報告書は人道支援のボランティアたちが北朝鮮の当局から強い統制を受けていたことに不満を表明している。旅行や施設への立ち入りは事前に当局の承認を受けなければならず、食料の実際の分配を直接担当することもできない。「救援機関は、朝鮮関係当局によって単に食糧供給者と見なされており、それら供給物の何らかの検査を要求する権利は少しもないと見なされている」。そして撤退声明において「受益者への直接の接近と、直接の管理とモニタリング、および、援助の効果の自由な、妨害されない査定がなし得るよう、国際社会が朝鮮民主主義人民共和国政府に最大限の圧力を行使する」ことを求めている。

 この問題に関しては、ハンクネットの批判声明も「不十分な配給食糧や援助食糧をめぐって、特に地方では、一部の利己的な有力者たちによる何らかの不公正や横領などが起こっている可能性は否定できない」と述べている。しかし、一部で不正が起こるのは食糧の絶対量が足りず、当局者自身に余裕がなくなっているためであって、その解決のためにはACFのように援助を停止するのではなくてむしろ拡大しなければならない、というのがハンクネットの主張だ。「わたしたちハンクネットは、国連人道援助機関や今なお北朝鮮に残って支援をつづけている他のNGOなどと同じく、たとえACFが主張するように本当に食糧援助を必要とする人々の一部にこれまでまったく援助が届いていないとしても、可能なかぎり最大限の支援をつづけてゆくことが、やがてはそうした人々にも援助が行きわたる唯一の道だと考える」。

 暗闇を手探りで進むようなこの論争について、どちらの主張が事実に近いのかを判定するのは難しい。しかし、南北首脳会談で金正日がマスコミに登場し、「実情がわからない怖い国」という北朝鮮のイメージは大きく変わった。人道支援を巡る情勢も変わっていく可能性がある。北朝鮮がごく普通の隣国として議論され、自然な形で人道支援が行われるようになることを願わずにはいられない。

※ACFおよびハンクネット・ジャパンの文書の全文はWeb上で公開されている。

(こいけ かずひこ)
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スポットライト 「石原都知事発言」が支持を集める背景(2)

「不法滞在外国人は犯罪の温床」ではない

白取 芳樹

統計上の比較にみられる混乱

 「来日外国人」―。「在日外国人」ではない。去る4月に警察庁が発表した『来日外国人問題の現状と対策(平成11年中)』。そこではこう定義されている。「来日外国人とは、わが国にいる外国人から定着永住者(永住者等)、在日米軍関係者及び在留資格不明の者を除いた者をいう」。そして同書は「来日外国人による犯罪の増加」を訴えている。これを踏まえないと、4月24日付『朝日新聞』朝刊の「討論 石原発言」での、金美麗氏のような誤りを犯してしまう。「日本の全人口に対する外国人の割合は1.2%だが、東京都に限って言えば、凶悪犯検挙者の11%は外国人だ」。ここには、「外国人」の割合を外国人登録者数から割り出し(1.2%は1998年の数値)、その割合と東京都における凶悪犯検挙者に占める外国人の割合を比較するという二重の誤りがある。

 1998年における外国人登録者数は151万2116人。一方、「来日外国人」には外国人登録の必要のない90日以内の短期滞在者も含まれる。1999年の入国外国人は490万1317人。これに先述の定義どおりの外国人登録者数などを加えると、「来日外国人」は少なくとも550万人以上にはなるだろう。国際空港に隣接する東京では推計200万人以上。これに対し1999年度の東京都の総人口は約1137万8千人。今度は、これらの数字を分母にして日本や東京都の「外国人の犯罪率」と「日本人の犯罪率」を比較することにどこまで意味があるのか、という水掛け論になる。このように、日本人と外国人の犯罪率を比較することは困難がつきまとう。少なくとも日本人との犯罪率を比較しようとするならば、その分母は「在日外国人」「外国人登録者数」でないはずだ。また、先述の「討論」の中で佐々淳行氏が推定する「不法滞在者」人口=約50万人説を用いれば、1999年の日本の総人口に対する「不法滞在者」の割合は約0.0039%。一方、刑法犯検挙人員総数に占める割合は0.0047%。ここからはたして「不法滞在者」が犯罪の温床であるという答えを導き出せるだろうか。

