『AWC通信』2000年6月号(第20号)


目次


定例会報告

今マルクで何が起こっているのか

インドネシア民主化支援ネットワーク 笹岡正俊(ささおか まさとし )さん
インドネシア東部に位置するマルク諸島では、ムスリムとクリスチャンの「宗教紛争」が、1年以上にわたって続いている。この騒乱の現状と背景を、この2月に現地調査をした笹岡さんに報告していただいた。
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騒乱の経緯

 騒乱は、3つの時期に分けて経緯をたどることができる。

第1次騒乱:99年1月19日、アンボン市街のバトゥ・メラ地区で、バスの運転手(クリスチャン)と、地元住民(ムスリム)の間に喧嘩が起きた。このささいな出来事をきっかけにアンボン各所で暴動が起き、ムスリムとクリスチャンの紛争に発展した。この騒乱は、ケイ諸島、サパルア島、ハルク島、セラム島など、周辺の島々に飛び火し、3月まで続いた。

第2次騒乱:その後、5月にウィラント国軍司令官(当時)の立ち会いのもとで、ムスリムとクリスチャンの間の和解協議がなされたが、7月にセラム島、サパルア島で再び紛争が勃発。マルク州知事による自制宣言が行われ、ワヒド大統領とメガワティ副大統領がアンボンを訪問した12月中旬まで紛争は続いた。

第3次騒乱:回復したかに見えた治安も、12月下旬に再び悪化した。ムスリムの子どもの交通事故をきっかけにアンボンは再び騒乱状態になった。このとき、マルクのキリスト教徒のシンボルであるシロ教会が焼き討ちにあい、セラム島やハルク島の紛争の火種となった。第3次騒乱では、短期間のうちにもっとも多くの犠牲者が出た。年末にはブル島とハルマヘラ島でムスリム、クリスチャンの大量虐殺があり、年明けにはマルク以外のロンボク島などにまで拡大した。現在、アンボンの治安は回復に向かってきているものの、ジャワでは聖戦部隊の活動が過激化している。

被害状況

 一連の騒乱による死者は北マルク・マルク両州をあわせると、4月現在までに3000人以上にのぼると考えられる。避難民は同地域で少なくとも26万人に達すると見られる。うち10万人がアンボン島からの避難民で、これはアンボンの人口の約3分の1に相当する。インドネシア国内の報道では、ムスリム系とクリスチャン系の新聞で発表される被害者の数値がまったく違うこともあるので、正確な数はわからない。なお、イギリスのNGOによると、マルク騒乱による死者は4000人以上に達すると報告されている。

騒乱はなぜ起きたか

人口の変動

 インドネシアは、全体でみるとムスリム人口が圧倒的に多いのだが、マルクではクリスチャン人口が比較的多い。1971年の統計では、クリスチャンの人口割合は41パーセント、ムスリムが58パーセントと人口はほぼ拮抗していた。しかし、スラウェシ島からブトン人、ブギス人、マカッサル人が流入してくるにつれムスリム人口が増え、1995 年にはクリスチャンが41パーセント、ムスリムが58パーセントとなっている。こうしたなか、クリスチャンの間には、交易、漁業などの商売を奪われることでムスリムに経済を独占されるのではないかといった不安が形作られていった。また、州知事をはじめこれまでクリスチャンが務めてきた州政府の重要なポストにムスリムが就任し始め、やがてマルクの政治はムスリムによって支配されるのではないか、といった不安も生まれていた。一方、ムスリムの側には、クリスチャンによる南マルク共和国独立運動が激化しているという噂があり、自分たちが排斥されるのではないかといった不安や、98年暮れにジャカルタと西ティモールのクーパンで生じた教会焼き討ち事件以来、反イスラム感情が高まっているのではないかという不安が生まれていた。

共存していたムスリムとクリスチャン

 騒乱の遠因としては、以上のような双方の不安を挙げることができる。しかし、これまでムスリムとクリスチャンはおおむね仲良く暮してきたと言ってよい。マルクには、「ペラ・ガンドゥン」と呼ばれる村落間の協力関係を示す言葉がある。これは、困ったときに助け合ったり、共通の敵に対処したりする村落間の約束であり、宗教の異なる村同士の間でも結ばれていた。また、ムスリムとクリスチャンがクリスマスやイドゥル・フィトリ(断食明けの祭り)をともに祝うということもよく行われてきた。これらのことからうかがえるように、宗教の違いはそれほど重要ではなかったのである。もちろん、ムスリムとクリスチャンとの間に多少の小競り合いが無かったわけではないが、こうした争い事は自分たちで解決してきた。これらのことをふまえると、一般の人々の間に、「宗教紛争」を戦う十分な理由は見当たらないように思える。

 現地NGOやメディアは、この一連の騒乱を純粋な「宗教紛争」とは見ていない。宗教の違いを利用した特定集団による陰謀が背景にあったと見ている。それを裏付けるような、不可解なできごとがたくさん起きている。

不可解なできごと

 たとえば騒乱の発端となった99年1月19日には、バトゥ・メラ地区の争いとほぼときを同じくして他の2つの場所で衝突事件が起きている。また、衝突発生直後に、バトゥ・メラ地区ではムスリムの象徴である白いはちまきをした集団、シロ教会の前ではクリスチャンの象徴である赤いはちまきをした集団が突如出現している。また、「ハレルヤ! イスラムをアンボンから追い出せ! 」と叫ぶ正体不明の男も目撃されている。さらに、何者かによって「モスクが(または教会が)焼かれた」というデマが流されたし、インドネシア国営放送の記者に事件報道をしないよう命じる脅迫電話もあった。最初の衝突が起きる前にも、マルク州知事が州政府の上級官職をムスリムにするという匿名のパンフレットがまかれたり、襲撃をほのめかすジャワのことばで書かれたビラが大量にまかれたりするなど、枚挙にいとまがない。

