Photograph from Asia 25


   娘たちのいる中国で暮らしたい

写真・文 千島 寛 (ちしま ひろし)      


本間武子、新潟県出身、86歳、遼寧省瀋陽市在住
 1943年8月、産後の肥立ちの悪い姉を世話するため満州国へ渡った。姉の状態も落ちつき、そろそろ日本へ帰ろうとしていたら、港に機雷が落とされていたため帰るに帰れなかった。そこで日本で看護婦をしていた技術を生かして、満州国赤十字社に看護婦指導者兼看護婦として勤めた。敗戦後入ってきた国民党軍は、医者と看護婦は帰国させないとしたため、本間さんは看護婦として留めさせられた。その後、国民党軍将校と結婚した。夫は関東軍指令軍部倉庫を接収した軍長の副官だった。そのため結婚前には本間さんが要求する薬、衣類、食料をどんどん出してくれた。彼は、本間さんが、衣類や食料を着のみ着のままで逃げていた日本人に分けていたことをうすうす感じていた。それから国民党と共産党の内戦が始まり、国民党軍は敗北、本間夫婦と長女は瀋陽に逃げた。1949年の中華人民共和国建国後、夫は国民党軍将校であったため、定職につけず、いつも臨時工だった。本間さんもアイスキャンディーを売り家計を助けたが、赤貧の生活は変わらなかった。文化大革命のときに家庭内で日本語を話していないか聞き耳をたてられたりもした。そのため娘たちに一言の日本語も教えることができなかった。父が国民党、母が日本の出身であるため、4人の娘は高校以上の進学ができなかった。現在4人の娘たちはみな結婚して、瀋陽市内に住んでいる。本間さんは「日本を忘れたことはありません。でもこの年で日本に帰って、人の世話になって養老院で生活するなんていや。まして1人寂しく死にたくない。今は、娘たちにお母さん、お母さんと慕われて食べることに困らない幸せな生活を捨ててまで、日本へ帰る気にはなれません。それに私たちはどん底生活を経験してきましたからねえ」と昔を思い出したように話してくれた。

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