『AWC通信』1999年11月号(第14号)


目次


定例会報告

アチェの現状と展望

インドネシア民主化支援ネットワーク 佐伯奈津子さん
1989年から9年間、軍事作戦地域(DOM)に指定され、軍による住民の拷問、虐殺などの人権侵害が行われてきたアチェ。今年に入り度々暴動が伝えられ、再び独立への気運が高まっているというその背景に何があるのか。アチェを訪問した佐伯さんに、その構造的な背景、現状、今後の展望などを、現地最新情報もまじえて解説していただいた。

避難を強いられたロスマウェの人びと

p199911a.jpg

 佐伯さんが撮影した北アチェ県ロスマウェの町のビデオには、大きなトラックに乗る軍の姿があり、かなり緊張した状態であることが伝わってくる。軍はアチェの独立運動に関わる人を捕まえるため、道で車を止める。検問所で密かに大麻を入れ、次の検問所でそれを口実につかまえるなどは軍の常套手段だそうだ。軍が入ってきた多くの村では、住民たちは恐怖を感じ、避難せざるを得なくなった。家々は焼かれ、そのあとに"GAM"(アチェの独立をめざすゲリラ、"自由アチェ運動"のこと)と書かれることもあるが、住民の味方である彼らの犯行などということはあり得ず、軍のしわざだと難民たちも信じているという。ビデオに出てきたロスマウェの難民キャンプの長老は「我々が望んでいるのは多くのことではなく、ただ独立だけだ」と語る。

ここ数ヶ月で一気に高まった独立の声

 今年2月に佐伯さんがアチェに行ったときと8月に再び訪問したときとでは、人びとの独立に対する意識が変わったという。2月には、それほど人びとの口から「独立」とか「住民投票」という言葉は聞かれなかったが、8月に行ってみたら、道路や壁など、町中に「住民投票」の文字があふれ、独立への気運が高まっていた。

 この変化の背景は何だろうか。佐伯さんは、スハルト退陣後のアチェの状況にとくに注目している。

 昨年の夏から、スハルト政権時代の人権侵害が明るみになるなど、民主化、改革の時代と言われるようになった。しかし改革とは名ばかりで、実際はその後の政府によるケアがなかったため、人びとの不信感は高まった。

 また、ロスマウェで今年5月に開かれた学生集会のとき50人もの人が軍によって殺された。インドネシア政府は、それについて独立派が争乱を起こそうとしていると口実をつけ、大規模争乱鎮圧部隊を導入したため、アチェの人びとは憤慨した。

 スハルト退陣後、ハビビはアチェがDOM(軍事作戦地域)に指定されていたとき(1989〜1998)の人権侵害について謝罪したので、軍の導入はそれで終わったはずだった。しかし今になって再び軍が導入され、人びとは現在も殺され続けている。このような中でアチェでの独立の気運が高まったのではないかと佐伯さんはとらえている。

寡婦たちの証言

 DOMに指定されていたころ、アチェでは数々の人権侵害が公然と行われてきた。佐伯さんがロスマウェのある村を訪問し、DOM時代に夫を誘拐されたり殺された女性たちに会って話を聞いたときのビデオでは、女性たちがその被害について証言していた。それによると、夫を亡くした女性たちのフォーラムの代表者が「民衆はこれまで殺され続けてきた。今でもその状況は変わっていない。とても現状では平穏とは言えない。だから我々はインドネシア政府に対抗し続けるのだ。軍が完全に撤退しなければ、状況は回復しない。完全撤退すれば、平和が訪れるだろう」と語る。

p199911b.jpg
目の前で夫を虐殺されたと証言する
アチェの女性

 実際に目の前で夫を虐殺された女性の証言もあった。彼女の夫は、夜中に突然入ってきた軍の一団から拷問を受け、家の2階から外に蹴り落とされた。彼らはピストルを夫、彼女、子どもに突きつけ、夫は首を銃剣でかききられ、腹部も引き裂いて彼女たちの目の前で殺した。さらに遺体を引きずって穴を掘って埋めてしまったという。

 アチェではDOM時代から現在に至るまで、日常的にこのようなことが行われている。

アチェの天然資源開発

 アチェは、天然ガス、石油、やし、エビなど多くの天然資源に恵まれており、インドネシア国家予算の11パーセントを生み出している。ここで起きている様々な問題の背景について、アチェには過激なイスラム原理主義があり、人びとはイスラム国家建設をめざしているなど、まるで民族問題や宗教問題のように言われてきた。しかしそうではなく、アチェの問題はこれら資源の利権や軍事作戦と密接に関わっていると佐伯さんは見ている。

 1971年にアチェで天然ガスの開発が始まって以来、地元の人びとは開発の恩恵を全く受けて来なかった。むしろ天然ガス精製工場、PTアルンの周辺にある村では、開発の被害、開発の負の部分を担わされてきた。そこで住民側からの声があがると、軍はそれを力づくで封じ込めてしまう。どの工場も軍による警備が厳重で、アチェの開発プロジェクトをインドネシア政府や軍が力で守っているという構造がある。こういった側面にこそ、現在のアチェ問題の原因があると佐伯さんは言う。