発表のしかたに恣意性はないか

 4月の警察庁発表でことさら強調されているのが、1999年中の来日外国人犯罪が過去最高だったことだ。だが『現状と対策』の数字を見ると、1994年の来日外国人の総検挙件数が21,754件、検挙人員が13,576人であるのに対し、1999年はそれぞれ34,398件、13,43 人。たしかに5年前に比べ件数は12,644件増えているが、人員はこの間も含め横ばいである。一方、1999年の総検挙件数に占める複数犯の割合は、日本人の15.1%に対し来日外国人が46.4%(1994年は27.7%)。以上のことから、たしかに、一部で外国人による犯罪の組織化や犯罪の繰り返しが見受けられる、との表現をするならまだわかる。だが、検挙人員に増加傾向が見られないことも歴然とした事実である。

 また、『現状と対策』は「来日外国人犯罪の温床になる膨大な不法滞在者」と指摘し、根拠として来日外国人全検挙人員のうち彼らが58.3%を占めることをあげる。だがこの数字には、「不法滞在」であること自体を犯罪と位置付けるなど、入管法や外国人登録法違反による検挙なども含まれている。それらは強盗・傷害・殺人のような、他者に危害を加える犯罪ではない。そこで刑法犯だけでみれば、割合は25.6%である。このように、入管法や外登法違反なども含めれば、来日外国人の犯罪に占める彼らの割合を高めることになり、その結果、「不法滞在者」が犯罪の温床だというイメージをより与えることになる。

ステレオタイプはどこから来ているのか

 だが、「石原都知事発言」に支持が集ったことは、「外国人」「不法滞在外国人」と犯罪を結びつけるイメージの、日本社会での流布を顕在化させた。なぜなのだろうか。あえてデータ上から理由を探ると、まず総検挙件数が増加傾向であること。これには97年4月に警察庁に「来日外国人犯罪等対策室」が設置されるなど、近年の取締り強化も背景にあるだろう。内訳では、窃盗が1994年の10,120件から1999年には22,404 件に増え、総検挙件数の65%を占める。そして『現状と対策』はその手口の多様化を指摘する。近年では、自動販売機荒らしへの対処として、500円玉が使用できない自販機が増えたことが話題となった。こうした出来事と、1997年頃に増加傾向の見られた不法入国の摘発増加がイメージ上で結びついたことも、その一因かもしれない。「東電OL殺人事件」の被告・マイナリ氏の弁護団の1人、佃克彦弁護士は、2年半かかった一審での無罪判決にもかかわらず、自分が接する範囲では、新聞記者にも再勾留はやむなしとの意見が多いと感じるという。

 石原都知事はこう言った。「すごく大きな災害が起きた時には(不法入国した外国人による)大きな大きな騒じょう事件すらですね想定される」。だが実際には、関東大震災時の「騒じょう事件」は、日本人の朝鮮人虐殺という行動として現れた。こうしたことが今日でも起こらないと言いきれるだろうか。根底には、犯罪がどこにでもありうる行為にもかかわらず、また、犯罪を生じさせる背景を考慮もせずに、特定の「外国人」「〜人」という「集団」がその温床であるとイメージしてしまうことに誤りがあるのではないか。その一因として情報伝達、報道によるミス・リードはないのか。今一度検証の必要があるだろう。

(しらとり よしき・編集者)
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「東電OL殺人事件」での被告再勾留をめぐって

白取 芳樹

 去る4月14日、「東電OL殺人事件」の容疑者として97年5月に逮捕されたゴビンダ・プラサド・マイナリ氏(ネパール人)が、一審で無罪判決を受けた。だが控訴した検察側は、「逃亡の恐れがあり、刑の執行を確保できなくなる」との理由で再勾留を要求。二度の却下のすえ、5月8日に高等裁判所第4刑事部が再勾留を決定。日本人ならよほどの理由がないとされないと言われ、また控訴審未開始の段階での、さらには新しい証拠がみつかっていない状況での異例の再勾留。この問題をどう考えるべきなのか。

