『AWC通信』1998年11月号(第2号)


目次


定例会報告

韓国の日本文化解禁について

映画評論家 門間 貴志(もんま たかし)さん

 今回の定例会は、『アジア映画にみる日本・・・』などの著書や『ROJIN』本誌で好評連載中の「亜州電影談談聴聴」で長年、アジア映画と日本の関係を追いかけてきた映画評論家の門間貴志さんに、韓国における日本文化解禁の背景と近状について報告していただいた。

日本文化禁止の背景

 最近、韓国での日本文化解禁が話題になっている。解禁というからには禁止されていると思われがちだが、実は法的に禁止されているという訳ではなく、暗黙の了解で禁止的状態が続いてきたというのが現状だ。それでは何が禁止的状態にしているのだろうか。法的には公演倫理規定にある「国民の感情を著しく害するものは上演を認めない」という部分がこれに当たる。これは日本文化に限定している訳ではないのだが、日帝36年間の歴史からくる国民的な感情のしこりがこの規定に該当すると判断されてきた。また、韓国国内にもともと日本映画を上映しようという気運がなく、当たり前のように日本文化を消していったという状況があった。特に李承晩・朴正煕政権時代の反日政策、反日愛国教育によって、日本文化は排除されてしまった。その後80年代に入った頃から、「日本文化を解禁してはどうか」という声がマスコミを時おり賑わしたが、そういう時に限って日本の政治家から妄言が飛び出し、韓国国内に反日キャンペーンが起こり、水を掛けられてきた。

韓国国内における日本文化の現状

 現在、実質的に禁止的状態にある日本文化は映画と音楽だけだと思われる。ビデオやCDを韓国で入手するには個人輸入に頼るしかなく、時おり海賊版が出回ることもある。それでは事実上、すでに解禁されていると思われる他の分野をまとめてみよう。

<文学> 禁止されることもなく、かなり浸透している。よく売れたものとして三浦綾子氏の『氷点』や山岡壮八氏の『徳川家康』(韓国版では『大望』)がある。村上春樹氏や梁石日氏など、多くの現代作家や在日作家の作品が翻訳されており、書店には日本文学のコーナーが設けられているほどだ。

<漫画> 以前は海賊版も多かったが、今では正規に契約した上で翻訳され、雑誌に連載されている。『ドラゴンボール』や『スラムダンク』が非常に人気である。

<テレビアニメ> 吹き替えでTV放送されている。現在、韓国国内で放送されるTVアニメの約70%が日本製アニメだと言われ、『マジンガーZ』や『キャンディ・キャンディ』など日本を連想させない風景を扱ったものが好まれる。以前、視聴者が選ぶ「懐かしのアニメベスト5」といった番組が放送された時、2位から5位までを日本のアニメが占めたことがあった。日本と韓国のTVアニメ世代はある意味で、同じ文化を共有しているとも言えよう。

<演劇> ほとんど問題はない。新宿梁山泊や青年団などの劇団がすでに韓国語で公演を行っている。歌舞伎なども国家レベルで招へいされている。

<美術> 画廊単位では、日本人作家の個展・グループ展が数十年前から行われている。昨年、国立現代美術館で大規模な日本現代美術展が初めて行われた。

 こうした状況をふまえ、映画と音楽が禁止的状態にある現状について、門間氏は「日本語だからいけないという気もする」と言う。しかし、70年代に作られた張本勲氏の伝記映画の冒頭、長嶋茂雄氏のインタビュー部分が全て韓国語に吹き替えられていたのに比べ、80年代以降、例えば映画『金の戦争』では役者は韓国人だが、セリフの8割以上に日本語が使われており、日本語が禁止という状況は有名無実化している。音楽に関して言えば、日本の歌手が韓国の音楽祭に招かれた場合、たいがいは英語で歌っていた。ちなみにソウルオリンピックのフィナーレで、「少女隊」が日本でのオリンピックテーマソングを歌ったが、これが電波に乗った最初の日本語の歌となった。韓国には、倭色歌謡に対する批判がある。しかし音楽的には明治維新以降の洋楽受容の問題もあるが、日本と韓国の音階はかなり似通っており、これだけでは排除の理由にはならない。例えば『蛍の光』はもともとはスコットランドの民謡だが、韓国では倭色歌謡とされている。要するに倭色歌謡の批判には根拠がなく、マスコミが騒ぎ立てる材料に使っているにすぎない。