陰謀に関する諸説

 ではマルク騒乱を影で画策した首謀者がいるとするなら、それは一体誰なのか?いまのところ、マルク騒乱の背景に関しては、以下のような諸説がある。

 南マルク共和国独立運動(RMS) : 植民地時代、オランダに優遇されたアンボンの人びと(その多くはクリスチャン)は、インドネシア共和国成立の過程でオランダ側についた。共和国成立後も、クリスチャンによる分離独立運動が続いた。今回の騒乱はムスリムを追い出し、独立を図ろうとするRMSが作り出したものではないか。

 地方政治エリートの利権争い: マルク州知事の座にムスリムが就いて以降、州政府の重要ポストに占めるムスリムの割合が高まった。マルクは住民の4分の1以上が地方公務員か公共事業と関わりのある仕事に従事している。こうした利権は宗教のネットワークを通じて配分されることが多い。したがって、公共事業・官職の権益配分をめぐる宗教間の争いが生じる条件は十分にある。アンボン住民の58%はムスリムだが、その40%はブギス人、マッカサル人、ブトン人、スマトラやジャワから来た移住者である。したがって、クリスチャンの政治エリートが、暴動によって彼らをマルクから追い出し、総選挙で非イスラム系代表者の勝利を勝ち取ろうとしたのではないか。

 国軍の生き残り作戦: 国会・国民協議会における国軍議席の縮小、地方軍管区機構の段階的廃止、軍が経営する財団のビジネスからの撤退など、国軍改革が進みつつある。このように軍の役割がどんどん小さくなってきているなか、反改革派将校たちが、騒乱を利用して軍の存在意義を示そうとしているのではないか。

 スハルト、スハルト・ファミリーのしわざ: スハルトおよびスハルト・ファミリーが(1)99年6月に実施される総選挙を失敗させ改革勢力の勢いを弱める、(2)国を混乱させて「強い指導者」の復活が必要であることを示す、(3)不正蓄財などに対する批判をかわす…、などの目的で、プレマン(ヤクザ)を利用して、マルクを混乱させたのではないか。

現時点でいえること

 これらのどの説も、残念ながら「これ」といった決定的な証拠に欠けている。これらの説のいずれかひとつが正しいと考えるよりも、多数のアクターが自分たちの利権のために「宗教紛争」を利用していると見るほうが妥当だろう。いずれにしても、一刻も早く紛争の真相究明をし、裁かれるべき人が裁判にかけられることなしには、問題は解決しないだろうと笹岡さんは考えている。

(出口 綾子)
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スポットライト

ナガランドで戦闘再開の恐れ

〜インド国内にとどまらない広範な地域にわたる影響〜
多良 俊照
 これまで本紙でも何度かお伝えしてきたナガランドをめぐる情勢に、暗雲が垂れこめてきている。インドとの和平交渉を行ってきたNSCN-IM(ナガリム民族社会主義評議会イサク−ムイヴァ派)書記長チュインガレン・ムイヴァが、パスポート不法所持によりタイで逮捕されたのだ。このまま和平交渉が暗礁に乗り上げたまま停戦期限切れを迎え、戦闘再開の可能性もある―。ナガランド情勢を伝え続けてきた筆者によるレポート。

チュインガレン・ムイヴァの逮捕

 インドの国境は未だ定まっていない。それは西部のパキスタンあるいはカシュミールや北部の中国あるいはチベットとのことだけに限ったものではない。東部のビルマの間の地域にもある。ナガランド問題である。そのナガランドで戦闘が再開するおそれがある。影響は北東インド全域あるいはインド・パキスタン関係にも及ぶ可能性がある。

 インドとビルマの間の地域で戦闘再開のおそれがある。といってもインドとビルマの戦闘ではない。インドとビルマの間にはナガランドと呼ばれる地があり、そこに住むナガ人はインドの独立以来、半世紀以上にわたって独立運動を継続している。

 ナガランドの独立運動組織は闘争の過程で4つに分裂したが、その中で最も強硬なNSCN-IMは1997 年にインド政府と停戦し、和平交渉を行なっていた。しかし停戦中のインド政権の度重なる変転のために交渉は遅延し、ほとんど進展の見られないまま2年半が過ぎた。

 1999 年になってBJP(インド人民党)政権がようやく安定し、NSCN-IMとの間に和平交渉が進められていた。だが、今年1月31日にオランダのアムステルダムでの交渉が予定されていたが、NSCN-IM 側の主要人物である書記長チュインガレン・ムイヴァがその前日、30日にタイで逮捕された。インドのパスポートを所持できないために他国のものを使用していたことがタイ入管に発覚したのだ。このため和平交渉は中止され、再開の目処は立っていない。

 ムイヴァはすでに1年の刑期を受けており、NSCN-IM はタイ政府に対して釈放を請願している。もし交渉が再開されなければ、今年7月に停戦の期限が切れて戦闘再開のおそれがある。

インド北東部の状況

 読者の方々には、このことが日本とまったく関係のないことだと思えるかも知れない。実際、インドとビルマの間にあるナガランドに日本人が訪れることはほとんどない。ナガランドへの入域がインド政府によって厳しく制限されていることもその一因だ。「治安上の問題」が理由である。

