『AWC通信』2000年4月号(第18号)


目次


定例会報告

外国人研修制度問題の現状と課題

外国人研修制度研究会代表 手塚愛一郎さん
「外国人労働者」の締め出しという出入国管理政策と労働力不足解消という労働政策との妥協の産物として1990年に拡大された外国人研修制度。さまざまな問題を生じさせているにもかかわらず、その実態は公になりにくい。その背景と現状、課題について、外国人研修生による訴訟の支援活動を続けてきた手塚愛一郎さんにお話いただいた。

法律上は研修生、実態は労働者

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 今年1月下旬の朝日新聞に、政府が外国人労働者受け入れ枠を拡大する方針であるという主旨の記事が掲載されました。ですが、この記事には若干の誤解があります。政府がやろうとしていることは外国人労働者の受け入れではなく、外国人研修制度の拡大です。では、外国人研修生は労働者ではないのでしょうか。じつは研修生は、実態は労働者だが制度上は労働者ではないという非常に奇妙な立場に置かれています。外国人は何らかの滞在資格を得て日本に滞在することが「出入国管理及び難民認定法」(以下、入管法)上の規定であり、「研修」はその中の一つの在留資格です。在留資格には就労可能なものと不可能なものがあり、研修は労働ではなくあくまでも研修です。

 では、その「研修」の実態はどうなのでしょうか。1990年の入管法改定で、日本政府は外国人の単純労働への就労を認めず、雇用者への罰則規定も盛り込みました。しかしその一方で、とくにバブル期以降、中小零細企業の一部では、すでに多くの外国人が雇用されているという実態がありました。ですから、入管法どおりに締付けをされるとその産業は労働力確保が困難になります。そこでその業界から、外国人雇用の要求が出ました。その結果日本政府が施した策が、日系人受け入れ枠の拡大と、研修という制度の大々的な緩和です。それまでは、海外に事業所をもつ企業が日本にその国の外国人を招いて研修し帰国させて仕事させるという目的が中心でした。現在では研修生として来日する外国人は年間5万人と言われています。こうして、外国人労働者で支えられてきたものの入管法改定で外国人を雇用できなくなった業種が、研修生制度を利用して外国人を実質的に雇用するという、新しい形態ができてきました。

 「先進工業国日本の高い技術を発展途上国に移転する」、これが研修制度の理念です。日本に滞在できる期間は1年。1993年には、1年では短いという理由で「技能実習」制度ができました。これは、ある企業で1年間研修を受けた外国人が技能検定試験に合格した場合、2年間働きながら技能を獲得できるという制度です。つまり、「技能実習」が働きながら技能を学べることであるのに対し、研修は、賃金ではなく生活実費の支給を受けながら(研修手当て)、働くのではなくあくまでも研修をすることなのです。この一連の制度を活用して、企業が外国人を最長3年間、研修生という名目で実質的に雇用できる、これが今日お話する研修制度の大まかな構造です。

杜撰な研修制度が問題にならない理由

 では、この研修制度のもとでどのようなことが行われ、どのような問題が生じているのでしょうか。

 まず、制度上の問題があります。技能実習生は労働者ですから、法律上では日本の労働関係法が全て適用され権利が保証されます。これに対し、研修生に関しては、法務省が昨年慌てて作ったガイドライン以外、基準となる法律が何もありません。入管法の在留資格の中にある「研修」の2文字、これが唯一の日本の国内法です。ですから、研修生が問題に直面しても、それに対処するための後ろ盾となる法律が何もありません。

 私がいちばんよく聞くのは研修手当が約束どおり支払われないというケースです。私が研修生の問題に関わるようになったあるスリランカ人に対する研修手当て不払い事件では、1ヵ月10万円、うち5万円を積みたてて帰国の際に成田で支払うという契約でした。しかし、諸処の事情で技能実習に移る際、彼は会社から追い出されてしまいました。そして、彼への研修手当て60万円が不払いで水戸の地方裁判所で裁判中ですが、このようなときに支払いを命じられる機関や法的な後ろ盾は何もありません。研修制度の管轄省庁である法務省ですら担当者は2名のみです。しかも彼らの仕事は、研修生として来日する外国人の出入国手続き、技能実習への移行時の労働省への引継ぎのみで、彼らの生活実態の把握、権利の確保にはまったくタッチしていません。このような状況下で、研修手当て不払い、残業の強制が行われています。研修生は労働者ではないので法律上は残業できません。彼らの残業は、入管法上では資格外労働(不法就労)です。そうであっても残業手当は適切に支払われなければなりません。それ以外では、コンテナやプレハブへの居住など劣悪な生活環境に置かれている例もあります。