韓国の日本文化への対応

 日本映画や音楽が禁止的状態にある中、韓国国内では何が起こっているのだろうか。

 一つにはテレビ番組における盗作の問題がある。誰も日本のテレビ番組を知らないため、発覚しにくいということと、どうせ日本人は見ないだろうという甘い認識がそこにはある。また、日本で評判になった映画が、リメイクされ上映されている。最近の例では、伊丹十三監督の『マルサの女』が『まじめに生きろ』という題名でリメイクされた。また、『手紙』という韓国映画は明らかに岩井俊二監督の『Love Letter』の影響を受けている。

 次に海賊版の問題がある。例えば、崔洋一監督の『月はどっちに出ている』は字幕付きの海賊ビデオが出回っており、仮に日本映画が正式に入っても売れなくなる心配がある。

 最後に最も大きな問題は、日本映画を非難する人の多くが、実際には日本映画を見ずに非難しているという現状だ。日本映画はセックスと暴力に溢れており、青少年に悪影響を与えるのではないかという論調が韓国にはあり、NHKの衛星放送すら彼らの非難の対象とされている。実際問題として、NHKがセックスや暴力を放送していないのは見れば分かることであり、何の検証もなくマスコミが扇動する韓国の風潮が日本映画への偏見を助長している。

 しかし一方で、ここ10年来、本格的に映画評論をする雑誌が多数創刊され、欧米やアジアの映画情報が国内に入ると同時に、日本映画の特集も組まれ、かなり詳細な評論が掲載されているという状況もある。また、今年で3回目を迎える釜山映画祭では、多くの日本映画が上映された。1回目の同映画祭では日本のアニメ映画の切符がまっ先に売り切れ、2回目でも北野武監督の『HANA-BI』が人気となり、追加上映まで行われた。これが日本映画の解禁にどうつながるのか、映画祭側はコメントを控えているが、今のところあくまで、日本映画は映画祭などの場で限定的に上映されるにすぎない。

 また、日本映画の研究をする若い世代が増えてきているという状況もある。早稲田大学などで日本映画を研究していた留学経験者たちが中心となって日本映画の研究会を作り、日本映画の解禁を要求している。

日本映画禁止の理由

 なぜ日本映画がいけないのか、理由は大きく分けて3つあると思われる。国民的感情の問題、国内の映画産業を守るという経済的な理由、そして日本映画を低俗だとする誤解。しかし、日本映画上映の賛成論者によってこれらの理由はすべて否定されている。80年代なら民族意識から日本に関する一切を認めないという空気もあったが、現在では、こうした考え方は資本主義の原則に反するのではないか、という意見が出てきている。経済的な理由に関しても、外国映画は上映日数を決められているので、国内の映画産業を圧迫するということはない。また、解禁された場合、低俗なものが入るのは避けられないが、見たいと望むものが入るのは資本主義の原則であり、輸入するかどうかは韓国人自身のモラルの問題だ。

 韓国の映画監督たちはどういった立場を取っているかというと、40代・50代の中堅からベテランの映画監督たちには反対派が多い。彼らは、日本映画から離れたところでキャリアを積み、朴政権下で反日愛国教育を受けたという背景がある。また、映画の各組織、例えば映画人協会などで重職に就いているという立場上、表立って賛成できないという理由もある。一方、日本の植民地時代に育った日本語の分かる、映画界では長老に当たる世代の監督たちは日本映画の開放を支持している。20代・30代の監督たちはビデオで日本を含めた外国映画を見ており、日本文化へのアレルギーはかなりなくなっている。また、日本への留学経験者も多く、日本文化の面白い部分を知った人たちは、開放論者になっている。

これからの展望

 今、この時期に日本映画を開放するのは少し問題があるのではないか、と門間氏は言う。日本映画はセックスと暴力に溢れているというイメージがあるため、そのような部分ばかりに目がいき、やはり日本映画は低俗だ、と結論づけられてしまう恐れがあるからだ。それを防ぐためにもまず、国家レベルでの文化事業として、日本映画祭を開き、日本映画を少しずつ上映してはどうかと門間氏は提案している。そうすれば、低俗だという偏見も一掃でき、良質なものならいいのではないか、という意見も浸透するだろう。逆に、この門間氏の提案に対し韓国のマスコミ関係者の中には、今さらそんなことをするよりも最初は玉石混合かもしれないが、とりあえず解禁した上で、良いものをどんどん上映すれば、おのずと意識も変わるだろうという意見もあるという。