 しかし、実際には制限されている地域だけが問題なのではない。NSCN-IM の影響はもっと広範囲にわたっている。

 インドはナガランド州を入域制限地域にしているのだが、実際にナガ人が住んでいて、NSCN-IM やほかのナガランド独立運動組織が活動している地域は近隣の州にも及ぶ。マニプル州、アルナーチャル・プラデシュ州、アッサム州、メガラヤ州だ。このうちマニプル州、アルナーチャル・プラデシュ州は制限地域に指定されているが、アッサム州とメガラヤ州は外国人も自由に入ることができる。ナガ人はアッサム州にも居住しており、独立運動組織もその地域で活動している。マニプル州北部丘陵地帯はナガ人の居住地であり、今回逮捕されたムイヴァの出身地である。アルナーチャル・プラデシュ州では前州首相がナガの独立運動組織との関係を指摘されて辞任している。

 またNSCN-IMによるナガランドの主張する領土はマニプル州、アルナーチャル・プラデシュ州、アッサム州とかなりの範囲にまで広がっている。停戦中の和平交渉の進展に遅れがみられた原因の1つに、インド政府とNSCN-IM の間の停戦地域に対する認識の相違がある。そして、影響はこの範囲にまで広がるということである。

 さらに、ナガランドの独立運動組織はアッサム州やマニプル州、メガラヤ州の民族運動組織とも協力関係にあり、軍事訓練や武器の供給も行なっている。このためNSCN-IMがインド政府との戦闘を再開すれば、ほかの民族運動組織の活動も活発化するおそれがある。だからNSCN-IM の影響範囲はインドだけにとどまらないのである。

 また、ナガはビルマ側にも居住しており、NSCN はかつて分裂以前はビルマに拠点を置いていた。それにバングラデシュでも彼らは活動している。インド内では厳しい捜索を受けることもあって、組織はバングラデシュにも拠点を作り、軍事訓練所や海上からの武器の搬入ルートとしている。これらの地域での活動の活発化も予想される。つまり、ムイヴァの逮捕がこれだけ広範な地域に影響を及ぼす可能性があるということである。

ナガランドの独立運動組織の問題点

 これまでナガランドの独立運動組織は、無差別テロや外国人を誘拐したりするようなことはしてこなかった。しかしこれからもそうであるとは限らない。指導者不在の間にNSCN-IM の組織の統率が乱れて、そのような行為に走る者が現われてくるかもしれない。

 たとえば昨年11月には、ナガランド州首相のS・Cジャミール暗殺未遂事件が起こった。襲撃は兵士によって警備された州首相の車の一行に対して行なわれており、襲撃者は軍事部隊並みの装備をしていた。インド側はこれをNSCN-IMの仕業とみて、非難するとともに停戦監視事務所を閉鎖した。さらにメンバーの数名を逮捕したが、NSCN-IM側は事件への関与を否定している。しかしこれだけの作戦を行なえる組織はほかに見当らない。もしNSCN-IMの兵士の一部が独断で行なったのだとしたら、組織はすでに部隊を統率をできなくなってきているのだといえる。そうでないにしても、これだけの襲撃を行なえる武装勢力が存在しているのは事実である。NSCN-IM はまだ停戦を継続しているが、すでにこのような事件が起こっている。

 NSCN-IM が組織として不安定になった現在、北東インドの状況も悪化するおそれがある。もしインド政府軍とナガの組織の部隊の戦闘が全面的に再開されれば、さらにこの地域は深刻な状態になるだろう。

インドが独立時から抱え続ける問題

 問題はそれだけではない。ナガランドの問題は、インドが抱える民族あるいは国家の問題の一例に過ぎない。

 核戦争にも至る可能性のあるインドとパキスタンの抗争の原因は、元々は、カシュミール藩王国が独立国家となるか、あるいはインドかパキスタンへ帰属するか、という問題であった。それが両国の関係をこれほどまでに悪化させたのだ。ガンディーはインドとパキスタンが別個の国として独立することに反対していた。結局インドとパキスタンは分離独立したが、その間にあるカシュミール問題をめぐって半世紀も流血を続けている。

 その一方で、インドは独立を目指すナガランドを武力で制圧しようとした。だが、それにも成功していない。そして、武力闘争を続けるナガの組織に対して、パキスタン情報部はカシュミールに行なってきたのと同じような支援を行なっている。インド政府はそれに対して、テロ支援だと非難している。ナガランドの問題は、インド・パキスタンの関係にも微妙に影響を及ぼしているのである。

 日本人は、インド、パキスタン両国の核兵器の開発について大きな関心を見せたが、それだけに過敏になるのではなく、その原因についても少しは知っておくべきだろう。

 独立、民族、国境といった問題は、他国だけの問題ではない。それらを理解せずに、使用される兵器だけを問題にするのでは本末転倒だろう。核兵器を開発しているということだけを基準に援助金の停止を決定する政策も、その政策を支持する、あるいはそのことだけしか問題として捉えない日本の世論もおかしなものだ。核兵器の威力は強大で、もし使用されることになれば多くの人命が失われることになるだろう。しかし、いま現在、独立あるいは民族問題のなかで殺されている者はどうでもいいのだろうか。

(たら としてる・フリーライター)
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スポットライト 「石原都知事発言」が支持を集める背景(1)

「外国人犯罪の増加・凶悪化」と「不法滞在外国人」

白取芳樹

抗議よりも支持が多いという現実

 「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京の犯罪の形は過去と違ってきた。こういう状況で、すごく大きな災害が起きた時には大きな大きな騒じょう事件すらですね想定される、そういう現状であります」

  去る4月9日に石原慎太郎東京都知事が陸上自衛隊記念行事の講演で述べたこの発言は、さまざまな方面から批判を呼んだ。ポイントはおおよそ次の4点にまとめられる。(1)「三国人」は差別用語。(2)「災害時の騒じょう事件が想定される」は、関東大震災時に噂が在日朝鮮人の虐殺を生み出した歴史を無視しており、在日コリアンたちの不快感、恐怖心を生み出している。(3)軍事力を民族差別的に利用しようとしている。(4)「不法入国した〜」は「不法滞在外国人=犯罪者」というイメージを助長する。

