Photograph from Asia 24


   内蒙古のかたすみに住む

写真・文 千島 寛 (ちしま ひろし)      


 小田今朝江さんは、いわゆる中国残留婦人である。1921年宮崎県生まれ。45年、開拓団として先に行っていた家族と合流するために満州国へ渡る。夜、開拓団の家に着いたが、すぐには入れてもらえなかった。匪賊が出没するので警戒されたためだ。敗戦後、家族は知り合いの中国人の家に身を寄せていたが、小田さんは匪賊に略奪されてしまったという。小田さんの父は「娘は病気だから連れていかないでくれ」と懇願した。だが匪賊に「病気は俺が直してやるから心配するな」「男は返すが女は連れていく」と言い放たれ、父と弟2人は従わざるを得なかった。小田さんは「あの時、もし私が着いて行かなかったら、父と弟たちは殺されていたかもしれない」と話した。この匪賊の楊は短気で酒癖が悪く、よく暴力を振るわれたと小田さんは話す。今でも肘に傷跡が残っている。結婚生活は貧しく、洗濯したら着るものがないという状態だった。その反面、楊は優しいところもあり、父親が亡くなった時には立派な棺桶を用意してくれたりもした。だから楊のもとから逃げなかったという。子どものいない2人は女の子の赤ん坊を養女にした。そして年頃になるまで育てて嫁に出したが、娘は夫と折り合いが悪く、離婚して一人息子を連れて小田さんのもとへ戻ってきた。その後同居のまま再婚し、一男一女をもうけた。しかし、この再婚した夫とも相性が合わず、夫婦喧嘩が絶えなかった。ある時、夫にひどく暴力をふるわれた娘は、子どもをおいて家を出ていってしまい、結局帰ってこなかった。なんと、それから10年以上も経つという。その夫も2年後、女を作って家を出て行ってしまった。その後、小田さんは養子である娘が産んでおいていった、血のつながっていない孫を必死に育ててきた。そんな姿を見ているので、孫たちはみな小田さんに優しい。小田さんが孫をおいて単身日本に帰れば、孫は両親に捨てられ、祖母にも捨てられることになる。また、中国語しか話せず、農村育ちの孫のことを思うと帰国を決心できなかった。しかし、同居している孫の嫁とは気が合わず、しかも孫娘も「日本に行こう、日本に行こう」とせがむので、今、日本への永住帰国を申請しているという。(フォトグラファー)

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