 X-JAPANのライブビデオの鑑賞会がファンによって行われる現状や、日本に来てビデオやCDを買っていく若者たちを見ると、今や日本文化は、特に若い世代にはかなり浸透していると言え、公的に映画館で日本映画を上映するか否か、テレビで放映するか否かが開放論議の中心になっている。

 日本文化の開放は、海賊版の淘汰など、韓国側にとってもプラスになる、と門間氏は指摘している。

(中平 良・フリーライター)

※10月8日、来日した金大中大統領と小渕首相による共同宣言が発表され、その中に日本文化を「今後開放してゆく」という方針が盛り込まれた。それを受け10月20日、韓国政府は日本文化の段階的開放を公式に発表した。今回の対象は、映画・ビデオ・出版の各分野で、映画・ビデオについては、世界四大映画祭での受賞作品と日韓合作作品に限定されており、まだ十分な開放とは言えない。今後のさらなる開放を期待したい。(編集部)

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不定期連載

見えざるアジアから (1)〜見えざる線〜

写真・文 南風島 渉
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難民キャンプで食糧の配給を待つタミル
人の少年たち(バッティカロア/スリランカ)

“向こう側”のアジアへ

 例えばバングラデシュ。そのバスの中は明らかに空気が違っていた。ベンガル人が大多数を占めるこの国で、ほっと息を抜ける気がしたのは久しぶりだった。バスを埋めた人々はモンゴロイド系特有のシャイなほほえみを浮かべて、バスが登っていく山道の先を見つめていた。日本人にとってはなつかしささえ感じさせるその雰囲気は、しかし押し込められた緊張感をもたたえていた。バスの行き先はチッタゴン丘陵地帯の街、ランガマティ。ジュマと総称される少数先住民族のひとつ、チャクマの王都であり、外国人の入域が制限されたバングラデシュ国軍の作戦地域でもある。やがてバスは軍が設置したゲートの前で止められ、同時に自動小銃を手にした政府軍兵士たちがバスのまわりを取り囲む。「チェックポイント」。隣に座っていた青年がさりげなくつぶやいた。

 そこには“見えざる線”が引かれている。それは文字どおり戦闘の前線であったり、得体の知れない治安上の線であったりする。紛争地に限らず、一見平和な大都市の中にさえ引かれていることもある。その線は、時に国境線以上の強制力を持って我々の前に現れる。そしてその線の向こう側は、しばしば意図的に隠蔽されている。しかし、その“見えざる線”の向こう側にもまた、間違いなく人々の生活があり、隠されたアジアの現実がある。

隠す側の都合・隠される現実

 例えばインドネシア。「とにかくあなたを飛行機に乗せることはできない。警察へ出頭してもらう」。サーフボードを抱えた観光客が行き来するバリ島の国内線ターミナルで、チェックインカウンターの男はそう言って警察に電話をかけ始めた。容疑は資格外の取材活動の恐れ。「観光客だ」との主張は一顧だにもされず、はなからジャーナリストだと決めつけられている。電話を盗聴されていたのでは、との疑いはこのとき確信に近くなった。バリ島から飛行機でわずか1時間、インドネシア政府が「開放している」と言ってはばからない東ティモールへの入域は、こうしてあっけなく拒否された。騒動をしり目に、迷彩服を身にまとったインドネシア兵が数人、搭乗ゲートへと消えていった。

 問題を抱えている各国政府は、“見えざる線”を越えようとする者に対して、極めて神経質であることが多い。現地人ならば逮捕、拷問、虐殺といった危険にさらされる。外国人はおりることのない「許可」が必要であったり、執拗な監視を受けたり、時には国外退去が命じられる場合もある。日本国内でさえ、記事や写真に対して各国の大使館からの照会が入ることもある。そしてひとたびブラックリストに載ってしまえば、その国への(合法的な)入国すらかなわなくなる。“見えざる線”は、情報を封じ込める包囲網としても機能している。

“見えざるアジア”の声

 例えばスリランカ。幹線道路の検問所に、人々がうなだれて行列を作っている。荷物は底まで徹底的に調べられ、矢継ぎ早に質問が浴びせられる。「おまえ、何者だ?」と眉間にしわを寄せた政府軍兵士の射るような視線が飛んできた。すかさず自動小銃を構えた3〜4人の兵士に囲まれる。その指はすでに安全装置にかかっている。それでもその検問から数キロ先の茂みで小舟に乗り込み、伏せるようにして一気にラグーンを越えると、そこはもうゲリラの「解放区」だった。検問では死んだような表情だったタミル人の男が、今は満面の笑みで私の手を握った。「ようこそ、タミルの地へ。もう大丈夫だ」。