「法の整備」で問題は解決するか

 6月6日、東京弁護士会館において、入管問題調査会の主催により、マイナリ氏の弁護団の一人である佃克彦弁護士の講演会が行われた。東京高裁刑事4部は再勾留の根拠として、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があると認められ、(1)住所不定、(2)罪証隠滅の虞、(3)逃亡の虞、以上の3点すべてに該当するとしている。これに対して佃氏はこう反論する。(1)については「入国管理局に収容されていることを根拠としているが、これでは在留資格のない者すべてに当てはまってしまうどころか、拘置中に在留資格が切れて更新手続きのできなかった外国人に対してなど、どんどん拡大利用できてしまう」。(2)については「一審で検察側が申請した証拠はすべて出尽くしている。隠滅のしようもない」。(3)については、「海外への逃亡の虞があるのは日本人も同じ」。その上で、「2年半かかって出た一審の判決を無視する決定を、たった数日の審議で出してしまえるものなのか」と言う。

 また、この決定に至るまでに、入国管理局による手続きの遷延があったと佃氏は言う。無罪判決が4月14日。そこで17日には航空券を差し入れ、18日には、マイナリ氏のパスポートが切れていたことから、在日ネパール大使館が発行した渡航証明を差し入れた。そして同日、地検が地裁に勾留の申し立て、19日に地裁は却下を表明。即日、今度は高検が高裁に対して同様の申し立てをするも、これも高裁第5特別部が却下。だがその後も、入管には退去強制の手続きを終了し、帰国させる動きが見られない。そこで弁護団は入管に対し抗議を行うも、その後も入管は微動だにしなかった。そして5月8日の再勾留決定。「検察庁に対する入管の政策的な配慮が働いたのではないか」と佃氏は言う。

 この再勾留をめぐっては、「法の不備」、つまり国の刑事訴訟法にのっとった刑罰権と出入国管理法の行政処分としての退去強制を調整する機能の不備を指摘し、「不法滞在者」を裁判のため例外的に日本に残留させるなどの措置が必要と説く意見もある。だが佃氏は、「法を整備さえすれば無罪判決でも帰国の自由を奪ってしまってよいのか。控訴審には被告の出頭の義務はない。書類の送達や告知などが必要な場合は、送達代理人を決める制度がある」と言う。そして「日本・ネパール間には身柄引渡しの協定がない(日本が持つのはアメリカとの間のみ)ので身柄の拘束を補償できないというが、それは国家間の問題のはず。その不備をすべて個人にかぶせてしまってよいのか」と指摘する。

「石原都知事発言」への支持に通じるもの

 問題をさらに複雑にしているのは、この逮捕に対し当初から一部でその冤罪性が指摘され続けてきたことである。6月10日には『東電OL殺人事件』(新潮社)の著者・佐野眞一氏の話を聞く会が、社団法人日本ネパール協会の主催で行われた。

 無罪判決が下った今、検察は彼以外の犯人がいるという線での調査も進めているのだろうか。「行われていません」と佐野氏は言う。そして、今後の見通しについて次のように語る。「新しい証拠はまったくありません。でも、東京高裁はメンツにかけて有罪判決を出すかもしれません。そうなれば弁護団は上告します。裁判にかかる時間はおそらくあと約7年です。するとゴビンダはつごう10年勾留されることになる。高裁はこんな無謀なことをしている」。また、佐野氏は気になる出来事として、刑事訴訟法を空文化させる、憲法違反であるとの理由で検察の要求を却下した東京高裁第5特別部の木谷明裁判長(当時)が、その直後、2年半の任期を残して辞職してしまったことをあげる。そして、あくまでも憶測と断った上で、「良識派とも言える木谷氏がいづらい環境が高裁の中にあったのでは」「『三国人発言』は政治的にも大きな力を与えてしまったのではないか」と言う。

 一方では次のような現状もある。「昨年、取材で沖縄に行きました。5年前の事件で米兵に暴行を受けた少女は、まだ精神病院から出て来られない状態でした。ところがその犯人を、日本とアメリカは即刻帰国させてしまった」。佐野氏は、自分の本を読んでも、「そうは言っても彼はやっていると思う」と言う人がけっこういると言う。「ゴビンダはとても意志の強い人間です。でもそれを『ふてぶてしい』と見てしまう我々のまなざしが、このような冤罪を作り出しているのではないか」。そして、この事件について次のように語った。「我々の国際感覚や司法感覚がどんなものかが試される、試金石となる事件だと思います」