インドネシアのアチェ対策と日本

 1976年12月4日、アチェスマトラ民族解放戦線(議長ハッサン・ディ・ティロ)が独立宣言をした。このときに起こったGAMの多くが逮捕、殺害されたという。1989年にGAMは2度目の蜂起をし、以来1998年まで北アチェ県、東アチェ県、ピディ県がDOMに指定され、大規模争乱鎮圧部隊が配備された。アチェにおけるこの軍事作戦は別名「赤い網作戦」とも呼ばれ、大量殺害、公開処刑、誘拐、拷問、不法逮捕などが行われた。その被害者の正確な数は今だにつかみきれていないそうだ。スハルト退陣後の国家人権委員会の発表によると、1989から98年までのDOMの間に、殺害781、行方不明168、寡婦3000、孤児1万5000から2万、レイプ102件ということだが、アムネスティの発表ではもっとこれらの数字を上回っており正確なことはわからない。

 その間の被害状況について、佐伯さんが聞き取った証言は数々ある。夫を殺された女性は、後日、軍から「あなたの夫は無実である。しかし人びとを恐怖に陥れるために、彼は死ななければならなかった」と言われたという。別の女性は、ただ食事を作り売っていたというだけで、それが治安攪乱分子(GAMを指す)を支援していたと言いがかりをつけられ、誘拐、拷問されたのだそうだ。

 東ティモールもアチェの問題も、我々日本人には実感がない、自分の問題ではないと言うかも知れない。しかしたとえばアチェでは、天然ガス精製工場と日本との関係は非常に深く、そこで行われている間違った開発や人権侵害について日本は決して無関係とは言えないと佐伯さんは訴える。工場は日本のODAで建設され、精製されたガスはほぼ全てが日本に輸出されている。また、ODAで作られたアセアン・アチェ肥料工場では、すぐ隣にあるブルカトゥバイ村の近くに工場からの排水口があり、エビの養殖池は全滅してしまった。そのことで裁判を起こしたところ、村長への暴力事件が起きたため、それ以来村人は声をあげられなくなってしまった。

 これらの開発に対して、人びとが当然の権利として声をあげれば、それだけで治安攪乱分子だと言われ逮捕されてしまう。このような間違った開発が、日本の多大な援助によって行われているのが現状だ。

スハルト後のインドネシア

 スハルト体制は、「国家の統一」と「開発」という言葉で象徴されるとよく言われる。しかしその中で、各地方で住民から何らかの声があがると国家の安定を崩すものとされてきた。石油タンカーの通り道であり天然ガスの供給国であるということのために、人権侵害を犯す32年に及ぶスハルト体制を日本は大いに支援してきた。1998年、ジャカルタで多くの学生が逮捕、殺害されていたとき、当時の橋本首相は「スハルトは多大な開発をされ、すばらしい大統領である。日本の友人だ」などと公言した。

 スハルト退陣後、DOMに指定されていたアチェ、西パプア、東ティモールの人びとはとくに、これからは自分たちの声を聞き入れてもらえるのでは、という希望を持ったのに、退陣後の今もスハルト時代の影響は色濃く残っており、状況は変わらない。治安にあたる軍が、経済や政治も担えるという軍の二重機能が今後奪われてしまうのでは、という危機に対して軍は抵抗しているのだろうと佐伯さんは分析している。

 ウィラントは、8月半ばに警察作戦を実施すると発表し、アチェでの混乱が収まらなかったら再び軍事作戦が始まるのではと人びとは恐れているという。このように、スハルト退陣後もインドネシアは民主化とは逆行した流れをたどっている。

 もしもアチェや西パプアをインドネシア領のままにしておきたいのなら、それぞれの地方に対して配慮し、そこでの問題を解決すべきである。住民たちの声をせめてこの1年でもっと聞き入れていれば、事態はもう少し良い状態だったのではないかと佐伯さんは考えている。このようなインドネシアに対し、たとえばアメリカでは東ティモールにおける民兵は軍の指揮下にあると名言しているのに、日本は明らかなことを一切言っていない。それどころか憲法改正とかPKF凍結解除などの議論がなされるという動きに走っているのは本末転倒である。

質疑応答

Q:東ティモールでは、ゲリラが独立運動の中で重要な位置を占めている。アチェのゲリラ(GAM)はそれよりも強いと言われているが住民はどれくらい彼らを支持しているのか。またどれほど信頼に足るのか。

A:今年2月に行ったときは住民の支持やNGO内の評判は半々という印象だった。ハッサン・ディ・ティロ自体、たしかにどこまで信頼できる人物か定かではないが、しかし独立の気運が高まっている今、彼らはある種、救世主的存在でさえあるようだ。この半年間で支持者が増えたのは確かだろう。自分たちの被害体験が元になってGAMへ傾いていく人たちが増えていることを考えると、アチェの解放を望む住民の声なのだから少なくとも今は信頼できるのか、とは思う。ただいかなる権力も、必ずいずれは腐敗する。その意味では今後については何とも言えない。

Q:アチェの人びとの願望を満たす最良の方法は?