 だが看過してならないのは、むしろ都知事の発言に対する支持の声のほうが大きいということだ。毎日新聞社の「E-mail ディベート」への意見から、おおよそ次の3タイプに集約できそうだ。(1)「不法入国した」がついていたのだから問題はない。外国人犯罪の増加・凶悪化への対処は当然。(2)「三国人=差別用語」は言葉狩り。(3)災害時における自衛隊の出動という議論は必要。

 石原発言の波紋を後追いするかのように、4月30日には警察庁来日外国人犯罪等対策室が『来日外国人問題の現状と対策』を発表、翌5月1日には全国各紙がそれを報道した。くしくも、東京銀座で繰り広げられた非正規滞在者(「不法滞在外国人」をここではこう表現する)らによる自らの権利やビザを求めるパレードとまったく時を同じくしていた。

「外国人犯罪の増加」に再検証の必要性

 石原都知事の発言への発言に支持が集っているのは、何よりも「不法滞在外国人」と「外国人犯罪の増加・凶悪化」を関連づけたイメージが広まっていることにありそうだ。このことを踏まえると、いま何よりも検証と考察が求められるのは次の3点だろう。(1)「外国人犯罪」の詳細な内訳。実際のところ、外国人による犯罪(率=日本人との比較)は増加(上昇)しているのか。その中で非正規滞在者の犯罪は比率上で増加・凶悪化しているのか。警察庁は、どのような実態を踏まえてどう発表しているのか。(2)非正規滞在者をどう考えるか。(3)マス・メディアによる「外国人犯罪」報道に問題はないか。

 さしあたってここでは、先述の『来日外国人問題の現状と対策』から読み取れることとして、検挙件数こそ過去最高であったものの検挙人数自体はそうではないこと、また、「外国人の犯罪」には入管法違反としての超過滞在による検挙も含まれており、たしかに総検挙人員に占める非正規滞在者の割合は58.3 %であるものの、刑法犯だけでみれば外国人犯罪全体の25.6%にとどまっていることを指摘しておきたい。

「『不法滞在外国人』=犯罪者」か?

 この石原都知事発言が、無理やり「三国人」という表現を使うことで配慮を欠いた、事実関係を混同させた発言であることは明らかだ。たとえば「日本に不法入国しているマフィアや覚醒剤の売人らによる凶悪犯罪がふえている」とでも表現すればまだよかったのだ。彼の発言が恣意的に「外」を作り出し「内」の結束をはかろうとする偏狭な愛国主義と感じられても無理はない。だが今の日本では彼の発言に対する支持の声のほうが大きい。「外からの危険」を排除すれば「内」の安全が保たれるというのは幻想にすぎないのにもかかわらず、である。こうした現象が、法務省が少子化による労働力不足解消という経済的要請から介護関連事業を中心に外国人労働者受け入れ枠拡大方針を打ち出すような情勢、あるいは定住外国人の参政権問題が大詰めを迎えるような情勢のなかで生じている。

 都知事発言への支持者の多さが在日外国人の心にどれだけ不安を与えているかということへの鈍感さ、先述の幻想が力を持ってしまう現代の風潮は危険である。「不法滞在外国人についての発言ならしかたがない」という認識も同様だ。それもまた、「外国人労働者」定住化の進展という実態を踏まえたものではないからだ。たしかに「不法滞在」は入管法違反という意味では「犯罪」だが、窃盗・強盗・傷害・殺人のような、他者に危害を与える犯罪ではない。この意味で「『不法滞在外国人』=犯罪者」ではない。それどころか、入管法上は「いてはいけないはずの人々」が、地域社会と折り合い、むしろ支えつつ生活基盤を築き、家族を形成し、日本人の子どもといっしょに学校生活を送っている子どもも増えつつある。日本社会は、この約26万8千人いる非正規滞在者への対処についてまだ答を出し得ていない。

 犯罪増加・凶悪化への対処は必要だ。来日する人の増加にともない彼らによる犯罪が増えるのも必然だろう。だがその際に問題なのは、滞在形態が合法か否かではない。ましてや、外国人か日本人かの問題でもない。特定の「集団」が犯罪の温床であるかのようなイメージをひとり歩きさせてはならない。そしてまた、外国人による犯罪を減らそうとするならば、犯罪を引き起こさせる日本社会のいびつな部分にも目を向けるべきだろう。そうでなければフェアではない。


石原発言リンク集

 石原都知事発言への支持、不支持のそれぞれの理由は、インターネット上からも探ることができる。

 支持については、毎日新聞社の「Mainichi INTERACTIVE Debate」、あるいはさまざまなWebの掲示板への個人による意見が多いようである。一方、不支持(抗議)に関しては、批判のスタンスが大まかに「オールドカマ―」「ニューカマー」「平和主義」などの立場に立ったもの、あるいはそれらの複合型に分かれており、もしかしたら抗議する側のなかにも非正規滞在者に対するスタンスに温度差はあるのかもしれない。

石原都知事発言「不支持」の論理

石原都知事発言「支持」の論理

 そのほか、雑誌への寄稿なども含めて、「外国人犯罪」を問題と捉えているものがやはり多い。


<全国各紙による警察庁発表についての報道(5月1日)>「外国人犯罪、最多に 警察庁まとめ」(朝日新聞、26頁・343字)/「外国人犯罪再び増加 昨年、過去最多3万4000件超 10年で6倍に」(産経新聞、総合1面・1033字)/「外国人犯罪、3万4000件超える 過去最高―警察庁まとめ」(毎日新聞、22頁・写図有・491 字)/「外国人犯罪、過去最多で前年比8.2%増 凶悪化、組織化進む 警察庁まとめ」(読売新聞、26頁・756字)