 また、研修生として来日した者は、研修・技能実習を通して一つの企業しか選らべません。今年2月に法務省が作成した指針でも、会社側が問題でトラブルが起きた場合ですら、対応策は研修生の権利の保障ではなく、早急に企業の研修生受け入れを停止し研修生をすみやかに帰国させることです。

 (財)国際研修協力機構(JITCO。所轄官庁は法務省、外務省、通産省、労働省、建設省)という組織があります。研修生は、彼らの受け入れを目的として作られた協同組合や国際協力事業団(JICA)などを通じて入国してきます。いくつかの企業が集って協同組合を作り、研修生を受け入れて自分たちの会社に派遣するというケースが多いようです。にわか作りの協同組合には、受け入れに必要な入管業務手続きのノウハウがありません。そこでJITCOの会員になると、JITCOが入管業務を代行してくれます。会員になるための厳密な規定は何もありません。

 では、なぜこうした杜撰な制度であるにもかかわらず問題が公になってこないのでしょうか。研修生たちに訴える先がないからです。彼らは非常に隔離された生活環境に置かれている場合が多いのです。市役所まで歩くと5時間もかかるプレハブに住まされている例、トラブルがあり外部と連絡を取ったとたんに電話を切られてしまった例もあります。ある程度知識を持っている研修生の場合は、未払いの研修手当てを払ってもらうべく労働基準監督署に行きます。ところがそこで、「研修生には対処できない」と門前払いされてしまうのです。新潟県でも研修手当て未払いで民事裁判になり、原告側が勝訴したことがあります。これなど、裁判になった経緯は、生活苦から窃盗をして逮捕された研修生についた国選弁護人がたまたま良い人で、彼から事情を聞いているうちに研修生の置かれたひどい実態を知り、民事裁判を起こさせたのです。

問題の背後にある差別意識

 具体例として、ある3人のスリランカ人のケースを紹介しましょう。彼らは「スリランカ関連事業協同組合」を通じて1997に来日しました。法務省の基準では、来日後3ヵ月間、受け入れ側が研修生に対し日本語と配属先での仕事に関する「座学研修」を実施することを義務付けています。ところが彼らはそれを受けることなく茨城県岩瀬町にある石材会社に配属され、来日翌々日から働かされました。そこでの彼らの仕事(「研修」)は、1人が墓石用の石切り、1人が機械を使った石磨き、1人が石の運送でした。ほかの日本人従業員たち40〜50人はほとんどが高齢者とパートの女性で5時(定時)には帰宅していましたが、研修生3人は1時間500円の手当てをもらい、7〜8時、遅いときは11時頃まで残業をさせられていました。彼らが「勉強はいつするのか」「体調が悪い」「手当てを貰っていない」と訴えても、労務担当者は「気にするな!」が口癖だったそうです。私が彼らの1人と一緒に交渉に行った際も、彼に対し「あんたまたいたの?」と言い蔑んだ目で見ていたのが印象に残っています。そして研修手当て不払いを認めたうえで、「こいつは逃げたからペナルティを与えている」と言いました。交渉後、その研修生は私に言いました。「あの態度を見たでしょう。私はこの職場で『バカヤロウ』という日本語を覚えたのです」。別の1人は婚約者が母国にいたので、来日一年後に帰国の希望を労務担当に申し出たところ、「それなら出て行け」と言われ、アパートの窓から荷物を投げ出されてそこを追い出されました。

 会社に不払い分を請求しても支払ってもらえなかったので、彼らは笠間警察署、下館市内の労働基準監督所、東京入国管理局、スリランカ大使館、JITCOなど思いつくところに行き、救済を求めました。ところがどうにもなりませんでした。そしてたまたま私は、宇都宮に引っ越してきたビザの期限が切れる寸前の彼らの1人と出会い、弁護士に頼んで訴訟を起こすことにしました。現在、水戸地裁で係争中です。