A:国軍が人権侵害の根源となっているのだから、まずは軍が完全に撤退することだろう。ウィラントやハビビは、謝罪をするだけでなく実践すべきである。アチェ州は、豊かな天然資源のおかげで富んでいるはずなのに、インドネシアで4番目に貧しい州と言われる。たとえば資源の利権の配分などを考えるべきなのではないか。

Q:PTアルンへの日本からの圧力は?

A:日本政府が圧力をかけるとはまず考えられない。日本で世論が高まらないとだめだろう。それはNGOの力だけではできない。また、インドネシアの民衆からの圧力も必要である。

(でぐち あやこ・エディター)
目次へ戻る
ルポルタージュ

カルムイキアの今

高まりつつある民族主義
井出 晃憲

民族主義的な色彩を強めるカルムイキア

p199911c.jpg

 カスピ海の北西岸に位置し北海道ほどの広さをもつロシア連邦カルムイキア共和国。この国の人口は32万人ほどで、モンゴル系のカルムイク人が約半数を占めるほか、ロシア人をはじめ60近くの民族の住む多民族国家である。また、国土がヴォルガ河の西側にあり、カルムイク人がチベット仏教徒であることから、“ヨーロッパ唯一の仏教国”といわれている。

 現在のカルムイキアは、だんだん民族主義的な色彩を強めていると感じさせられる。6年前には殺風景だった首都エリスタの町中には、仏教的なモニュメントやダライラマ14世の写真があちこちに掲げられるようになった。レーニンはカルムイク人の血も混じっていることから民族の英雄として像が破壊されることはなかったが、新しくできた仏像の方へ180度向きを変えられていた。仏様に対して後ろ向きであるのは失礼に当たるからだそうだ。町の郊外にある大規模な寺院は数年前に完成したが、このたびも新しく町中に仏塔(ストゥーパ)がサンクト=ペテルブルグから来たロシア人の仏教徒の若者達の助力により完成し、その除幕式にはネパールからわざわざ高僧が招かれていた。また、当地の人間国宝である民族叙事詩「ジャンガル」の歌い手であるジャンガルチの家に招待を受けて訪れたが、彼は髪を伝統的な弁髪にしていた。家は国家から支給されたものだという。このように、ソ連時代に迫害されていた伝統文化が急速に復興しつつある。ただ、このようなカルムイクの民族主義的な風潮に対し、同国のほかの民族は反発をもっているようだ。例えば、私の親友であるカルムイク人は、自分にはロシア人の友達はいないと言う。彼の仲間20人ほどでヴォルガ河にキャンプに行ったが、たしかにロシア人はひとりもいなかった。

汎モンゴル主義にならないモンゴル系の事情

 しかし、このようなカルムイク民族主義は、汎モンゴル主義に還元できるものではない。カルムイク人は、モンゴル系とはいっても歴史的にはオイラートと呼ばれる一団であり、ほかのモンゴル系とは言語面でも衣食住でも多少異なっている。とくにカフカースの影響をよく受けているという。また、私は帰りのシベリア鉄道で知り合ったブリヤート人たちは、カルムイキアはステップしかなくてつまらない、我がブリヤートにはバイカル湖があり森林や山もあって本当にすばらしいとお国自慢をした。また、近年中国の新彊ウイグル自治区(カルムイク人故地。多くのカルムイク人が住む)から移住してきたカルムイク人のU氏は、移住の途中でしばらく滞在したモンゴル国のウランバートルでは、差別を受けて大変苦しい思いをしたという。今では、同胞が国家を築いているカルムイキアに落ちついて暮らしている。このように、同じモンゴル系同士とはいっても一筋縄で済むことではない。カルムイク人にとっては、やはり同胞である新彊ウイグル自治区のカルムイク人と最も交流が盛んなようだ。エリスタに住む友人の音楽家ふたり(うち一人は作曲家でカルムイキア国歌を作曲した人)は、つい先日新彊までコンサートを開きに出かけていたそうである。