 今後も次のような切り口により、データや専門家の方々の力もお借りして「外国人犯罪」について可能なかぎり検証して行きたいと思います。

(しらとり よしき・編集者)
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インタビュー

『慟哭の豆満江』著者 金賛汀(キム チャンジョン )さんに聞く

 1990年代半ばから続く北朝鮮の食糧危機により、数万人とも言われる北朝鮮の住民が中国に逃れた。しばらく物乞いをしてすぐ帰る少年もいれば、中国朝鮮族の村に花嫁として売られていく女性もいる。金賛汀さんはそんな中朝国境を1998年と1999年に訪れ、その報告を『慟哭の豆満江』(新幹社)としてまとめた。取材当時とは変わってきている現在の状況も含め、お話をうかがった。

飢餓の状況

 1995 年頃からの北朝鮮の食糧危機では300万人が餓死したと言われるが、金賛汀さんはこの数字を否定する。「300万人という数字は韓国の仏教団体が豆満江を渡って中国へ逃げてきた1,000人ほどの難民に聞き取り調査をした結果なんですが、豆満江の地域は一番飢餓が激しいところなんです。そこから出てきた人たちの調査結果を全国化してしまうのは無理があります。それに越境してきた人たちは話を大袈裟に伝える場合が多いんです。300万人という数字は韓国でもあまり信じられていません」。だから飢餓の実情はそれほどひどくない、というのではない。300万人ではなく30万人だったとしても重大さに変わりはない。ただ、日本のマスコミが事実に基づいてしっかりと報道しないのが問題なのだという。

 1970年代後半までは中国や韓国と比べても北朝鮮のほうが豊かだと言われていた。その後農業不振の状況が伝えられてはきたが、曲がりなりにも配給制度が確立していたため、飢えるような状況はなかった。1985年以降、金賛汀さんは何度か中朝国境を訪れているが、1995 年ごろに飢餓者が多くでているとの報道に接したときは「まさか」と思ったそうだ。

中国朝鮮族に買われる「北朝鮮花嫁」

 私が『慟哭の豆満江』の中で特に関心を引かれたのは「北朝鮮花嫁」に関する部分だ。中国朝鮮族の村には北朝鮮からカネで買われた花嫁が入っているというのだ。改革・開放政策によって都市に人口が集中しはじめたことや、1992 年に中国と韓国が国交を樹立したために韓国への出稼ぎが増えたことによって朝鮮族の農村の過疎化が進み、花嫁不足が深刻になったことが背景にある。中国には売買婚の伝統があり、法的に禁じられてはいるがそれほど罪悪感もないという。「なぜ北朝鮮から違法と知りながら花嫁を受け入れているのですか」という著者の質問に対し、ハルビン郊外の村の共産党書記は「そのようにしなければ村が崩壊するからです」と答えている。

 この点について聞くと、金賛汀さんは「それは中国の朝鮮族にだけある現象だとは考えないほうがいいでしょうね。日本の農村にもアジア各地からたくさん花嫁が来ていますよ。言葉や文化の問題があまりないという意味では中国朝鮮族の場合の方がうまく行く可能性が高いでしょう」と指摘した。売買婚と言われれば重大な人権侵害のように感じられるが、それだけで片付けてしまえない深刻な状況が売る側にも買う側にもあるということなのだろう。

北朝鮮は変わるのか

  北朝鮮を巡る情勢は昨年後半から少し変わってきている。食糧危機はある程度緩和されてきたと言われている一方、日本や韓国との関係も好転しはじめている。特に重要なのは4月に南北首脳会談が発表されたことだ。この点について、金賛汀さんはこう解説する。「食糧問題については、一時期よりは生産も回復し、外国の援助も入っているので、ある程度解決の見通しが立ってきています。北朝鮮は食糧問題が解決されればあとはかなり楽になるのです。食糧は工場で働けば配給される制度になっていますから、食糧があるということになればみんな工場に戻ります。そうすると工業生産も回復できることになります。しかし原料や機材を買うのに必要な資金は今ありません。そうすると外国の援助しかないわけですが、アメリカは渋いし、日本との国交交渉も数年かかるので、今すぐ資金を出せるのは韓国ぐらいのもので、それで関係改善を図っているのでしょう」。

 しかし、北朝鮮をめぐる緊張緩和と連動するかのような形で昨年9月に始まった朝鮮総連の改革は尻すぼみに終わってしまった。北朝鮮政府の指示を在日朝鮮人に伝達する機関から在日朝鮮人の互助組織へと活動方針を転換することになり、機関紙の『朝鮮新報』の紙面も改革されたのだが、数ヶ月後には改革以前の状態に戻ってしまった。「あれは1950 年代の中国の百家争鳴政策と同じですよ。自由にものを言わせて右傾分子を摘発するためのものです」と金賛汀さんは見る。改革というので喜んで記事を書いた若い連中は北朝鮮に召還され、査問を受けた。北朝鮮の指導部は開放の効果が内部に波及するのを恐れ、締め付けを強化している。

 とはいえ、「体制疲労」を起こしている北朝鮮の国家体制がいつまでも堅固であるはずはなく、開放の効果もいずれ内部に浸透していくだろう、と金賛汀さんは展望する。既にヤミ市場から始まった一種の自由経済の拡大は国内にひずみを生じさせている。北朝鮮をさまざまなひずみが拡大して体制の崩壊へと向かわないよう、今は支えるべきだという。「もちろんそれが現在の幹部たちを太らせるだけになってしまうのも望ましくありません。民衆のため、ということです」と最後に付け加えてくれた。