 隠さねばならないもの。それは人権弾圧や資源の収奪、文化の破壊であったりする。それらが組織的かつ確信犯的であればあるほど、隠し方は巧妙で徹底したものになる。そしてさらにそこに、大国や周辺諸国の政治的・経済的思惑が深く絡み、情報は彼らに都合のいいように制御されている。

 人の命さえ経済価値による重み付けをして報道する日本のジャーナリズムが見落としている“アジア”は少なくない。“見えざる線”の向こうの“見えざるアジア”。そこには私たちが知らず知らずのうちに荷担している、看過できない現実がある。

(はえじま わたる・報道写真記者)
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AWC現地リポート

裸一貫、ビルマで日本語学校を経営 

WIN Japanese school 校長 中西 修さん(36歳)

 ビルマの首都ラングーンでは、日系企業の進出があいまって日本語学習が熱をおびつつある。街を歩けば、そこかしこに生徒募集の看板が目につく。なかでも唯一、日本人教師を売り物にするのがWIN Japanese schoolだ。経営者の中西修氏は10年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、97年1月、現地に第一校を開設した。単身ビルマに渡り、裸一貫で事業を起こした中西氏の実人生を追う。

 アジアに職を求める日本人が増えている。しかし、往復切符を持たないまま新天地へ渡る日本人には、どこか逃亡者としてのレッテルがつきまとう。ストレス社会ニッポンに背を向け、安易な道に逃げ込んだ敗北者と見なされてしまうのだ。一般に、海外で働く日本人は「駐在ビジネスマン」と「現地採用」に大別される。そして、たいてい「現地採用」は「駐在ビジネスマン」たちの冷たい視線を感じるものだ。

 中西氏もこの逃亡者イメージと無縁ではない。約10年間、中堅メーカーと印刷会社で営業職に就いた。「性格的に営業に向いてなかったし、サラリーマン生活は単調でしてね。会社にもなじめなく、私は飲み会にも行かなかったんです。休みにビルマに行っては、いつかここで暮らしたいと考えていた」。朴とつな語り口には衒(てら)いがない。地味な外見からは、実直さがにじみ出ている。毎日がお祭りのような東京の街並みには、さぞかし違和感を持っていただろう。

 彼とビルマとの関わりは深い。「高校のころ、NHKのドキュメンタリーを見て、ビルマと日本の関係に興味を持ったんです」。大学は東京外国語大学ビルマ語科。第一期の卒業生である。当時のネ・ウィン政権は鎖国政策をとり、外国人の渡航は1週間に制限され、外国資本の流入はほとんどなかった。しかし1989年の軍事クーデターで、外交政策が大転換した。外資を優遇し、外国人の居住が認められるようになったのである。以降、中西氏は少しずつ事業の下準備を進めていく。大久保のビルマ料理店で在日ビルマ人を集め、休日には自宅で無料の日本語教室を開いた。「今から思えば、この時期は重要でした。もともと、学生時代はいつも家庭教師のアルバイトをやっていましたが、ビルマ人に教えたことはなかった。細かいノウハウも身に付きましたし、なにより信頼できるビルマ人のビジネス・パートナーを見つけた。役所関連の手続きや教室の賃貸などでパートナーは不可欠なんです。それまでに何人か候補はいたんですが、マルチプルのビジネスビザを持って日本で商売していたのは彼だけだった」。

 96年10月、休暇を利用してビルマに渡った中西氏は、いよいよ起業を決意する。「ラングーンでいくつか日本語学校をまわったんですが、これは必ずうまくいくと思った。それで帰国後、ついに辞表を出しました」。ビルマでの目標は2つ。1つは必ず事業を成功させること。そして、ビルマ女性と結婚することである。

 再び1週間ビルマに滞在し、教育省の許認可を得た後、現地新聞『ミャンマー・アリーン』『チェーモン』に生徒募集の広告を打った。2週間で142人が集まり、生徒数はその後も順調に伸びた。97年6月には新たに分校を設立している。97年の売上高は889万6300チャット、純利益は176万8300チャット(約100万円)である。この純利益は、日本の所得水準でおよそ2000万円に相当する。