(しらとり よしき・編集者)
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マルクからの警鐘

〜「宗教対立」でかたづけてしまっては見えてこない実態〜
青山 有香
 インドネシアにあるマルク諸島の騒乱は、初期からクリスチャンとムスリム間の「宗教対立」と報道されてきた。だが、2人の現地活動家、サラワク財団副代表ヨハネス・レアテミアとELSPHAM(人権教育・研究機関)代表ロナルド・ティタヘルの両氏は、そんな単純なものではないと警告し続けてきた。その両氏が5月27日、NGO「インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA) 」の招待により来日し、騒乱勃発から現在までの調査を通じて見えてきたマルク騒乱の実情について伝えた。そこで、本紙6月号での定例会報告の続報として、この報告会をレポートする。

マルク諸島における「宗教対立」

 ヨハネス・レアテミア氏は、一連の騒乱を大きく2種類に分ける。一方は、去年1月アンボン市街バテュメタで起きた、バス運転手(クリスチャン)と乗客(ムスリム)間の些細な喧嘩をきっかけに起きた第1次騒乱。もう一方は、それ以降現在に到るまでの諸々の騒乱である。第1次騒乱は、プレマン(ならず者)により起こされたもので、使用された武器は刃物や弓矢であり、公共施設・経済手段の破壊も小規模と、単純なものであった。大衆の動員も島の内部でのみで、治安部隊は放置したままだった。だが、それ以降から現在までの騒乱は、より大規模化した。ハルクやセラム島など周辺の島々でも騒乱が展開された。島の外部からも大衆が動員された。ジャカルタなどからイスラムの「聖戦部隊」が結成され騒乱に参加。煽動者の利用など、一次騒乱に比べ紛争のやり方が組織化した。また、特定集団が陰で暗躍し、銃や爆弾を民衆に与え銃弾が広く普及し大量殺戮、破壊が可能になった。第1次騒乱のときはまだスムーズだったイスラム教区とキリスト教区間の交通やコミュニケーション、社会的機能、避難民へのサービスなども機能に支障がでてきた。それでも軍・警察は放置し、マルク諸島全体の無法化に拍車をかける。それだけではなく、ムスリムに一方的肩入れをするなど差別的な行動もしているという。警察や軍が状況を放置していたことは、以下のようなことから示される。

 警察署の前でモスクが焼かれたり、「聖戦部隊」の到来を治安部隊が食い止めようとしなかったり、軍が使用している銃弾が出回っていたり、治安部隊が騒乱の原因となるような噂を流布していたりしている。また、ムスリムの肩入れをしていたことについては、99年12月26日、アンボンのシロ教会が放火されたとき、装甲車に乗った治安部隊がキリスト教徒に発砲、ムスリムの暴徒を放置した。消防車が出動したが、教会の消火を軍がさせなかった。以上のことなどがある。 マルク騒乱は、単なる「宗教対立」ではない。インドネシア国家による組織的なテロであり、重大な人権侵害なのである。

紛争解決への提案

 レアテミア氏は、マルク騒乱の解決は、1)紛争停止、2)和解、3)復興の3段階により行われるべきという。

 1)紛争停止のためには、治安部隊の中立を保たねばならない。そして異教徒間の対話がなされなくてはならず、そこには住民代表・教指導者・扇動者らの参加が必要。同時に、紛争の原因と結果、被害者に関する調査を行うこと。

 2)の和解のためには、ムスリム、クリスチャン両者が認める、第三者による調停が必要。調停の目標は断絶されたコミュニケーションの復活。両者間のコンセンサスを産み出し、両者に権利を与え、和解のための義務を課すような解決法を見出し、それに法的な保証を与えること。避難民へのカウンセリングや両者間の議論の機会を設け、トラウマや誤解、疑心暗鬼を両者の心から取り除くこと。

 3)の復興には、家の建設など物質的復興、異教徒間の合同フォーラムを開き精神的復興を図るべきだと、氏は言った。そして、そのためには国際社会のマルク問題に対する理解、紛争解決への協力が必要だ、と強く訴えた。

●市民社会の形成への騒乱の影響

 ロナルド・ティタヘル氏は、スハルト体制下からその崩壊後の現在までのマルク社会・経済、そしてマルクの民主市民社会の形成に対して、騒乱が及ぼす影響について話した。

<スハルト体制下のマルク>

 32年間に渡るスハルト体制により、マルク社会は大きく変化した。経済面では、林業・鉱業・農園開発・漁業の分野に大規模な投資が行われ、地元住民は天然資源へのアクセスを失った。また93年から99年にかけての政府による開発計画でマルクに海外資本が流入し、もともと軍関係の企業により牛耳られていた上に、外資系企業による投資、経済活動でマルクの天然資源の搾取、地元経済の破壊・支配のシステムが形成された。