大統領の独裁が強まるカルムイキア

 また、大統領キルサン=イリュムジノフの独裁が強まっていることも感じさせられる。町中には大統領の肖像が至る所に掲げられていて、カルムイクの友人は冗談混じりに北朝鮮の金日成のようだと言って笑った。なんとキルサン=ウォッカなる物まで販売されている。若くして億万長者となった大統領は優れた人物ではあるが、良くない噂も聞かれる。昨年はヤブロコ(ヤブリンスキー代表)シンパの女性ジャーナリストが、大統領の蓄財について取材している途中殺されるという事件も起きた。また、反大統領派の新聞は発刊禁止となり、ヴォルゴグラードで印刷したものを陸送するようになっている。カルムイク人の友人は大統領に対して「人間誰でも5パーセントの欠点はあるよ」と言ってやり過ごすが、当地のロシア人などの間では評判はすこぶる悪い。また、大統領が国際チェス協会の会長をしていることから、昨年は国際チェス・オリンピックがエリスタ市で開催され、別世界のような立派なシティ・チェスという区画ができた。だが、病院や学校など予算を使うべき場所はほかにあると思うのだが。橋本政権の提唱した「シルク・ロード外交」により、日本へ留学する中央アジアの人々が増えている。ただ、このプログラムについても、現地の状況とは大きく異なる銀行のコンピュータ・システムを見学させるなど意味のないことも多い。彼らが少しでも将来のカルムイキアに役立つ知識を身につけて帰国されることを願っている。

(いで あきのり・東京大学大学院生)
目次へ戻る
連載・韓国住民運動の現在(3)

地域間交流の活発化と今後の課題

五石 敬路
強制撤去への抵抗運動から生活に根ざした運動へと変化し、近年の経済危機では、政府の死角を埋め、都市低所得者層や女性の生活を支えるという成果を示している韓国の「住民運動」。最終回は、新しい展開と課題について。

「住民運動」への転換をを象徴する松鶴村

 ソウル市城東区にある「松鶴(ソンハク)村」は、これまで紹介してきた韓国都市部における貧民運動のなかでも最も象徴的な事例として知られている。というのは、松鶴村の活動が、強制撤去にともなう住民の抵抗運動から日常的な生活レベルの向上をはかる運動へという、全体的な流れを最も望ましい形で実現させたからである。

 同地域では、ソウル市街に残された最後の「不良住宅密集地域」として90年代に入り再開発が進み、93年から住民らによる本格的な抵抗運動がはじまった。住民らは再開発予定地に鉄塔を建てたり占拠するなどして、地域内の仮設住宅設置を要求し、95年にこれを勝ち取った。一昨年末からの経済危機で公共賃貸住宅の建設が予定より遅れたものの、今年の夏から仮設住宅からの転居が行われている。

 一方で、こうした動きと同時に、松鶴村では21世紀に向けたコミュニティづくりを構想し、地域運動の中心課題を「協同組合方式の住民運動」に置いた。こうした理念に基づき、活動家らが中心に担う企画団が設置され、その下に「経済協同住民共同体分科」、「生活協同住民共同体分科」、「生産協同住民共同体分科」、「社会福祉住民共同体分科」の計四つの分科がつくられ、それぞれの分科の中で生産協同組合、信用組合等の活動が実際に始められたのである。

 実は松鶴村の活動は、韓国の貧民運動において伝説的とも言えるあるコミュニティ運動をモデルにしている。それは「ポグムチャリ」と言われる仁川市郊外にあるコミュニティ運動で、ここは70年代末にソウル市で強制撤去を受けた住民らが集団移住し、自分達で家を建てできた村である。同地で住民らは、共同生活を営みながら信用組合等の組織を発展させ、その資金をもとにジャム製造等の事業を安定化させることに成功した。「ポグムチャリ」の中心メンバーはその後国会議員になった者もあり、アジアのノーベル平和賞と言われるマグサイサイ賞を受賞するなど、国際的にも有名になった。松鶴村の中心メンバーは、実際に彼等と共同生活をおくった経験のある「ポグムチャリ」のメンバーでもある。

進む地域間の交流

 こうした歴史を背負った松鶴村の活動は、他の地域に確実にインパクトを与えつつある。他値域の活動家や住民指導者を対象に研修やワークショップが度々催され、こうした交流から、ほかの地域でも独自の試みがあちこちでなされるようになってきたのである。

 また、協同組合運動という点ではヨーロッパの事例が盛んに紹介され(スペインのモンドラゴン等)、ソフトのコミュニティづくりという点では日本の「まちづくり」が研究されるなど、海外との交流にも力を入れてきている。さらに、88年にタイ・バンコクで設立された「居住権アジア連合(ACHR)」は、アジア諸国における居住権の確立を目標に各地のNGOがネットワーク化された組織だが、ACHRが最初に焦点を当てた問題が、韓国の強制撤去であった。以降、韓国と他のアジア諸国との間で活動家の相互交流が行われている。

今後の課題

 しかし、こうした韓国の貧民運動にもいくつかの問題点がある。その中で最も深刻だと思われるものは、組織間の確執である。韓国における社会運動の顕著な特徴の一つは組織が非常に中央集権化されていることであるが、貧民運動では既に87年から各地域をネットワーク化した中央団体が組織化され、現在では、主な中央団体として「全国撤去民連合」と「住居権実現のための国民連合」の二つがある。このうち、前者は徹底的な対決路線を主張し、後者は日常の生活現場レベルでの組織化を重視している。問題なのは、両者が協調姿勢を見せず競って住民の組織化を図るため、なかにはこれが住民同士の対立に転化することによって、運動自体が立ち消えになってしまうケースがあることである。また、特に過激な対立路線をとる「全国撤去民連合」では、自家製の銃器で実際に人に傷害を負わせる事件が今年の夏に発生しており、世論との乖離が深刻化してきている。