(インタビュー・構成/小池 和彦)
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ノンフィクション

信州からみた「満洲」

色平哲郎

体に刻まれた時代のうねり

 私は、信州の山の村に家族5人で暮らしながら、村の医療に取り組んでおります。3年前に赴任して、野辺山高原の吹雪の冬、氷点下25五度の地吹雪を幾度か体験しました。冬山の厳しさ、恐ろしさを知ると、なおさら春の芽吹がとても待ち遠しくなりました。この野辺山高原には、中国東北地方、旧「満洲」から追われて引き揚げた日本全国の開拓民が敗戦後、再度の入植をしました。それまでは米の取れない無人の荒野でした。戦時中は海軍航空隊の基地が、朝鮮人を大量動員して「本土決戦」のために設営されていました。

 村営の診療所の「お客」は、ほとんどが村の、簡単には弱音を吐かない「野性の」老人たちです。重大な病気を見落とさないために、彼らの表情や言葉になる以前の表現を読み取ろうとして、毎日努力することになりました。関節に水がたまった背中とおしりをさすりながら耳をそばだてると、つぶれた背骨とすりへった軟骨がひとしきり語りかけてきます。また、往診の際のちょっとした隙間の時間に、ひとりひとりの人生の記憶の一瞬が、輝いた肉声で語られます。「肉弾」となって死んだ戦友の想い出。「国費の海外旅行」で殴られ続けたこと。空襲下の東京から焼け出され逃れてきた、痩せた「縁故疎開」の家族。生活基盤と農業経験のない彼らの、村での肩身の狭い想い。農地開放などの戦後改革の大波。没落する地主と正義感あふれる青年団の活動。日本共産党による「山村工作隊」が歌った革命歌と農民運動の高揚。辛抱に辛抱を重ねた彼や彼女の体に刻まれた時代のうねり。

信州から満州へ渡った人びと

 寝たきりで目の見えない高齢の女性がいました。すっかり呆けてしまっていて、うんちおしっこが垂れ流しになる日があります。でも、しっかりしていて、「昔語り」をする日もあります。彼女は「満洲」からの引き揚げ者でした。村内で「電気の来ていない部落!」と馬鹿にされていたこと。海外で一か八かの運試しをしてみることになったこと。満洲の入植地で、生まれてはじめて白米を食べる生活になったこと。はじめて自分の土地というものを持てた! しかしなぜか、既に開墾してあった土地に「入植した」こと。おもに山東省出身の中国人たちから武力でとりあげた開墾地を、日本人向けに提供し直した土地であったこと。使用人の朝鮮人には米、中国人には麦で給料を払ったこと。子どもたちの友だちにも朝鮮人や中国人がいて、みんな混じって各国語でしゃべって遊んだこと。「紀元は2600 年、ああ一億の胸は鳴る」。ところが「王道楽土」「五族協和」の筈なのになぜか、列車や駅が次々に「馬賊」に襲撃されたこと。身代金を求める拉致事件まで伝わってきて、周囲の中国人がみんな「人さらい」に見え始めたこと。匪襲に対抗した日満軍警の英雄的「討匪行」の報道。

「匪賊」から「抗日ゲリラ」へ

 抑留されたシベリアから、生きて帰った男性が語ります。なぜあんな深い長白山脈の森の中に抵抗する「匪賊」がいるのか、見当もつかなかった。「治安不良地」では満洲国と匪賊の双方から民衆に働きかけがなされているようだったと。「満人」には警察から「良民証」が発行され、村から3日以内に出て行くように言われた。強制移住させられて、高い土塀や木の柵の中に封じこめられた農民たちの「集団部落」。出入口には警備員がいて、四隅の望楼から四六時中の警戒監視がなされていた。「良民」との接触を隔てて無人地帯を作り、匪賊の糧道を断って飢えさせて包囲する、との満洲国軍政部方針だった。入植地周囲の深い森に討伐のための道路が開かれていく。山中に孤立して暮らしていた農民の村がどんどん強制的に里に下ろされる。共産匪をはじめ「満洲国腹中の癌」といわれた中国人、朝鮮人の匪賊リーダーの生首が、役場前や警察署前にいくつもさらし物にされていた。満洲国の存在を否定し、日本の支配に武力で抵抗するゲリラたちであることを、当時はまったく知らなかった。戦後ずいぶんたってから、反満抗日のたたかいを担った「東北抗日連軍」(抗連)とよばれる男女であったことをはじめて知った。

戦時下に獄死した尹東柱の故郷・龍井を訪ねる旅

 中朝国境の北のあたり、龍井市に生まれた日本とつながりの深い人物に、詩人の尹東柱(ユン・ドンジュ)がいます。第2次世界大戦のさなか日本に留学中、朝鮮語で詩を書いたことから、朝鮮独立運動に関与したとの嫌疑で特高警察に捕まりました。そして懲役刑を受け、福岡刑務所に服役中の1945 年2月、若くして獄死。彼の「序詩」を掲げます。

 死ぬ日まで空を仰ぎ/一点の恥辱なきことを、/葉あいにそよぐ風にも/わたしは心痛んだ。/星をうたう心で/生きとし生けるものをいとおしまねば/そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。/今宵も星が風に吹き晒される。

 この尹東柱の故郷龍井を訪ねる旅を、私ども「日中恊働『飢民』支援フォーラム」はこの2000 年8月下旬に企画しております。白頭山や延辺朝鮮族自治州の歴史に関心をお持ちの方に広めたく存じます。詳細は日中フォーラム事務局までお問合せ下さい。

日中恊働『飢民』支援フォーラム

(いろひら てつろう・南相木村国保直営診療所長、日中恊働「飢民」支援フォーラム)
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インタビュー 台湾総統選挙後特別連載企画

今後の台湾、私はこう思う!(2)

簡彩鳳(カン サイホウ)さん(女性、30歳)台湾出身・本省人 日本滞在5年 大学院留学生

この選挙について思ったことは?