 政治面では、スハルト体制以前の、村々にあった地域内の政治組織の自治機能が失われた。社会面では、地域住民による内発的発展を妨げ、外部社会や文化に依存しなければならない生活に人々を追いやった。そのため、住民にはいつも支配されているという閉塞感があったが、それでも互いに傷付け合うことを禁じ、異教徒を尊重し助け合う約束事「ペラ・ガンドン」の下で、人々はお互いに対立しあうことはなかった。「ぺラ・ガンドン」は、クリスチャンとムスリム間でも守られていた。彼らの争いは、「外からの力」により引き起こされた可能性が高い。

<騒乱の市民社会の形成に対する弊害>

 外資、政府、軍により支配された社会に疲弊したマルクの民衆は、民主化、福祉の達成、法と正義の確立、軍の関与のない市民社会の構築を目指した。だが、去年1月からの一連の騒乱は、人々の暮らしの規律・秩序を破壊、倫理道徳を破壊した。その結果、民主化に弊害を及ぼし、また人々をエンパワーメントしようとする政府、非政府の活動も妨げられた。インドネシア軍や警察は騒乱を放置し、またムスリムに肩入れするなどしてマルク社会の無法化、混乱に拍車をかけた。

「宗教対立」かそれとも?

 一連の騒乱を、マスコミは問題の本質を見ないまま、単なる「宗教対立」と片づける。だが、それはあまりに無責任で短絡的な見方である。もともとはお互いの存在を認め合っていたムスリムとクリスチャン。彼ら自身が強い憎しみを互いに持っていたので騒乱が大きくなった、というよりはこれら一連の出来事を陰で煽動し画策する者がいると見る方が、もしかしたら現実的かもしれない。事実、そういう噂はあり、画策した可能性のある者たちが既に名指しされている。権力に固執するスハルト、スハルト・ファミリーや、スハルト退陣以後に弱体化する国軍がその威信や存在意義を保つため、騒乱を利用しているのではとか、クリスチャンによるイスラム大国インドネシアからの分離独立運動、南マルク共和国独立運動(RMS)がらみではないかとも言われる。だが、明白な事実はまだ見えない。

そして、これから

 混乱を極めるマルク。法と正義を確立し、民主社会を築こうとしていたにもかかわらず、マルクの民衆は現在、騒乱、無法状態の中にある。騒乱の原因は何であれ、すべてもともとは外からやってきたものにつながる。オランダによる植民地主義、スハルト下の新秩序主義、軍の権威主義などどれも民衆達の生活の中から生まれたものでなく、外からの影響である。それに、いいように操られているマルクの人々。この因果を断ち切るには、何がマルクにとって必要なのか。ティタヘル氏は以下のことを挙げる。

 天然資源・海洋資源管理における住民の権利や能力を高めること、軍が経営する企業の経済活動の廃止、軍・警察の予算透明化、人々の側にたった道徳的で公正な、法律に関する教育、そして反暴力の姿勢を築くための人権教育。「ムスリムとクリスチャンの和解は可能だ。そのためには彼らの間で対話がなされるべきで、それを実現させるには第3機関の調停が必要だ」とレアテミア氏は言う。調停のためんに第3機関の介入が必要だとは、ティタヘル氏も考えている。東ティモールにしろ、マルクにしろ、とかく各地の不和の火種はいつも国際社会に大きな責任がある。争いの種をまき水をやり育て、大きくなったら「知りません」では無責任も甚だしい。

 いまこそ、この2人の勇気ある活動家の声、そして長い間理不尽な支配に抑圧されていたマルク人の声をしっかり聞かなければならない。

(あおやま ゆか・ジャーナリスト=AWC所属)
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編集後記

◆友人がガイドブックの取材でハワイへ行くことに。日本では「新婚旅行」「正月に多くの芸能人が行く所」とのイメージが強いと思うが、他方では多民族社会でもある。アジアからの移民も多く、日系人の県人会も30近くある。人口減少という状況にあるものの、先住民族の文化も息づき続けている。…らしい(行ったことはない)。何はともあれプロとしての初仕事。健闘を祈っています。(し)

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月刊AWC通信2000年7月号(通巻第21号)
2000年6月24日発行
編集人 白取 芳樹/発行人 八尾 浩幸
発行 亜洲通信社AWC通信編集部

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