 さらに今後は、これまで「借家人」という利害を共にする者だけで組織化を進めてきたが、市街地の再開発が終了し公共住宅への入居が進むと、ほかの住民とともにコミュニティづくりを進めて行かなければならないという新たな課題が待ち構えている。一方で、公共住宅に住む余裕もない人々は、低所得者に低廉な住み処を与えていたスラムが市街地から消えたため、ばらばらになって郊外のどこかで住所不定のまま暮らしていると言われ、こうした世帯は全国で40万世帯もあると推計されている。しかし彼らは集住していないため実態がはっきりせず、運動団体もお手上げの状態にあるのである。

(ごいし のりみち・東京大学大学院生)
目次へ戻る
スポットライト

フィリピン先住民族の暮らしを奪う日本のダム

佐野 淳也

 去る9月19日より約3週間、フィリピンのルソン島北部に暮らす先住民、ロメオ・ポクディンさん(34歳)が来日し、「サンロケダム」の問題を訴えた。彼らはなぜこのダムに反対しているのか?  ツアーの内容をもとに紹介したい。

先住民族を沈めるダム

p199911d.jpg

 フィリピンは大小7,000余りの島々からなる島国である。186の言語と80あまりの民族からなる多文化国家だ。ロメオさんの属する先住イバロイ民族は、フィリピン第2の島(そして首都マニラの位置する)ルソン島の北部、コルディリェラ山脈一帯に暮らす。

 彼らは民族固有のイバロイ語を話し、棚田を張り巡らせて稲作を行い、そしてキリスト教がやってくる以前から、森羅万象の神を祭る精霊信仰を培ってきた。

 そこに、ダムが造られようとしている。サンロケ多目的ダム事業。完成すれば「アジア最大の水力発電ダム」となるこの巨大ダムは、ラモス政権における北ルソン開発の切り札として登場してきたものである。事業総額約11.9億ドル(約1260億円)、発電容量345キロワット、貯水量8億5000万立法メートル。日本の黒部第四ダムをさらに上回る大規模ダムだ。

 サンロケダムは、ルソン島北部アグノ川上流のパンガシナン州で建設が進んでいる。そして、そのダム貯水予定池のわずか5キロ上流に、ロメオさんたちイバロイの人びとが暮らす村、ダルピリップがある。

 ダム建設が進むサンロケ村では、昨年初めすでに160世帯以上が建設開始に伴い「強制」立ち退きを受けている。しかし、彼らは今にいたるまで、土地、家、仕事、社会サービスに関する充分な補償を受けていない。

 また、ダムにより影響を受けるのは、立ち退きを受ける住民だけではない。上流に暮らす約2000世帯のイバロイの村々が、ダムによる土砂の堆積のため、徐々に田畑や家を失っていくと予測されている。また、ダムによる人工的な洪水の被害など考えると、流域の2万人以上の人口に影響が及ぶという。

「日の丸プロジェクト」

 総事業費約12億ドルのうち7割強の約8億5000万ドル(約900億円)が、日本からの融資である。 融資の主体は「国際協力銀行」。これは、日本輸出入銀行と海外経済協力基金(OECF)が統合され、この10月に誕生したものだ。「日本輸出入銀行(輸銀)」時代に、すでに3億200万ドル(320億円)相当の融資が行われている(1998年10月)。さらにその1ヶ月後、東京三菱銀行率いる日本の市中銀行団により、1億4350万ドル(約150億円)の「協調融資」が、同じく発電部門に対して行われた。

 そして今度は、非発電部門に対し4億ドルの追加融資を行うことが、今年9月22日に輸銀役員会議上で決定した。これは同時に、住民からの反対の声を受け、輸銀が一時停止していた融資を再びスタートさせる決定でもあった。

 このサンロケダム事業の実施主体は、現地企業の「サンロケパワー」社である。しかしこれも、丸紅、米サイスネナジー社、そして関西電力の3社によって出資されている。まさに日本の金と企業による「日本のダム」であり、“日の丸プロジェクト”だ。

 そして、国際協力銀行に統合された旧輸銀の非ODA部門の原資は、財政投融資により運用される郵便貯金や年金である。つまり、私たち市民のお金だ。私たちのお金が、フィリピン先住民族の暮らしを奪う。

「第二の侵略」

 戦時中、ダルピリップでは、日本軍により多くの住民が虐殺を受けた。「なぜ日本人は今さら、人を殺しつづけなければいけないのか? 日本はとても豊かだ。しかしそのお金で、私たちを再び征服しないで下さい」。イバロイのリーダー、パスカル・ポクディンさん(72歳)は言う。 

 そう、私たちは自分たちのお金がどう使われているのかにもっと眼を向けるべきだ。国内の公共事業のみならず、海外援助に使われる資金の中身にも。私たちはもう、二度と過ちを繰り返すことはできないのだから。