 今度の総統選挙について、私は選挙前から、台湾のこれまでの政治状況を大きく変える選挙だと認識していました。そして私は陳水扁に投票しました。連戦が当選する確率は低いものの、彼の獲得票数によって陳水扁、宋楚瑜それぞれの獲得票数も決まってくる、だから少なくとも連戦には総投票数の30%は獲得してほしい、選挙前に私はそんな希望をもっていました。もともと連戦と宋楚瑜は同じ国民党で支持基盤もほぼ同じですから、連戦に票が集まればそれだけ宋楚瑜の票が減るわけです。けっきょく連戦は23.1 %しか獲得できなかったので、その分、陳、宋両者とも票を伸ばすことになったのでしょう。

 私はこの選挙について、台湾の民主化を望み腐敗した政治状況を断ち切りたいと考える人々と、これまでの台湾の政治スタイルを最も具現化している政治家との争いだったと思っています。つまり、陳氏と民進党の対極にあったのは、じつは国民党の連戦ではなく宋楚瑜であったと考えています。

 宋氏は前台湾省長であり、大衆受けするような発言や行動で人気を集めていました。そして、国や党からあらゆる名目と金をもらい、地方の支配者層と結託して利権を握り、権力基盤を固めてきました。それが、今度の選挙で彼が集めた支持率の背景にもなっています。彼は蒋経国の時代から重要なポストに座り、主要メディアとも関係を作り、地方の支配者層との関係を着々と築いてきたと言われています。したがって彼の力はとても大きい。「宋楚瑜が当選し総統になれば、以前と同じような政治状況に後戻りしてしまう」。陳氏を勝たせたのは、台湾の多くの人々が抱くそんな思いだったのだろうと私は思います。

政治に関心を持った経緯は?

 私は、大学時代は法学部に在籍していました。その頃の国民大会は、大陸で選出されて以来40年も改選されずにいる万年議員が大半をしめていました。そこで私は、国民大会の解散を政府に要求する学生運動に参加していました。

 また、私は本省人であるととともに客家(はっか)でもあります。私たちの時代までは、政府は、全体の約15%にすぎない少数者である外省人を優遇する政策をとってきました。外省人は、生まれながらにして本省人がもたない特権の下にいたわけです。だから私たちの世代までは、中学、高校生になる頃までに国民党員になる人が多かったのです。党員になることでさまざまなチャンスが広がるからです。国の要職、軍人・公務員・官僚などのほとんどは国民党員です。当然、外省人のほとんどは国民党支持者となっていました。そして私が大学に入学した頃から国民党員になることを拒否する本省人が増えだしたのですが、これはすごく勇気のいることだったのです。国民党員にならないと将来の保障がなくなってしまうのですから、みんなどうしようかと悩むわけです。このような不公平が存在するうえに、87年までは戒厳令のもとで言論や表現の自由もままならない状況も経験してきたので、これらを不満に思い続けて来た本省人や知識人、社会運動家などは、今度の選挙でも、これまで不公平への反対運動に取り組み続けてきた陳氏や民進党を支持したわけです。

台湾の現状をどうみていますか?

 今の台湾にとって最も難しい政治問題は、中国との関係を中心とするいわゆる外交問題です。でも、いちばん重要な問題となっているものは国内問題です。つまり、不信を招き続けてきた政治のあり方や社会問題をどうしていくかです。なかでも今いちばんの焦点は、原子力発電所の建設問題です。現在4基目が建設中ですが、岐路にあります。これは国民党政権から受け継ぐ形の課題となりましたが、市民運動や彼らが支持する民進党は、今まで国内における原発建設に、猛烈に反対してきました。安全面での疑問もさることながら、原発建設にともなう大きな利権構造が、国民党の腐敗した面を象徴するものであったからです。これまで国民党は「原発建設を途中でやめれば各業者に莫大な違約金を払う必要が生じるので、多方面に甚大な迷惑をかける」と言い訳し、建設を途中でやめるわけにはいかないと言い続けてきました。原発建設反対運動はこの12年間続いてきましたが、陳氏に代わったことで、運動を続けてきた者には新たな希望が出てきたわけです。ただし、この前政権から引き継ぐ問題は、アメリカが建設や利権にからんでいるため、対中国を意識した外交政策や国内の実業界からの声を考えると、なかなか対処が難しい問題だと思います。

 しかし一ついえることは、台湾に新しい政治状況がでてきて、また新たな危機感をもって政治が動き出した。これは良いことだと思う。これまでは、国民は台湾の非民主的な状況のなかで希望を持てず、挫折感をもっていた。でも今は、そういったものを捨て、やっと新たなステージで動き始められるという実感があります。政治が国民のそうした希望を果たす責任を負い、国民全員が監督者になる。つまり、国民にとって今度の選挙は、自分が投票することでこれだけ大きな変化をもたらすことができたという自信になったわけです。この実感は大きいだろうと思っています。

(インタビュー・構成/八尾 浩幸・本紙発行人)
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団体紹介(9)

インドネシア民主化支援ネットワーク(ニンジャ)

Network for Indonesian Democracy, Japan (NINDJA)
佐伯奈津子   

「ニンジャ」参上!