 会社側が不払いを認めた上で支払わない根拠は、スリランカで交わした契約書です。それには、研修生は研修先企業の同意なくして辞めることは出来きず、同意なしで辞めた場合は、支払った研修手当全てを没収し3000米ドルの損害賠償金を支払うことが明記されています。こうした契約書がほとんどチェックされないまま研修契約として結ばれているのです。ですが、法務省は何もしてくれません。あまり悪質な例の場合に何をやるかというと、その団体による研修生の受け入れ停止です。スリランカ関連協同組合も受け入れ停止になっています。でも、そこまでしかすることができず、研修手当て不払いやひどい扱いに対しては、救済を施す機関が何もありません。彼らの1人は一度帰国し母国から訴訟を起こそうとしましたがそれがかなわず、再来日し、現在はビザが切れてしまったので在留特別許可を申請しながら裁判を係争中です。

 こうした研修制度の実態は日本の労働をめぐる状況が必然的に作り出したのであり、その根底には日本人の外国人への差別意識があるのでしょう。このような実態にどう対処していけばよいのか。暫定的には、彼らが置かれた状況の実態を把握したり権利を補償するしくみを何らかの形で政府が作るべきだと思います。そして、少なくとも改定入管法で拡大した部分については、労働ビザに切り替えるべきだろうと思います。

(白取 芳樹・本紙編集人)
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香港民主派の心象風景

〜さまよえる愛国心のゆくえ〜
野田 健次

 中国は香港やマカオ返還という大統合事業を経たわけだが、問題は両者を吸収した後の中国の民主化と民主化勢力の動向だ。民主化に時間がかかることは当然とはいえ、現実に生きている人々にとっては重要な問題。中華思想や愛国主義とのはざまで、民主化勢力の思想状況はどうなっているのか、あらためて報告する。

愛国運動で生き残り戦術

 「われわれはチベットやウイグルが中国の領土であることを確信している。だが、問題はそこで何が行われているかだ」―香港民主党の幹部で、30年にわたり香港の労働組合運動を指導してきた劉千石氏はこう語った。1996年8月、後に香港中を騒がせる「保釣運動」(尖閣諸島問題)がくすぶり初めていたころのこと。香港を訪れた池田行彦外相(当時)の宿舎となるアイランド・シャングリラ・ホテルの前で抗議活動をしている劉氏に、私は中国の領土問題について見解を求めた。その言葉が真意なのかどうかは今でも分からない。

 香港民主派を代表する民主党は当事、返還後の生き残りを模索していた。大方の人々は生き残りについて「中国はわざわざ西側の非難を浴びるようなことはしないだろう」と楽観的だった。返還後の香港の憲法として英中が定めた香港基本法は、第3条で、変わらぬ自由と人権を保障している。

スキをついた保釣運動

 だが落とし穴もあった。同23条は、「国家に対する反逆、国家を分裂させる行為、反乱を扇動する行為、中央人民政府の転覆」「外国の政治組織・団体が香港で政治活動を行うこと」「香港の政治組織・団体が外国の政治組織・団体と関係を持つこと」などを禁止。この条項が民主派弾圧の「伝家の宝刀」となることが危惧された。

 劉氏の前記の発言は、この辺りを周到に配慮したものだ。中国が神経質になっているチベットや台湾はもちろん、ウイグルにしても、現在の中国の版図の正当性に異議を唱えれば、「国家分裂行為」による弾圧の口実を中央政府に与えかねない。

 同時に「愛国主義」を政治的資源にしようという戦略も民主党にはあった。

「中国は外国に弱腰」

 その年の9月5日、中国語紙『明報』による尖閣諸島突撃レポートで、香港の保釣運動が一気に激化した。

 民主党は報道の翌日、新華社香港支社にデモをかけた。顔見知りの立法評議会議員(国会議員に相当)に話を聞くと「『派兵も辞さず』という毅然とした態度で日本に臨むよう、中国に要求するんだ」という。「だって、あなたがたは共産党の強権的な姿勢にいつも抗議してきたのではないか?」と問うと、「そうだ。中国共産党は自国民や、チベットやウイグルの人々には強権的だが、外国にはいつも弱腰で妥協的だ。だから、しっかりするように言うんだ」と憤りを見せた。

 民主党のほとんどは中国に回郷証(香港・台湾・マカオなどに住む中国系住民に中国が発給する中国入境許可証)を没収され、いわば祖国に拒絶された存在だ。新華社はいつも、民主党のデモが来ると正面玄関のよろい戸を閉ざしていた。だがこの日、新華社は初めて民主党を建物の中に招き入れたのだ。