(さの じゅんや・一橋大学大学院生)
目次へ戻る
インタビュー

情報化の進展と中国、華僑のメディア

日本で活躍する在日中国人一万人のデータをまとめた段躍中さんに聞く

瀬崎 真知子

「歴史は事実を永遠的に尊重する」

 段躍中さんの10代は、祖国である中国の文化大革命期(1967年〜77年)とちょうど重なる。民衆が、一部の権力者によって、生活だけでなく思想までもが、ひとつの方向に傾倒を迫られた時代だった。

 しかし、それを経験したからこそ、今の時代を生きることへの強い責任感がある。「在日中国人大全」として、活躍する在日中国人の約1万件のデータを日本で初めてまとめたことも、そのひとつの表れと言えるだろう。「もっと生の、活躍する中国人の姿を日本の社会に紹介したいと思いました」

 彼の「在日中国人大全」は、多くの個性豊かな中国人たちが確かに日本で奮闘したのだという事実、生きたという証(あかし)の結晶なのである。「歴史は永遠的に事実を尊重する」。編集後記に寄せた彼の言葉である。

 祖国では「中国青年報」の記者として過ごし、来日8年目になる日本においては、中国のマスコミについて研究し、また、彼の妻と設立した日本僑報社で編集、発行人を務め、様々な本や雑誌を発行している。

 こうした多岐にわたるメデイア活動を行ってきた彼に、大陸と華僑メデイアの現在の状況をうかがった。

改革開放がもたらしたもの

 段さんは新聞を例に挙げ、改革開放後の中国におけるメディアの主な特徴として、発行形態と紙面の中身の変化を指摘した。

 これまで大陸では、国民には、国家予算から新聞の購読料が支払われていた。そのようなこともあり、改革開放後は、たしかに講読数が大幅に減った。市場原理に基づき、広告料や購読料をめぐり各社の競争が激しくなっている。こうした競争に生き残れず、廃刊を迫られる会社もあった。

 しかし読者にとっては、記事の多様化、ページ数の増版など質と量の向上につながり、良い結果を招いていると彼は言う。また、政治報道についてはまだタブーもあるが、官僚の汚職や国家指導者への批判報道などに関しては、内容的にも緩和されつつある。

 一方、華僑メデイアの発行形態にとっては、改革開放の影響はそれほどないという。華僑メディアは、資本主義諸国の市場原理に基づいている。変わったとしたら、こちらもその中身である。

 基本的に、民間出資の華僑メディアの場合は政府の制限がないが、以前は政府に対する取材への規制がより強く、自由な報道ができなかった。だが今は、以前に比べ、祖国の改革開放についていろいろな情報を自由に掲載できるようになった。それでも中国政府に対して友好的な見方が中心で、批判的な記事を出さないように努力する風潮もまだ残っている。

情報化社会とメディアコントロ−ルは両立できるか

 もっとも香港メデイアについては、「大陸とも海外メデイアとも違う、一国二制度における特例である」と彼は位置づけた。

 中国政府のメデイアコントロールについて彼は、「安定した国づくり、国家利益のためのイデオロギーというひとつのやりかた」だと言う。

 「もし、コントロールできなくなったら国内の混乱を招く」と、中国における政府とメディアの一体性について彼なりの説明をしてくれた。さらに、「ニュースはどういったものを取り上げるべきか、取り上げたらだめかがはっきりしている、それを考えて、報道関係者の多くは自主規制を考えている」という。

 だがその一方で、自分自身は「記者として、いくら自由であろうと、あるいはいくら規制があろうと、自分の良心、責任に基づかねばなりません」と、あくまで独立した立場であることを強調した。

中国政府は情報化を恐れるな

 現在、インターネットの普及によって、大陸の中国人にも以前と比べ様々な情報が入り込んでくるようになってきている。その影響からも考えても、今後、中国人の政府に対する考え方や世界に対する価値観は変わっていくだろう。

 そうした状況に対しては、彼は「大陸中国人と海外の華僑の価値観が近づいていくのはいいことでなのではないか」と好意的だ。「それは世界の友好、平和や発展につながり、ひいては中国にとっても役に立つことだと思います」

 同時に、政府にとっては、今、情報化社会におけるコントロールの仕方が問われているという。情報化を恐れるだけではだめで、海外の情報を積極的に得ていく必要性を説く。

 また、情報化における華僑・華人ネットワーク作りが、今後ひとつのテーマになるだろうと予測する。そのためには、中国語を話し、彼らのなかに入っていくのが条件だ。

 「大陸出身者、台湾出身者、新華僑、老華僑、彼らが、どう意見を戦わせ活かしているのかがわからないでしょう。日本の華僑という視点だけに止まらない、新しい注目すべき点だと思います」と彼は言う。

(せざき まちこ・ライター)
目次へ戻る
会員紹介(7)