 「ニンジャ」と名乗ると、インドネシアについて知識のある日本人から顰蹙を買う。インドネシアで「ニンジャ(Ninja)」というと、軍特殊部隊(Kopassus )が率いていると言われた東ティモールや東ジャワでの殺人部隊をイメージするからだ。

 しかしインドネシアでは、「クーデター」とか「爆弾(BOM)」といった略語をつけた民主化運動を進める学生団体も多いせいか「ニンジャ」の名はおおむね好評だ。シュリケンを投げるまねをする人も出てきて、ほとんどの人が覚えてくれる。インドネシアのNGO や市民たちと協力関係を築くのに、もってこいなのである。

「ニンジャ」の思い

 「ニンジャ」の名には、実はいろいろな意味が込められている。

 まずは機動的に動くこと。ご存知の通り、スハルト退陣前からインドネシアの情勢は激動している。民主化運動とスハルト退陣、スハルト不正蓄財追及、東ティモール、アチェ、西パプア(イリアン・ジャヤ)における軍の人権侵害、マルクのつくられた「宗教」紛争・・・。一つの問題にじっくり取り組みたいという思いもあるのだが、人びとの命が不当に脅かされる状況に、手をこまねいているわけにもいかない。だからわたしたちは、忍者のように身軽に問題に取り組みたいと思っている。

 そして権力への批判を貫き、「小さき民」(Orang Kecil=オラン・クチル)に身を寄せるということも心構えにしている。忍者は権力のスパイだったのだから、こう書くと不思議に思う方もいるかもしれない。「ニンジャ」はアルファベットで「NINDJA」と表記する。この「D」は「Democracy(民主主義)」の頭文字なのだが、これがミソである。スハルト大統領時代にインドネシア語の表記が改訂された。しかしスハルト体制に反対する人びとのなかには、わざと旧綴りをつかう人もいる。たとえばアチェ人は「Aceh(アチェ)」を「Atjeh」と表記する。たまたまではあったものの、「ジャ」を「ja」ではなく「dja 」とするところにも、「ニンジャ」の思いは込められている。

「ニンジャ」の忍法

 さて、「ニンジャ」の活動である。メンバーには20歳代の若手が多く、わたしを含め活動は素人で、知識も経験も不十分だが、インドネシアへの思いは人一倍強い。専従・有給スタッフも独立した事務所もないが、ワイワイガヤガヤと楽しく活動している。

 冒頭の団体名の一件も含めて、インドネシアの人びとにはユーモアの精神がある。明日生きているかの保障もない状況でも、人びとは冗談を言い合う。力もお金もない民衆のたくましさを感じるのは、そんなときだ。そんな強さを「ニンジャ」ももちたいと思う。

 「ニンジャ」の活動の目標は、「援助や投資を通じて、インドネシアの権威主義体制を支えてきた日本の人びとに、インドネシアの問題を自分の責任、自分の問題として認識してもらい、ともにオルタナティブな社会や関係を目指す」ことである。そのために以下のような活動を柱にしている。

情報の発信

 メーリングリスト(毎日)やニュースレター(年10回)を通じて、人権、開発などの問題を発信する。99年は西パプア、東ティモール問題に関するブックレットや、スハルト不正蓄財に関する書籍も発行した(*)。

(*)ニンジャ・ブックレット…『森と海と先住民 イリアン・ジャヤ(西パプア)』、『東ティモール 独立への道/村井吉敬ほか著『スハルト・ファミリーの蓄財』コモンズ
講演会、シンポジウムの開催

 99 年は女性労働者殺害事件に関する一人芝居、軍事作戦地域(アチェ、東ティモール、西パプア)の人権侵害に関する講座を開催した。今年はマルクとアチェ問題にしぼって、4〜7月に連続講座を開催している。

エクスポージャー・ツアー

 実際にインドネシアを訪れ、人びとと語り合うことから、現実を肌で感じることができる。99年はアチェを訪れた(『AWC通信』No.14 の定例会報告参照)。今年は西ジャワと西パプアのツアーを企画中。

「ニンジャ」へのお誘い

 日本で「人権」やら「民主化」やら聞くと、「何だか難しそう」というイメージをもつ人もいるらしい。身近なところに、さまざまな問題が転がっているのに見て見ぬ振りをするのも、日本人の特質かもしれない。しかし「人権」も「民主化」も、インドネシアではごくごくふつうに口にのぼる言葉である。人びとが安心して生きていけて、話ができて...。そんな当たり前のことを目指す「ニンジャ」に参加してみませんか。「NINDJA は元気な、希望に満ちた、楽しい団体です」(「ニンジャ」のリーフレットより)。

インドネシア民主化支援ネットワーク(ニンジャ)

(さえき なつこ・インドネシア民主化支援ネットワーク)
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編集後記

石原都知事の発言も含め、このところ在日外国人犯罪者説の流布が行われている/今在日コリアンや外国人関連のNGO や諸団体が、鋭い批判や抗議を行っている/当然のことだ/例えば関東大震災時のデマ、流言が原因でおきた朝鮮人虐殺に関してはご存知の方も多いとは思うが、これに関する政府の正式謝罪は一切行われていない/こんなことが許されていいのか(や)

最近、勤め先で、近年増えているという沖縄移住をテーマとした本を製作した。移住者の年齢、動機・経緯、何に惹かれたかは本当に十人十色だ。大好きな沖縄でお好み焼きともんじゃ焼きを広めたいと思っている人、イタリアからやってきた「ウチナーンチュ夫婦」、パッションフルーツ栽培を始める人…。いや、「移住に至る方程式」を探ることなどナンセンスで、そんな十人十色を受け入れてしまう沖縄の懐の深さの源を探るほうがきっと有意義なのだろう。(し)

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月刊AWC通信2000年6月号(通巻第20号)
2000年5月20日発行
編集人 白取 芳樹/発行人 八尾 浩幸
発行 亜洲通信社AWC通信編集部

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