中国内とも連帯さぐる

 尖閣問題について中国は「この問題は一時棚上げし、後世の人たちの知恵で解決してほしい」というトウ小平の姿勢を守っている。つまり「釣魚台は中国固有の領土である」と問題の所在はアピールするが、積極的に解決しようとしていない。香港の親中派政党も保釣運動に取り組んではいるが、あくまでも中国の意にそって運動を激化させるつもりはない。

 そのスキを民主党は突いた。保釣運動は中国に「愛国運動」としてお墨付きを得て、だれにも止めることはできない。以降、民主党は保釣運動のイニシアチブを握って積極的に大衆を煽り始めたのだった。同時に中国国内の「反日愛国運動グループ」とも積極的に連絡を取るようになった。

 一方、民主派の中でも積極的に「愛国運動」へ手を出さない勢力もあった。支持者層が比較的若く、どちらかとえいば植民地エリートの匂いがするエミリー・ラウ(劉慧卿)、クリスティン・ロウ(陸恭惠)ら無所属(当事)の立法評議会議員だ。民主や人権について鋭い弁舌をはき妥協しない彼女たちだったが、それぞれの信条から「愛国」を営業品目に加えるには躊躇があったのだろう。返還について民主党は、その政治的内実には激しく反対するが、うわべは祖国復帰を歓迎する態度を示したのに対して、エミリー・ラウは返還について「何もいいことない」ときっぱりと言い切っていた。

 態度の違いはそれぞれの支持基盤にもよる。民主党議員のほとんどが70年代の第一次尖閣諸島問題の時代からのたたき上げで、草の根運動を続けてきたのに対して、ラウはジャーナリスト出身、ロウは官選議員出身だ。

 中国は香港返還を愛国教育の一大イベントとして積極的にキャンペーンを展開した。経済力の浮上もあってか、機を同じくして中国国内でも、新たな中華思想ともいうべき民族感情が、人々の間にわきおこってくる。

 香港民主党はその後、エスカレートする「愛国運動」をコントロールできずに大きな問題を引き起こすことになる。

(のだ けんじ・ジャーナリスト)
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インタビュー

ドキュメンタリー映画『鄭おばさんのクニ』を制作した班忠義さんに聞く

映画のあらすじ  96年秋に始まった、監督が中心となっている活動している中国戦争被害女性を支援する会に、中国湖南省双峰県郵便局職員から一通の手紙が届いた。同県には 韓国出身で日本軍によって連行された戦争被害者の女性がいるという内容だった。彼女は70歳を過ぎた高齢で、しかも癌に冒されていた。死ぬ前にどうしても生まれ故郷を見てみたいという宿願があるという。病魔が襲う中、永住帰国の許可が降りたチョンおばさんは韓国に帰国したのだが・・・。

班さんは今回の作品でも戦争被害という重要なモチーフを扱いながら、戦争に翻弄された一人の女性の人生にテーマをしぼられています。

−−私は今回、もともと記録は撮っても映画にするつもりはありませんでした。しかし、記録としてビデオを回しているうちに、さまざまな人々の暖かい支援活動や彼女の意志の強い生き方、家族の愛情、村の人々の優しさに触れるにつれ、彼女の人生は私にとっても、本当に人生の教科書のように見えてきて、多くを学んでいることに気付きました。それで、今までの撮影は記録としても貴重でしたが、多くの人々に彼女の人生を知ってもらおうとドキュメンタリー映画を作ることにしたのです。

また、この映画の中でもチョンおばさんが韓国に行ってから少し様子が変わります。要するに彼女の韓国への帰国を支援した教会の人々が、彼女が亡くなってから急に彼女の遺骨を中国の家族に返さないということから、遺骨を返すことが焦点になります。これは何か事情が変わったのでしょうか?

−−やはりこのことで体験したことは、支援運動とか慰安婦問題という前に、私は彼女の生き方に深い感動を覚え、多くを学んだ。そのことこそが、この映画を作る理由だった。だからこそ、私にとっては中国人であるとか、朝鮮人であるとかという前に、一人の人間として、彼女の生き方やどんな人生を送ってきたのかということを描きたかったし、韓国の人々にも知って欲しかった。彼らも彼女を慰安婦であるという固定観念にしばられて、彼女の人間としてのドラマをみようとしていなかったわけです。

班さんは今まで2冊の本(『曽おばさんの海』『近くて遠い祖国』)を上梓され、今回このようなドキュメンタリーもおつくりになったわけですが、以前私は班さんから、ノンフィクションを作る上で心がけていることは、事実の集積として淡々と描いていくのではなくて、読者の心に直接訴えかけていくような書き方、表現をしていきたいとおっしゃっているのを聞きました。それはどうしてでしょうか?