小池奈美さん(写真家)

p199911e.jpg

 小池さんはこの6月、結婚して一緒に暮らしているパキスタン人のターリックさんとの間に、アティークくんを出産したばかりである。

 初めての出産は、はからずも小池さんにとってもうひとつの意味を持った。

 「この10年は急いで生きてきた、というか本当に忙しく時間を過ごしてきた」と小池さんは言う。そんな小池さんにとって長男の出産は、あわただしい人生をふっと立ち止まって、今までのこと、そしてこれからのことをゆっくりと考えてみる機会にもなった。

 小池さんがアジアに興味を感じ始めたのは高校時代のことである。東京に暮らしていた小池さんの周りには、従姉妹の家にメキシコ人の女の子が下宿していたこともあって、何かと外国人が多かった。そんな外国人たちと、自然に友達関係ができあがって仲良くやっていたという。特に韓国や中国からの留学生が多くて、「この人たちの国に行ってみたいなぁ」という思いがそのころから小池さんの胸にはあったようだ。

 大学時代には、中国への旅行を皮切りに精力的に旅行に出かけていった。毎年2ヶ月の夏休みにはアジアを中心に、ひとりで旅行してまわったという。

 写真を始めるのもこのころである。高校時代から写真を眺めることが大好きだった小池さんにとって、初めて訪れた中国で「写真を始めよう」と思い立ったことは、あるいは必然だったのかもしれない。中国で感じたことを誰かに説明しようとしても、コンパクトカメラで撮った写真ではうまく伝わらないという歯がゆい経験もあった。小池さんにとって写真は、自らの感情を外に向かって表現する手段として位置づけられているのだ。

 「何て言えばいいのかわからないけど、空気感とか、においとか、言葉より体で感じるようなことが撮れればいいなぁ、と思った」と小池さんは言う。写真だけで伝わるようなものが撮れるようになりたい、と小池さんは思い続けている。

 大学を出てからの小池さんは、写真のスタジオに勤めて写真を基礎から勉強し、相変わらず旅行にも出かけたりと、まさに忙しく動き回っていたようだ。近年には世界中を対象にしたドキュメンタリー・プロジェクトに参加して、子供が産まれる直前の5月まで制作の激務をこなしていた。

 そんな小池さんが、「これからは自分のペースで写真を撮って、発表していきたい」と話した。もちろん子供が産まれたことでそれまでのようなハードな仕事が勤まりにくくなったという背景もあるが、ゆっくりと時間をかけて撮っていくテーマが浮かび上がってきたという意味もあるようだ。

 それは、今やもっとも身近であることは間違いないパキスタンを伝えることである。どうも日本ではイメージの良くないパキスタンの、本来の姿を伝えていきたいと小池さんは考えている。日本のメディアに登場するパキスタンは、紛争やテロ、核実験といった情報ばかりで、暗いイメージに偏って伝えられる。イスラームという宗教もなじみが薄いだけにどうやら日本では印象が悪い。そんなことを、学生時代から付き合いのあったパキスタン人の友人たちに幾度となく訴えられ、ずっと気になっていたようだ。小池さん自身が訪れたパキスタンも、日本で伝えられる暗い印象とはかけ離れたところだった。友人たちとの精神的な距離がぐっと縮まった思いがしたのも、日本に滞在している彼らの生家を泊まり歩いたその旅行でのことだ。

 「何て言うかねぇ、流れでこうなっちゃったのかな」と自らを振り返る小池さんは、いつでも身近な友人とのつきあいから、当然のようにアジアへの興味を広げてきた。だからこそ、知るほどに夢中になった。

 「家に遊びに来てください、カレーを食べて、だんなに会ってみてください、っていうのでもいい」と、「普通のパキスタン」の伝え方について小池さんは言った。ただ写真が好きだし、広く紹介できるから、伝える手段としてまずは写真をやる、と決めている。そして、「日本中の人、家に呼ぶわけにもいかないし」と小池さんは笑いながら付け加えた。

 これからのことを語る小池さんは喜々として、がらりと変わっていく環境を心から楽しんでいることがうかがえる。結婚のためにイスラームに改宗して間もないが、名目上だけではなく、勉強して心の中からムスリムになってみる、というのも小池さんの目標のひとつだ。これから発展させていく、経験したことのない宗教心に対して「新しい発見」と小池さんはさらりと言う。

 そんな、発見を楽しむ小池さんの語り口に、「急いで生きてきた」彼女の原動力がかいま見える気がした。

(山本 浩・フリーライター)
目次へ戻る
現地報告

フィリピン女性団体訪問記

真島 啓

 反侵略アジア学生共同行動では、毎年8月末にフィリピン連帯ツアーを企画しています。今年は「反侵略」の学生と「アジア太平洋学生フォーラム山口実」に参加していた学生とで、8月19日から29日にかけて行ってきました。大学や憲法改悪に反対する大集会、ロラズ・ハウス(元「慰安婦」の女性たちの活動拠点)訪問など、さまざまな団体と交流を深めてきました。