 この成功の秘密は、彼自身の実地調査だ。「まず、日本人教師でやっている学校はウチだけ。それから、なによりも町の評判。ラングーンでは口コミ情報が決定的に重要なんです。私は、ときどきホテルの従業員や旅行代理店でウチの学校のことをそれとなく聞くんです。で、残念ながら分校で教えている日本人教師の評判が良くなくて…。今度、新しい先生を呼ぶことにしました」。

 ところで、ガールフレンドはできましたか?と聞くと、「なかなか知り合うチャンスが少なくて…。ビルマでは、家族ぐるみのつきあいや地縁的なつながりで結婚するケースが多いですし。実は先日、ある女性を食事に誘ったのですが、残念ながらダメでした」。たとえばタイでは、盛り場でのロマンスはよく聞く話だ。ラングーンでも日が暮れれば、中華街にネオンの花が咲く。「一度も行ったことはないですね」。言下に否定し、やや鋭い視線を向けた。

(近藤 衛・こんどう まもる) 
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コラム

電脳的亜細亜探索 その一

 世界中の人々とリアルタイムでつながり、ありとあらゆる情報が雑多に氾濫するサイバースペース、インターネット。ここは、無駄な情報や猥雑な画像が溢れる一方、貴重で有益な情報が多々埋もれる宝庫であることは間違いない。この混沌とした巨大な情報の海に繰り出し、アジアへとつながる航路を探ってみた。

「まぐまぐ」に登録されたメールマガジンを利用する

 インターネット上における本屋さん(というか実際は取次的存在)「まぐまぐ」はメールマガジン(メールで送られてくる雑誌、そのほとんどが無料)を5,133誌扱い、延べ564万人以上の読者を抱えている(10月20日現在)。これらの中にはアジアに関するマガジンもあり、その中からいくつか紹介する。(順不同)

メーリングリストを利用する

 インターネット上には無数のメーリングリスト(リストに登録されたメンバー全員にメールが届く、つまり参加すると、各メンバーたちが発信するメール=情報が読める)が存在する。アジア関係のメーリングリストに参加し、アジアに触れることもできる。以下そのいくつかを紹介する。(順不同)

 メールマガジン、アジア関係のメーリングリストは、今回紹介した以外にもたくさん存在する。後は各自で、自分の関心や目的に合わせて捜していただきたい。一つ忠告できることは、一度に数多く手を出さないほうがよいということだ。メールマガジンは週刊が多いのでよいとしても、メーリングリストに参加し過ぎると大変な量のメールが毎日送られてくることになる。それぞれのグループや曜日によって差はあるが、多い時は1日20近いメールのやりとりがある。それこそ情報の荒波に飲み込まれてしまわないよう適度な利用を勧める。

※このコラムは不定期に連載する。また、近日中にAWCのホームページを開設し、アジア関連のリンク集コーナーなどの設置を予定している。また、メールマガジンおよびメーリングリストを開設し、この「AWC通信」全文+αの掲載、投稿原稿コーナーなどの設置を検討中。請う御期待!

(フリーライター・佐久間 環)
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編集後記

 最近インターネットにはまっている。創刊号の定例会報告の原稿を書くため、下準備に検索エンジンで「東ティモール」関連の情報を集めたのが、本格的に活用するきっかけになったのだが、今では暇さえあれば接続している。ネットサーフィンをしていると、本当に時間が経つのを忘れてしまう。アジア関係のサイトの多いこと多いこと。旅行系も中にはあるが、ジャーナリスティックなサイトや情報満載でためになるサイトもまた多い。これらのホームページを散策していると、自分が東京の片隅にいることを忘れてしまう。またメーリングリストに、AWC編集スタッフ用のも含め、現在7つ入っている。そのため、それこそ大変な量のメールが届くようになった。最近の5日間に来たメール数をカウントしたところ、何と171通!メーリングリストに入り始めたのも先月末頃からで、それまではメールマガジンが週に2〜3通送られてくるのと、『ROJIN』やAWC関係のメールのやり取り程度だった。僕のメール状況は一変してしまい、すこしほっくと、たちまち30近いメールがたまり、ダウンロードとその後の読む作業が大変。だけど何だか嬉しくなって全部一気に読んでしまう。さらに懲りずに、新たなメーリングリストを捜してネットを駆けめぐるしまつ。やはり気になるのは電話料金と接続料金で、最近真剣に、NTTのテレホーダイとさらに安いプロバイダーへの鞍替えを考えている。(T.S)

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月刊AWC通信1998年11月号(通巻第2号)
1998年10月24日発行
編集人 佐久間 環/発行人 八尾 浩幸
発行 亜州通信社AWC編集部

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