−−私は作品を作る時、その主人公たちに出会い、その人と時を重ねていくうちに、一人の人間として多くを学び、その相手の数奇な人生に感動するシーンに出くわしてきました。私は私自身が経験したその感動を深く味わって、その意味をよく考えて感動したことを読む人や見る人に伝えたいと思っているのです。人の人生や感性に影響を与えるような作品を作りたいと考えているのです。また、中国人としての気質もあるかもしれません。比較的中国人はスケールが大きい物語が好きで、わたしもそんなところがあって、人間の大きな物語の中で、一人一人の置かれている現状や、その人柄、家族や村の姿、時代背景というものを描いていくと、ある種、普遍化する分、どんな人にもあてはまり、共感することができるようになるのです。チョンおばさんの長くて数奇な人生を人間の尊厳という面から照らし出し、そのことによって、戦争被害の問題や戦争の悲惨さ、むごさを本当にあらゆる人に感動をもってわかっていってほしいと思うのです。今回も、このチョンおばさんというすばらしい人物に出会わなかったら、この映画は生まれなかった。素材の持っている力を大事にしたいと思っているのです。

今まで活字表現と映像表現とやってこられて、その違いなどはどうですか?

−−正直、中国人の私には日本語で表現していくという活字の表現は、ある程度限界があると思っていました。それに比べ、映像は視覚に訴えかけていくという点では、私にとって言葉をこえられるメリットを持っています。また映像はそのまま時間を撮ることができますが、活字は時間さえ、筆者の表現方法や能力にかかっています。しかし、わたしは映像には映像向きの、活字には活字向きの表現があると感じていますので、両方ともやっていくつもりです。まあ少し、映像にウエートがかかっていくかと考えています。

(構成/八尾 浩幸・本紙発行人)
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ルポルタージュ

ヨコハマのドヤ街から(後編)

〜自分を問う作業としてのニッポンの路上〜
出口 綾子

自立支援? 社会復帰?

 1月4日。行政機関の仕事始めの日を待って、生活保護の申請のために40人ほどの野宿者に同行して、中福祉事務所に行った。この人たちは、普段は野宿をしていて、年末年始は寿でプレハブ越冬をした人たちである。プレハブ越冬というのは、野宿者のためのドヤ確保が困難であることを理由に、横浜市が寿地区内にドヤの代わりに年末年始だけ臨時に建てる宿泊所である。ここに泊まった人は、越冬期間が終われば再び野宿生活に戻ることを強いられる。そこで、一時的にではなく継続的に生活のための必要最低限な保証が受けられるように、生活保護を受けたいと希望する人たちが申請に行く。生活保護は、高齢であるか、病気をしているか、身体に特別な障害があって仕事に就けない状態の人が「仕事に就く」(行政的には「自立する」)までの期間に「与えられる」(同じく「支援する」)もので、失業を理由にもらうことは現状では難しい。

 私が付き添った山形さん(63)は、じつは数ヵ月前に仕事をしたことがあった。しかし息切れを訴えながらゆっくりと歩く今の彼の姿から、もうとても働ける体ではないと察しがつく。担当のケースワーカーは、記帳してきた通帳のコピーにマーカーを入れ、そのときの収入が仕事によるものかどうかを問いただした。思わず山形さんは「ギャンブルで金が入った」と言ってしまった。数ヵ月前まで仕事ができていたなら、生活保護を頼らず仕事を探せといわれることを恐れたためである。結局その日、彼の生活保護申請は通ったが、彼が今後も受け続けられるかは何の保証もない。

 また別の野宿者(56)は、退院後即野宿をしたが、体が悪くてもできる仕事が欲しいと訴える。行政や社会一般での「自立」が「職業に就くこと」を意味する限り、「働かないものは落伍者」というレッテルが貼られてしまう。そのため、体の悪い野宿者も倒れるまで仕事を探すという状況だ。