イメージとは違う都市貧民コミュニティ

 最も印象深かったのは、都市貧民コミュニティに宿泊し、サマカナ(女性団体【ガブリエラ】の構成団体)の支部代表のルースさんに話をうかがったことです。

 「都市貧民」という<響き>から、雨露がしのげるバラック一部屋に、大家族が住んで、食うや食わずの生活で…と、勝手な想像をしていったのですが、大きく裏切られました。確かに細い道が複雑に入り組み、一軒一軒の家は狭いけど、コンクリートの頑丈な家々が建ち並んでいました。各世帯にはテレビもラジオもあるし。私(たち)の一方的なイメージは何かと考えざるを得ませんでした。「アジア=貧困」「ああなりたくなかったら一生懸命働け!」という差別的な支配イデオロギーそのものです。

 彼らはみな法的根拠のない占拠民であり、日本のODAも絡んだ道路建設によりいつ強制立ち退きにあってもおかしくない状況下で、体をはって居住権を守っています。

 外資導入で住民立ち退きが激増しているなかで、現エストラダ政権は、外資百%の土地所有を可能にし、マルコス戒厳体制の復活を狙った憲法改悪を推進しており、全人民的な課題になっていました。

サマカナの活動

 サマカナの活動について、ルースさんはこう説明してくれました。「主要な活動は、デイケアセンターを通じて、コミュニティーを組織化すること。人権や国の状況についての教育、マッサージや避妊など、医学的な知識も学びます。特に女性を運動に参加させ、権利を獲得することが重要。女性への夫の虐待が大きな問題です」「フィリピンの根本問題は大土地所有制です。一部の資本家と大地主以外は土地を持っていません。しかも自由化が進んで外国資本に土地を奪われています。フィリピンは、今や外国資本家のものです」と言うルースさんは、最後に「基本的な立場は、帝国主義の侵略に反対すること」だと力強く語ってくれました。

家族全員が<活動家>

 彼女の連れ合いが、私たちの夕食を黙々と作ってくれたのはとても印象的でした。家事の分担を要求する中から、こういう関係を作り出したのでしょうか。女性たちの活動を保障するために、託児体制も確立してきたそうです。とはいえ、まだまだ多くの連れ合いの理解は進んでいないようです。ルースさんの「私たちは運動に参加しているから、権利があることを知っているけど、参加していない女性たちは家事に今も追われている」という言葉が、今も耳に残っています。

 ところで、ルースさんの家族は強烈!ルースさんのお母さんはこのコミュニティの初代のオルガナイザーで、彼女を筆頭にその子供・孫たち全員が、<活動家>という一家です。小学生に突然「帝国主義−だ・と・うっ!」ってニコニコと当たり前のように叫ばれて、面食らってしまいました。

 一人の娘さんに、「お母さんが活動家で、小さい頃からほっとかれて淋しくなかった?」と聞いてみました。すると、「母のことを誇りに思っている。私も運動には参加しているし。フィリピン人は自立心が強いから、淋しくなんかない」と、何を聞くんだという面持ちで答えてくれました。日本人の若者には、耳が痛い言葉でした。

 しかし、より痛かったのは、自分の国とたたかいに誇りを持つ彼女たちに、「日本は簡単にお金が稼げるから、日本に行きたい」と言わせていることでした。それともう一つは、ロラズ・ハウスで言われた言葉です。「日本は今ファシズム的な国家だ。ここを訪問する日本人は、今日本で何が起こっているのか、全く知らない。」

 フィリピンでは、最も抑圧されている層が社会の主人公としてたたかいの中心にいるからこそ、民衆のたたかいがとても強い、ということがとてもよく分かりました。

 日米ガイドラインの矛先にいる彼・彼女らと共同した日米帝を包囲するたたかいを、自分たちの足元でより強固にしていきたいと思います。

(まじま けい・反侵略アジア学生共同行動)
目次へ戻る

編集後記

米国がCTBT批准拒否を決議した。米国内の政治的利害状況で世界中の核軍縮状況に水をかけるなんて信じられないことだ。それで他国には批准せよという。こういったことが平気で決議できる政治の世界というものはいったいなんなのか? パキスタンが核を保有したまま軍政移管したことを不安だというより、誰が矛盾のおおもとを作っているかという点において、まず、大国の政治的エゴの問題を声高く批判していく方が、よっぽど平和への近道のような気がする(ひ)

▼9月1日、21人の超過滞在外国人が、結婚以外の理由で在留特別許可申請を行った。これに対し入管側は、約1千件というほかの申請を飛び越えて、異例の速さで退去強制の手続きを進めている。今後広がる可能性のある今回のような動きをシャットアウトするという政府側の強い意志が感じられる。一方では支援団体が結集して「27万人署名運動」を展開する予定だ。はたして世論はこれをどう受けとめるだろうか。(よ)

目次へ戻る
月刊AWC通信1999年11月号(通巻第14号)
1999年10月23日発行
編集人 白取 芳樹/発行人 八尾 浩幸
発行 亜洲通信社AWC編集部

トップページへ