 野宿仲間のパトロール活動にも参加する桜田さんはいう。「そういう福祉を受けて日々何とか生きつなぐのと、自分たちの考えに従って何かを作り上げていき、その中で仲間との関係性ができていくという生き方とは、本質的に全く違う」。職には就けないが、仲間のために炊き出しや掃除、パトロールを手伝っている野宿者もいる。そんな、身近な地域社会の中で、人との関係を築いていき、自分の価値を見いだし、生き、生かされていると思えるような実践が、自立支援ではないか。

 以前、初めて寿を訪れた人の中からこんな質問が出たことがあった。「ここに住む人たちは、社会復帰しようという意志があるのですか?」。これに対し、寿生活館の職員であるオリジンは逆に問いかけた。「自分たちを追い出した社会、はじき出した社会に、それほど復帰しなければいけないのか。そこに戻る意味は何なのか。ここがすばらしいとはいわない。でも“復帰”する社会とは、彼らを追い出した、人と人との関係性があまりにも冷たく、薄くなっている社会だろう」

黙ってのたれ死ぬな

 寿越冬闘争のスローガンは「黙ってのたれ死ぬな。生きて奴らにやり返せ」という強烈な一文で始まる。このスローガンが訴える真の意味を考えたい。

 のたれ死ぬとはどういうことだろう。15年間日雇いを経験してきた男性は語ってくれた。「多くの人は、のたれ死ぬということを路上死だと思っている。しかし路上と病院を行き来して結局は病院で死んでしまったとか、ドヤにこもったまま一人寂しく死んでしまったというのも、のたれ死にと言えるだろう。たまたま死んだ場所が路上かどうかが問題なのではない。仲間、友人、家族などの関係性がバラバラになって、孤独の中で死ぬことなんだ。私はそんな寂しく悔しい思いはしたくない。違いばかりが強調され、排除される今の世の中で、私は仲間同士、仲良くやっていきたい」

 では、生きて奴らにやり返すとはどういうことか。このスローガンが生まれた当時の意図はわからない。しかし今、オリジンは「やり返す」ことの意味をこう語る。

 「このことばの字づらだけで暴力的だと非難する前に、まずはこういう表現でしか語れない人生が身近な所に多く存在するのだということに思いを馳せてほしい。そしてもし、私たちが行政だけを変えて行こうなどと思うなら、それは自分が不在の状態であり、自分を問う作業を怠っている。この社会が自分も含めて作られている以上、のたれ死にを強いる社会を変えるということは、自分も変わっていく、ということになる。この社会を、自分を変えることも含めて、ぬくもりのあるものに変えていく。それが“やり返せ”の意味だろう」

 学校、職場、家族の中のバラバラの関係性が差別や排除を生む。その中で私たちは、被害者でもあり、また加害者でもある。実際はむしろ、加害者が内に持つ闇は重く、その実感はあまりにもみじめなものだ。長い間に築かれてしまった崩壊という環境の中で、自分の中の両者が、身動きが取れなくなってしまうこともあるだろう。一人の人間の中ですでに両者が葛藤しているのだ。自分を問う作業は痛みを伴う。しかし、ある野宿者の言葉はひとすじの希望を与えてくれた。「私たちは、身近なところで差別や排除を体験している。たとえ自分がされる側になってもする側になっても、まずはそこから逃げず、その現実を直視してほしい。そうして初めて、被害者の立場に立てるのではないか」

 自分と向き合いながら、自分を含めた社会を変えていくこと、それなくして、路上だけが変わることはない。

(でぐちあやこ)
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団体紹介(7)

日中恊働「飢民」支援フォーラム

 日中恊働「飢民」支援フォーラム(以下日中フォーラムと略)は1999年に設立され、食糧を求めて北朝鮮から中国へと渡ってくる難民を支援することを目的として活動している。日中恊働、というのは実際に難民たちを支援しているのは中国人だから。「飢民」というのは難民を指す中国での呼び方だ。事務局のメンバーとして活動している上野哲史さんにお話をうかがった。

Q:設立の経緯と活動内容を説明してください。

 代表の色平哲郎さんが韓国のグッドフレンズ(旧名は同胞仏教助け合い運動)の紹介で中朝国境を訪れ、難民を支援している中国人の宗教者の方々と知り合ったのがきっかけです。北朝鮮の市民は国境を越えてどこへ行けば援助してもらえるのか知っているので、難民が集まってくるんです。そこで日本でも援助金を集める活動をはじめることになりました。我々は集めた援助金を中国の支援者に渡し、中国の支援者が難民たちに渡しています。

 難民たちは当局の許可なしに国境を越えてきていますから、支援するのも違法行為になります。逮捕されると3,000元から5,000元の罰金で、これは月収の10倍程度にあたります。実際に逮捕されたこともあります。ですから中国の支援者を特定するような情報は伏せなければなりません。援助金を出していただいた方々にも具体的な活動内容を知らせることができないのが難しいところです。

Q:公的なルートでの援助は一般の人たちに届かない、と主張する人もいますが、そういう理由で中朝国境での活動を選んでいるのですか。

 公的なルートだと届かないとは思っていません。仮に一部しか届かないとしても、全く届かないよりはいいじゃないですか。届かないという懸念が援助しない根拠にはならないと思います。

 私たちが中朝国境での支援活動をしているのは、中国人の支援者と知り合ったのが始めたきっかけだからということもありますが、それだけではなく、代表の色平さんの言葉を借りれば「第三の朝鮮」がそこにあるからです。色平さんは信州の山村で医者をしているのですが、往診の際に年配の患者さんたちが昔の話をしてくれることがあって、いわゆる「満州」の話も出てくるそうです。現在難民が逃れてくる地域というのは日本と無関係な外国ではないんですね。そのことを日本人に知ってほしいんです。

Q:政治的な行動は一切しないのが方針とのことですが、中国では非合法で活動しているわけですよね。中国が難民を取り締まるのは北朝鮮政府に要請されているからではないのですか。

 中国政府に対しては、北朝鮮から越境してくる人たちを難民として認定して保護すべきだといいたいですね。私個人としては国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や中国大使館に要請したりするぐらいのことはしてもいいのではないかと思いますが、日中フォーラムとしてはそういったことも含めて政治には一切タッチしない方針です。

 飢餓の問題は人道問題であり、政治とは別次元です。飢えている隣人を助けよう、というのが私たちの基本的なスタンスで、敢えて政治の領域にまで踏み込む必要はないと思います。

 日本政府が北朝鮮に対して10万トンの食糧援助を決めたことは歓迎できます。これに対して拉致問題とリンクさせて反対したりするのはおかしいですね。人道問題なのですから、政治的な取引材料にするべきではありません。

Q:飢餓の原因は何だと思いますか。

 主体農法と呼ばれる北朝鮮の農業政策の失敗だという説もありますが、見てきたわけではないので何も言えません。ソ連の崩壊によるバーター貿易の停止やアメリカの経済制裁が原因だという説もありますし、本当のところはわからないですね。

Q:最後に何かあれば。

 日本は飽食の社会と言われますが、食糧自給率は3割程度にしかなっていません。輸入が途絶えたらどうなるか考えると実は非常に不安定で、北朝鮮の飢餓は日本でも十分起こりうることです。この運動を通じて未来の日本の姿を考えていきたいと思っています。

 私たちは飢餓を経験したことがないので、何週間も水を飲むだけ、口に入るものは何でも入れる、というような状況はなかなか想像できません。そこで日中フォーラムでは、毎月1日を断食の日にして、その一日分の食費として1,000円を寄付することを呼びかけています。1日だけでも断食すると寝る前が結構つらいんですが、一緒にやってみませんか。

(インタビュー・構成/小池和彦)

Webページ:http://www.jca.apc.org/~mtachiba/kimin/

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編集後記

▼先月号で、日本人との結婚以外の理由で在留特別許可を求めていた超過滞在外国人21名の結果を報告した。その結果を受けて、支援団体APFSに問い合わせが多数寄せられたため、3月20日に説明会が行われた。さしあたって、出まわっている情報に混乱が見られたこと、50名収容の部屋に100名近くが押し寄せたこと、その中に「コイツにビザをやってほしい」という動機の市井の日本人が少なからずいたことを報告しておく(S)

▼お隣の台湾では、長く続いた国民党政権から野党民進党へ政権が委譲されることになった。これは本当に台湾にとっては画期的な出来事だ。それでAWC通信編集部も、来月から様々な台湾人がどう思っているかを報告していきたいと考えている。乞うご期待!(Y)

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月刊AWC通信2000年4月号(通巻第18号)
2000年3月25日発行
編集人 白取 芳樹/発行人 八尾 浩幸
発行 亜洲通信社AWC通信編集部

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